見出し画像

「ジョゼと虎と魚たち」と「魔女見習いをさがして」から見る男女オタクの成熟度の差

ジョゼと虎を魚たちを見に行った。原作、実写映画共にとても大好きな作品でアニメ映画化と聞いて正直不安な気持ちもあった。でもぜひ目に留めておきたいと劇場へ。結果、とても嫌な気持ちにさせられた。

ここで細かく原作とアニメ映画の設定の改変ぶりをつらつら書いても面白味がないし陰鬱な気持ちになるので端的に言うとこのアニメ版の一番の問題は「原作の持つ毒味や痛みを一切無くしてきれ~いでやさし~いお花畑のような世界にしてしまった」こと。

綺麗なものしか存在しない世界で、可愛く無邪気で穢れなど一ミリも持たない庇護欲をそそる車いすの女の子を主人公の男がひたすら愛でるだけの萌えアニメにされてしまった。これが本当に本当に悲しかった。

わからないではない。私が訪れた劇場でも男性の割合は高く比較的年齢層も高めだったがそういう層の男性があの痛々しく擦れるようなラストをアニメの世界に求めないだろう。性愛の尊さと醜さも描き切ったあの原作の世界を理解はできないだろう。綺麗で純粋でセックスすら存在しない“どこか“を求めるのはわかる。このアニメ版ジョゼを求めてきている男性たちは色々な意味で未成熟なのだ。痛い現実より優しいアニメの世界を求めている。だからこそ制作側もセックスのセの字も出さずあんな陳腐なラストにしたのだろう。ニーズに答えたのだ。

同時期にもう一本アニメ映画を見た。「魔女見習いをさがして」だ。こちらは当時大人気だった幼児向け魔女アニメ「おジャ魔女どれみ」の20周年を記念した作品だ。ならば当然どれみたちがスクリーンで大暴れして当時の視聴者を楽しませてくれるのだろうと思っていた。だが違った。

この作品の主人公は当時どれみを見ていた大人の女性3人組、皆現状に不満や問題を抱えてこの現実社会に生きている。まさに私たちそのものだ。そして彼女らはおジャ魔女どれみゆかりの場所を聖地巡礼をしながら魔法を信じていたころを思い出し、現実と再度向き合う。そしてほんの一歩、いや半歩だが確実に前に進んだところで映画は終幕する。

私はアニメ版ジョゼはこの魔女見習いをさがしてと非常に対比的な作品だなと思った。アニメ版ジョゼはとにかく現実の痛みから目を背け、美しいものしか存在しない桃源郷を描き、まるでどこかの童話のような絵にかいたようなハッピーエンドで終わる。

一方の魔女見習いをさがしてはまさかのどれみ達は脇役、主人公の女性3人は社会の中で理不尽に振り回され、現実の辛さを紛らわすために事あるごとに酒を食らう。決してすべてが解決するわけではないがほんの少しの勇気と行動で現状を変化させ、彼女らのこれからを感じさせるように映画は終わる。これからも彼女らの暮らしは続いていく。と明確に感じられる。

アニメ版ジョゼはとにかく「綺麗で優しい楽園」を描き、魔女見習いをさがしては「現実は辛いけど信じる気持ちを忘れないで」と観客に寄り添った。

これだけで作品としての成熟度がまるで違う。つまりは各々の狙っているターゲットの成熟度が違うと言えるだろう。アニメ版ジョゼは「ボクの大好きな綺麗で優しいセックスのセの字もない純粋な世界を見せてあげまちゅからね~」とまるで親離れできない子供にポテトチップスとコーラを差し出してくる溺愛ママのようだし、一方の魔女見習い~は「とっくに魔法を信じる年齢ではなくなったよね。現実は大変だし辛いよね。でも魔法をもう一回信じてみない?」と優しく大人として呼びかけてくれる。

見る側を子供だと思って多分に甘やかしてくるアニメ版ジョゼと成熟した大人として扱ってくれる魔女見習いを~の対比はとても興味深かった。同じアニメでもこうも観客への目線が違う。アニメ版ジョゼは原作が好きだから見るという人よりも恐らくどこどこのアニメ会社が作ってるから。とかどこどこの声優が出てるから、とかそんな理由で観に行く所謂アニメオタクの人が多いと見込んだのだろう(原作ファン狙いならあの改変は絶対にしないはずなので)

一方当時どれみを見ていた人たちはあくまで子供目線で純粋に作品を楽しんでいたので前述したようなアニメオタクとは層が違う。大人として現実を生きている人たちにどんなどれみを見せるべきか苦慮した末あの形になったのだろう。

魔女見習い~も公開当初は内容に文句を言う人が多数いた。「俺たちはどれみたちが魔法を使って空を飛んで大暴れするのが見たかったのになんで現実社会が舞台なんだよ」不思議とその文句を言う人は男性が多かった。男性はアニメに甘い甘い夢を、優しくて純粋でキラキラした世界を求める傾向があるのかもと思った。

でも魔女見習い~は見る人たちが“大人“であることを信じて、もしくは“大人“に見てほしい。という想いであのストーリーを作り上げたんだと思うのだ(ここでいう大人とは当然年齢のことをいっているのではない)

そういう意味でも女性の方が成熟度が上なのかもしれないなとも思ったし(魔女見習い~の骨子を作った関プロも女性だし)私は魔女見習い~があの頃のどれみたちが大暴れする映画でなくてよかったと思っている。現実で必死に生きている大人たちにエールをくれるあの内容だったから私は魔女見習いをさがしてが大好きになれたのだ。魔法をアニメの中だけのフィクションにしないあの方法だからあんなに沁みたのだ。

一方でそんな痛みや含みなんていらない。アニメにはただただ気持ちよくしてもらうだけで良い。って人もいるだろう。そういう人たちはいくつになっても新しいアニメを求め続けるだろう。それも一つの生き方だと思う。ただその対比をこんなに鮮やかで明確な形で見ることができたのはある意味とても面白かった。アニメ版ジョゼ自体には落胆と失望しかないがその点においては見て良かったと思う。

私は映画が好きだ。これからもアニメも実写も選り好みせず見る。でもきっとまた痛みや苦しみに触れたがってしまうんだろうなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?