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このまちには対話がある、をつくりたい。

今日は、倉敷高校の2年生(特進コース)を対象に「高校生だっぴ」を実施しました。

高校生たちは、これまでの経験や今思っていること、自分の感覚っぽいものを表現してくれて。それに呼応するように、大学生や大人の方々も、お互いの表現を受容しながら、学び合いの場をつくってくださいました。

その対話の関係性が、ステキだなと。

お互いになんとなく受容しながら、自分の感覚っぽいものを話したり、相手の感覚との違いを分かろうとすることって、意外と難しいと思うんです。

また、若者には(若者以外でも)「この人となら話せる」という自己開示もあるわけで、多世代で集まれば対話が始まるという単純なことでもありません。


その意味において、

「この場なら話せる」

という感覚や雰囲気を、たしかに感じました。

それは、(非常に言語化しにくいですが)大学生たちの場づくりの力であり、大人の方々の高校生たちに寄り添おうとする立ち居振る舞いなどによって生まれた感覚だと思っています。それらが、異なる他者と関わろうとする高校生の勇気を後押ししたり。

その感覚を前提とした「異なる他者との対話」は、生まれた場所もこれまでたどってきた道もお互いに違うのだけれど、相互に理解しようとする引力があり、新しい気づきや学びを受け取ることができると思います。

また、同時に、自分に居場所を与えてくれるものなんじゃないかなと思うわけです。

自分自身や自分以外の他者によって自己を認められて、自分が居ていい空間があることは大切で、それが

このまちには対話がある

の始まりになるのではないかと思いました。


だっぴは、学校の中につくられる一時的な非日常空間です。そこでつくられた関係性が、次の展開につながっていければとも思います。

例えば、こうした若者と大人の対話空間や共同活動が(学校の中ではなく今度は)まちの中に生まれるような。

そしてそれは、(個人の努力というよりは)コミュニティの関係性として在ればいいなと思うので、まちの皆さんとのチャレンジは続きます!

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