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【STORY 2024-25 vol.1】 田原隆徳|選んだ1%を信じ切る30歳の哲学

2024-25シーズン りそなグループB.LEAGUEで、2シーズンぶりにB1の舞台に戻ってきた滋賀レイクス。Get Louder!をシーズンスローガンに、ホームアリーナを熱く沸かせる戦いに臨む選手のストーリーを紹介します。第1回目は#21 田原隆徳選手です。


選択を努力で正解へと導く

滋賀レイクスで2シーズン目を迎える田原隆徳は、激しいディフェンスが持ち味のポイントガードだ。昨シーズンはその特長をコート上で存分に発揮し、レイクスが掲げた「1シーズンでのB1復帰」および「B2優勝」に大きく貢献した。田原自身は2020-21シーズンに群馬クレインサンダーズでもB2優勝を経験している。だが、昨シーズンの成功体験はバスケ人生の中でも特別なものだったようだ。

「最短でB1昇格。正直すごいことだと思います。Bリーグの歴史に名を刻んだこともそうですが、個人としては自分の選択を正解に持っていけた達成感もありました。これからの人生においても良い経験になると確信しています」

半ば強引にでも自分の選択を努力で正解へと導くのが田原の哲学。それを見事に体現したシーズンだった。

フリースローが届かない〜悔しさが原点

北海道で生まれた田原がバスケットボールに出会ったのは小学3年生の頃。体験会でフリースローがリングに届かず、その悔しさが今の哲学につながる原点だと言う。

「すごく悔しくて、ずっと練習していました。今思うと、悔しいという感情から行動を起こすことが多い気がします。それを努力でクリアし、天狗になりそうなタイミングで次の試練がやってくる。だから常に成長を続けられたのだと思います」

バスケを続けていく中には人生を変えるような"試練"もあった。その一つが札幌大学3年の頃。レバンガ北海道の練習生と札幌大学での活動を並行した2部練習の日々である。

「プロの練習は厳しいですし、その後に大学での練習もある。心身ともにハードでした。当時のレバンガでは(怪我人による)欠員の穴埋めだったのでそこまでハードにやる必要はなかったのかもしれない。けれど、自分の成長につながる、人生の経験として大きいと信じて全力で取り組みました」

その行動が大学4年の頃に花開くことになる。全国的には無名に近かった選手が特別指定選手という道を切り拓いたのだ。

「全日本インカレで34得点を挙げ、北海道勢として13年ぶりの勝利に貢献できた。その活躍があって特別指定選手として迎えてくれたと思う」と田原は振り返る。だが、それだけではなく、必死で2部練をやり切る練習生の熱意がスタッフの心を打ったはずだ。そうやって自分の可能性を広げてきたのが田原という選手である。
 
レバンガ北海道の特別指定選手となり、翌シーズンは本格的にプロキャリアをスタートさせる。しかし、次シーズンは故郷を離れて栃木ブレックス(宇都宮ブレックス)へ移籍。この時も、ブレックスに急遽生じた欠員の補充に近いオファーだった。一時は「大好きな北海道を離れるくらいならバスケットを辞める」とまで思い詰めたが、最終的に彼は目の前の試練を受け入れた。だが、結果的にこの決断がプロ選手としての寿命を伸ばすことになる。「自分の選択を正解に持っていくために死ぬほど努力する。だから、自分の選択に間違いはない」。田原の哲学はこの時に確固たるものになった。

追い込まれても絶対に勝てると信じた

昨シーズンの滋賀レイクスでは「1シーズンでのB1復帰」という絶対目標を果たすために、チームから求められる激しいディフェンスに徹した。B2プレーオフのクオーターファイナル初戦で青森ワッツに敗れて追い込まれた時も、自分の判断を信じて守備のギアを上げた。そして守備でチームを鼓舞し、ゲームの流れを引き寄せた。

「あの時は負けて悔しいとか言っている時間はなかった。B1に昇格させるためにレイクスに来たわけだから、次は絶対に勝たないといけないと自分に言い聞かせ、絶対に勝てると信じた」

結果、青森ワッツとの2戦目以降、滋賀レイクスは1ゲームも落とさずにB2の頂点まで駆け上がった。

30歳で迎える久しぶりのB1シーズン 

田原にとって5シーズンぶりにB1でプレーとなる。

「B2とはフィジカルやプレー強度も違うので最初は厳しい戦いになると思う。チームとして勝率5割以上をめざす過程で、僕個人としても選択を迫られる場面は増えるでしょう。その中には周りの99%の人から間違っていると言われる選択があるかもしれない。けれど、たとえ1%だったとしても自分の選択を信じ切るつもりです」

30歳で迎える新シーズン。今までと変わらず、田原は信じた道をいく。