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詩振郁終のクリスマス(敢えて、閲覧注意)


性の6時間に起こったことをここに記す。
性の6時間とは、つまりこういう時間である。君たちに馴染みの深いサイトから、説明しているもののリンクをここに提示しておこう。

12月24日午後9時 性の中央集権

とある最高級ホテルの一室で私は孤独に、この時間を待っていた。
いかな肉欲が強く、触れるものを必ず穢し、それ自体を愉しむ私にとってもこれから起こることのアウトラインを策定するということは、悪魔の快楽の、悪魔的行為の体系的追求という主題に重要なことであるからだ。
まず私のもとに、関係各所から大勢の異性が手配されて来た。このいずれもが、君たちが目にするあらゆる異性とは、想像を絶する美貌の持ち主だと言うことは、前もって断って置きたい。
芸能事務所からは今一番売れているアイドル、タレント、そしてこれから有名になるであろうものたちが(無論、その中には私が"お目に付けた")一堂に会していた。
無論、私も手配されるだけではないということは分かっていただきたい。市井から集めた莫大な異性の連絡先が、この手の中にある。そのすべてが私が呼べば飛んできて、◯ねと言ったら◯ぬ"都合の良いひとたち"であることは言うまでもないだろう。その中からとびきりのパートナーどもを呼びに出す。
テクストを読む諸君は不思議に思うだろう。『なぜこんなにも上玉を集められるのだ?』その疑問とは簡単であり何を隠そう私は性の中央集権化に成功した史上ただひとつの存在なのである。
性など私の世界には至る所にあり、クリスマスなどという時間、期間などは本質的にはどうでもよろしい。
しかし自明のように、12月24日午後9時から12月25日午前3時の時間というものの本質は時間ではない。この6時間に重大な性への疑念が含まれておるのだ。それは喩えるなら世紀の変わり目のようだ。世紀の変わり目にはあらゆる過剰な思想と反応が多数出現した。日本においてはオウムがいい例である。かの教祖も悪魔的行為に関しては日本で右に出るものは居ないだろう。またクリスマスの初めがローマの太陽神を欺くものであったように、この性の中央集権も大衆の目を欺くカーニバルを必要とする。バフチンが指摘したように、これによって権力は更なる強化を施される。

貴方の知り合いや友人ももれなくセックスをしています。
普段はあどけない顔して世間話してるあの娘もセックスをしています。
貴方が片想いしているあの綺麗な女性もセックスをしています。
貴方にもし年頃の娘さんや姉・妹がいて、いま家にいないのでしたら間違いなくセックスしてます。
貴方と別れたあの娘も貴方がその娘にやってきたことを別の男にやられています。
貴方の将来の恋人や結婚する相手は、いま違う男のいちもつでヒィヒィ言っています。
すべてを諦めましょう。そして共に闘いましょう。

性の6時間:アニヲタWIKI(仮)  

私にはこれを書いた人間の苦悩というものは理解出来る。共に闘う?ふむ。とても良いことではないか。
ここに一つ疑念が産まれる。すべて闘い抜いた場合彼はどうなるのか。彼はどのような呼びかけをしているのか。全て闘い抜いた場合彼は何を見出すのだろうか?

12月24日午後10時 永遠の闘い

"全てを諦める"ということと"共に闘うこと"ここには一つの矛盾がある。
なぜなら、全てを諦めてしまえば、闘う必要などどこにあろうか?
しかし私はそんなところに疑問は持たないのだ。
そこで注目すべきは、この文章には書き留められていない一つの空白が存在する。それはセックスをできない私は全てを諦めて、セックスを拒否することによってセックスできない私という存在が敗北しないように闘争しよう、という重大な呼びかけを一瞬にして発見するからである。

12月24日午後11時 悪魔さえ被造物 

さて、セックスできない我々が敗北するとはどういうことなのだろうか?
答えは簡単だ。孤独に陥り絶望する、ということである。

以下の文章には孤独との対比が極めて色濃く浮き出ているのを見て取れるだろう。
"貴方"の"知り合い"や"友人"ももれなく"セックス"をしています。
彼岸と此岸その対比がセックスにより照射されるということが。

普段はあどけない顔して世間話してる"あの娘"も"セックス"をしています。
なるほど。また繰り返しである。

"貴方"が"片想い"しているあの"綺麗な女性"も"セックス"をしています。
ここで少し雲行きが変わった。片思いだと?つまりこの文章を執筆した人間というのはこちらが一方的に相手を欲望する欲望を所有しているのである。

