おじいちゃんのこと。②
2020年に書いてた日記が
下書きに入れたまんまになってたので
ぽちっと公開押してみました!
時系列バラバラだけど。
おじいちゃんの話。②
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私、おじいちゃんが死に向かっていることを、
どうしても受け入れられなかった。
考えると悲しくて、イライラした。
夜も眠れなかったり、悲しい夢をみたりした。
私の家族は6人で、おじいちゃんの息子であるお父さんをはじめ
みんながそれぞれの感情と向き合い続けたと思う。
自宅看護の看護師さんは、みんな本当に素晴らしい方達だった。
あの看護師さんたちがいなかったら、家族だけだったらとても、支えきれなかったと思う。
おじいちゃんは若くて優しい女性が大好きだから、笑
来る看護師さんとすごく楽しそうに話してた。
孫の私にも昔から話す、お得意の干支占い。看護師さんの干支を聞いて、『ねずみどしか!そりゃ几帳面な素質があるな』とか何とか。
あとは生まれ故郷を聞いて、沖縄生まれの看護師さんとはよく沖縄の話をしてた。
おじいちゃんが楽しそうだと、家族みんなほっとした。
おばあちゃんだけは、看護師さんに嫉妬して拗ねて外に行ってしまったこともあったけれど。
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おじいちゃんは、次第に食べられるものが制限されていった。
柔らかいものから、流動食へ。そのうちラコールという栄養ドリンクになり、ガンが発覚して4ヶ月後の7月には、ついに点滴のみになった。
どんどん痩せて、歩く体力がなくなっても、簡易トイレは嫌だと自分で立ってトイレにいった。
そう、おじいちゃんはすごくプライドもあって気を遣う人。
おばあちゃんに聞いた話だと、闘病生活の前までは、毎日化粧水をつけて眉ペンで眉を書いて、つるつるの頭にはトニックをつけていたそう。
なんだか可愛いなとほっこりした。
そんなおじいちゃんだから、みんながいる部屋で用を足すとか、ましてやオムツなんて絶対に嫌だったんだろうな。
家族も看護師さんも、その思いを尊重して、二人がかりでおじいちゃんを支えながらトイレに連れていった。
夜中にトイレに起きることもあったから、お父さんとお母さん、お父さんの弟(おじさん)が交互に夜勤でおじいちゃんの家に泊まって、夜のトイレや水分補給の対応をした。
みんなで、本当に家族みんなでおじいちゃんを介護する日々。
すごく変な話だけど、おじいちゃんとのお別れが近付くにつれて、残される家族はどんどん団結していったし仲も深まった。
私は、これまで絶対に親に彼氏を紹介なんてしないタイプだったのに
おじいちゃんに会わせたくて家族に彼氏を紹介する流れになったし、
父ともあんまり進んで話をする関係じゃなかったけど、おじいちゃんの件では沢山話をした。
家族LINEは毎日色んな情報交換でいっぱいで、
ささいなことも報告しあって
「こんなことあったよ」「よかったね」
「大変だったね」「お疲れ様」「ありがとう」
なんて言葉が行き交う。
それまでは家族LINEなんて、何がよっぽどのことがないと使ってなかった気もする。
おじいちゃん、ありがとうね。
みんなの仲を深めてくれて🌼