おじいちゃんのこと。①
2020年に書いてた日記が
下書きに入れたまんまになってたので
ぽちっと公開押してみました!
時系列バラバラだけど。
おじいちゃんの話。
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ずっと、書きたいと思っていて
でも思いが沢山ありすぎて
薄っぺらくなるくらいなら書きたくない..とPCに向かうまで1年かかった。
誰かの何かにならなくてもいいから、自分の宝物として、ここに残そうと思った。
大好きなおじいちゃんがくれた、大きすぎる宝物のお話。
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2020年3月。
何の持病もなく、何なら両家のおじいちゃんおばあちゃんの中でも一番元気なんじゃないかと思っていたおじいちゃんが、ガンになった。
私はもう30代だけど、おじいちゃんもおばあちゃんも4人ともまだ元気で
家族が病気になる、というのも初めてのことだった。
おじいちゃんが、お父さんの職場にまで電話をかけて『病院に検査に行きたい』と言った時、私もお父さんもまさかそんな大きな病気だなんて思わなくて、仕事中の職場に電話するなんて非常識だよ、なんて言ってしまった。
今思えば、おじいちゃんなりに今までと違う異変を感じていたのだろうに。
今思うと心が痛む。ごめんね、おじいちゃん。
そこから、ガンで、末期で、色んなところに転移していて、もう89歳だから治療のしようもない、と岩で殴られるような現実が次々やってくるのにそう時間は掛からなかった。
お父さんは明らかにショックを受けていたけど、きっとそれを悟られまいと、家族を集めて分かりやすいくらい声のトーンを上げて、病院で聞いたその現実を淡々と説明した。
私はその日、ショックで泣いた。
布団の中で、声を押し殺して泣いた。
なんで、何でよ、って。
つい数日前まで、元気そのものだと思っていたおじいちゃんの死が近いことを受け入れられるはずもなかったし、認めたらそうなってしまうようで怖かった。
ムカついた。ぶつけようのない現実に、怒りと悲しみが沸いた。
細かい症状は端折るけれど、ガンによって食道が潰れて詰まってしまうため、肉が大好きだったおじいちゃんは細かくしたものしか食べられなくなった。
それでも、その小さくした食べ物が何度も詰まってしまって、救急車で運ばれたり、高熱が出たりの日々。
たった2ヵ月で、7回ほども手術をした。担当医の先生は、色んな方法で、なるべく普通の食事をできるようにと諦めずに手術を繰り返してくれたけれど、89歳のおじいちゃんにとって、何度も高熱や吐き気を繰り返してその度に全身麻酔の手術はどれだけ苦しかったろうと思う。
それでも、文句は少ししか言わず、(少しは言ってた)頑張ったおじいちゃん。
余命はわからないんだって。
1ヶ月かもしれないし、半年かもしれない。
でもさ、長くても半年って。毎年あっという間に来ちゃうじゃん、半年なんて。
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おじいちゃんの希望と、ちょうどコロナの時期だったこともあって
入院はせずに、自宅看護することになった。
3年前に、私たち家族の家のすぐ近くに新築を買ったおじいちゃんとおばあちゃん。もう90近くなるのに家を買うなんて、、!とびっくりしたけど、その広くて綺麗な家があったから、今回自宅看護がとってもピタリとハマったのだった。
何しろ駐車場は3台付いてて、お庭付き2階建ての一軒家。
これなら、家族や看護の人が来ても大丈夫。
そんなこんなで、おじいちゃんの自宅での闘病生活が始まったのでした。