"貴方"にもし"年頃の娘"さんや"姉・妹"がいて、いま家にいないのでしたら間違いなく"セックス"してます。
この文章を解するには少し発想の飛躍が必要である。
年頃の娘と姉、妹がセックスをしていること、つまりそこに何かを見出したということである。間違いなく、という言葉も不思議である。今まで彼は"してます"という簡潔なもので済ませていたのに、そこに間違いなく、という言葉をすべりこませてきたのだ。私はここに彼が強烈な嫉妬を見出したと仮定したい。さて、クリスマス、キリスト降誕祭と強い結びつきがあり、嫉妬する存在とは何んであろう?

いるではないか、旧約の神が。

12月25日午前0時 隠蔽された神の欲望

神は近親相姦で繁栄を招き
教えを説いたんだ
背くな、悔い改めよと。

Killie - H19.09.07/09.17(キリストは復活する)

あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。

出エジプト記/ 20章 04-06節

ここに偶像崇拝のみによってヤハウェが嫉妬を起こす、と見るのは間違いである。これを好意的に解釈するキリスト教徒などというものは明らかに誤謬に陥っていることに気付かない。
当たり前だが、『創世記』22章1節から19節のイサクの燔祭や、かのサタンと神、創造主と被造物の賭け事の犠牲譚『ヨブ記』によって、旧約の神は"私に全的な服従をせねば、私はお前を見捨てるぞ"言っているのである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%96%E8%A8%98

(面倒なのでwikiのリンクでお茶を濁す)

この根源的に嫉妬に突き動かされた神を、イエス・キリストが新たなる解釈を携えて、ユダヤ民族でない我々に授けたということは言うまでもない。だがイエス・キリストはヤハウェを殺してはいないではないか。

12月25日午前1時 すべてを 諦めましょう。

貴方と別れたあの娘も貴方がその娘にやってきたことを別の男にやられています。

盗んではならない。

出エジプト記/ 20章 15節

貴方の将来の恋人や結婚する相手は、いま違う男のいちもつでヒィヒィ言っています。

姦淫してはならない。

出エジプト記/ 20章 14節

すべてを諦めましょう。

この全て諦める、ということに悟りのようなものを見る人は幸福だ。
次の文章が、これを全て転覆させるほどのおぞましい暴虐、隠蔽された嫉妬と服従の神の殺戮が始まることに気付かない。

12月25日午前2時 旧約の神の降臨

これは決して己れの孤独に向き合った人間同士が、連帯して孤独に立ち向かっていこうなどという、そんな文章では全くない。
そんな甘いものではない。現にここでの文章はすべて貴方という二人称でありではないのだ。ここで共に闘わせようとしている存在の相貌を描き出すのは、全くもって容易ではない。

私が掴み取ったのはただひとつ、
セックスをできない存在は全てを諦めて、セックスを拒否することによってセックスできない私という存在が敗北しないように闘争しよう、という重大な呼びかけを一瞬にして発見する
アジテート。
彼らの中に悪神が居る。
敗北を認めず闘争しようという。

12月25日午前3時 滅びるまでは気持ち良いい。

闘わせようとしている存在、一体これは、闘い抜いたあとの君たちをどう遇するか?答えは決まっている。暗闇の中に遺棄するのだと。
あのキリストが、新たな救いを持って来た以上、この闘争に身を捧げて救われる存在など全く持っていない。キリストが持って来たものは本来的には赦しと苦しみであり、政治的に発展させられた闘争などではない。
彼らの中に駆動したものは古代のユダヤの掟であり、それを引き継いだカトリックの権力なのである。

嫉妬と服従の神は"普遍"を所有する。
私に時間など関係がないのは、そういうことだ。
孤独に陥り絶望するのは君たちの役目だ。
私はその時の成果を今ここでさえ享受できる。
そして、性の6時間の文章を執筆したのは、何を隠そう。
私だ。




また、犯しつくし、殺し尽くした。
それでは、永遠の性の6時間で。










1◯歳アイドル処◯ロ◯◯ンコに無責任中◯しした後
ソー◯に◯り飛ばして売◯婦にさせたら自◯しちゃった!
ク◯マゾ◯ンコ首◯めたら◯締まるから
もっと強く締めたら人生終了しちゃった!
◯のこと好きなバカ◯ンコを知らない◯たちに
◯イプさせてあげたら◯おかしくなっちゃった!
じんせいこわしちゃった!
(詩振)



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