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上司とは、どうあるべきか

今日、こんな漫画を読みました。

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『今どきの若いモンは』吉谷光平
原作はWeb漫画。
ゆとり世代の部下(主人公)と口数こそ少ないけど若者の立場を大切に考える課長のお仕事コメディでした。


この週末、大阪にいまして、前の会社の人や仲間がお仕事を休んでいることを聞きました。「なんでそうなってしまうんだろう」とモヤモヤしながら、働く人がいきいきできる環境をつくりたいなと思っていたところ、この漫画に出会いました。

分かろうとすること、可能性を信頼することって大切だと思うんです。今自分が見えている(自分が見立てている)「その人」じゃなくって、その人の原体験や未来、価値観、そういう見えない・意識しないと見えにくいものを探して、信じることができるか。

そういう器の大きさみたいなものって大事だなと、僕はこの漫画を読んで思ったわけです。

だっぴの活動でも通ずるところはあって、大人の役割って「教え諭す」だけじゃないと思うんです。「こうした方がいいよ」って言われて、「はい!頑張ります!」って言える若者が全員じゃないし、学校教育の中だとそういう役割で大人が(講演などで)呼ばれがちで、大人=教え諭す存在みたいな固定観念って中高生の中にもあると思うんです。
でも、中高生や大学生、若者の感覚って、そもそも大人と違うところがありますし、それを聞いてほしいって思いもある。だっぴの場は、大人が若者たちの価値観を面白いと思ってくれることが多く、教え諭すだけでじゃない、フラットな関係性が約束事になっている。若者の感覚を理解しようとしてくれる大人の存在って、きっと大きいんだろうな。

そんなことを、僕はこの漫画を読んで感じたわけです。

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☝だっぴの場。高校生×大学生×大人のトークセッション


じゃあ、なんで大人は教え諭すのか。

ここからはなんとなくですが、「若者とどう接していいか分からない」って感覚がある大人って多いんじゃないかと。どう接していいか分からないから、なんとなくそれっぽい教え諭す的なポジショニングをとりがちなのではと。

「大人らしく」を意識するあまり、ちゃんとしたことを言おう、言わなきゃと思い、大人のキラキラした部分だけを見せる。でも、本当は、それだけじゃなくて、大人のドロドロした部分やモヤモヤしている部分をさらけ出した方が、中高生も「あ、自分たちと同じなんだ」と思い、大人という存在を再定義できるのかもしれないです。

ただ、自分の弱さみたいな部分をさらけ出すのって勇気いりますし、それも「年下に・・・」みたいなプライドがある方もいらっしゃるんだろうなと想像しています。


話を戻すと、上司に必要なことは、多分、「受け止める力」。
感覚が違う「異なる他者」をどう理解し、どう活かそうとするか、そういう環境をつくっていきたいし、増えたらいいなと思う次第です。

そういう若者の感覚的な部分を大人の方に知ってもらいたいので、吉谷光平さん岡山にお呼びしたいですね。笑

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