見出し画像

子供の巣立ちはそう遠くない

我が家の息子は15歳(中学3年生)、娘は11歳(小学5年生)になる。

正直なところ、これまで子供の巣立ちについて意識したことはあまり無かった。子供の誕生後、親と子供が一緒に暮らす毎日には、さまざまなことが起こるし、状況はいろいろ変化するし、それをこなすことに精一杯。夢中でここまできたら、子供はいつの間にか私の背を追い越すほど大きくなっていたという感じがする。

ここ最近、私は子供たちと過ごす中で、あれ?そうか、我が子の巣立ちまでがそう遠くないのでは、、と感じるようになった。この意識が芽生えた要因は1つではないかもしれない。ただ、高校受験に向けて取り組み中である息子の言動が、その1つと言えると思う。

・・15歳の息子の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
子供は、成長し大人へと成長する過程で、自分の進みたい道を選択していくことになる。息子は、まさに高校受験に向けてその取り組みをしている真っ最中だ。

数か月ほど前は、話しかけると面倒くさそうな態度で、不機嫌さがにじみ出ていた。親としてどう接するのがよいのか、何を話したらよいのかと悩ましい日々であった。その頃の息子は、思春期特有の心と身体の安定しない時期な上、思ったように成績が出せず理想と現実のギャップがあったりいて、苦しかったのかもしれない。

秋は、中学校行事も目白押し。修学旅行、体育祭、文化祭、合唱コンクールなど、中学入学後コロナ禍で行えていなかった行事も今年はある程度通常に戻った形で、中学校最後の行事を実施することができた。きっと、息子にとって得るものも大きかったのだろうと推測する。

そんな学校行事と並行し夏から秋にかけて、息子は気になる高校に足を運んで学校説明会に参加し話を聞いたり、学校の雰囲気を肌で感じたりした。息子にとってその経験は、偏差値だけでは測れない学校の魅力を感じたり、自分に合うか、通いたいかなどといったことを考える機会となったと思う。志望校調査書に書く学校名は、徐々にきちんと想いが入った学校名に変化していった。

そんな風に息子は、中学校行事と未来の高校を考える忙しくも充実した時期を過ごした。そして現在の息子は、一時の不機嫌な殻から抜け出して、本来の朗らかな明るさを取り戻していると感じる。

一方、11歳の娘は反抗期に足を踏み入れた感があり、時折、私に暴言を吐く。その様子を横で見ていた息子は、「こいつ反抗期だよな。俺はもう終わったけどな。」と自己宣言。「え?終わったの?」と半信半疑ではあるものの、確かに息子のここ最近の様子はあまり反抗期を感じない。息子は、妹の様子をみて、反抗期の先輩を自然と卒業したのだろうか。
(まぁ、もう少し様子をみようと思うけれど、、)

息子のそんな最近の言動が、子供の巣立ちの時はそう遠くないと感じる1つとなっていると思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

考えてみれば、それもそのはずで、息子も娘も、気が付けば成人と呼ばれる18歳までの折り返して地点はどちらも過ぎている。娘はもう少し先かなという感じだけれども、息子の方は実際年齢からして、18歳までもう3年も無いのだ。

私自身のことを振り返ってみると、大学生の19歳頃から独り暮らしをさせてもらっていた。早い人なら高校生の16歳から独り暮らしという人もいるし、私のように親元にいたのは18歳までという人もいるだろう。子供が親の近くにいる時間は、そう長くないということを改めて思い知らされている。

そんなことを考えていたら、以前読んだ本のことを思い出した。
「時短、効率化の前に 今さら聞けない時間の超基本」という本だ。

その本の「大切な人との大切な時間」というページ(P174~175)の中に、「わが子と一緒に過ごせる時間は?」とあり、母親は「約7年6か月」、父親は「約3年4か月」と書かれている。そして、小学校卒業の頃には一緒に過ごせる時間の半分が過ぎてしまうのだそうだ。これを読んだ時に、子供と一緒に過ごせる時間の短さにかなり驚いた記憶がある。

子供と一緒に過ごせる時間は有限であるということは頭では分かっている。だけど、その実感が生まれてきたことに少し戸惑いを覚えている。

そう遠くない巣立ちを心に置きながら、
一緒に過ごせる時間を大切にしていけたらと思う。

そんな今日この頃である。

**********************************

最後まで読んでくださりありがとうございます(*´▽`*)!

いいなと思ったら応援しよう!

shifuon
最後までお読みいただきありがとうございます(*´▽`*) もしサポートいただきましたら、勉強のための書籍代として使わせていただきます。