
その3 離婚した元夫との出会いから振り返る
こんにちは。あまやけいとです。
離婚した私は、色々これからつづるために出会いから振り返って書いていますが、まぁ長い。
そろそろ伝えたい内容を書きたいぜ、と思いながらも
これから離婚したい、離婚について本気で悩んでいる人に、本気でやっぱり伝えていきたいことがあるので、前提情報をここに書いておこうと襟を正す。(今日の服装は襟なし、袖なしだけれども)
第1子が生まれ、可愛くて可愛くて
産前に悩んだことが嘘のようにデレデレしました。
気になったのは、新生児期なのに
(育児書の内容に記されていることとは違い)
寝てばかりでまったく起きないこと。
授乳の為に起きることがないので、
息子は生後2週間で体重が減っていきました。
育児書ってアテにならん・・・
慌てて生後1か月も経たないうちにミルク育児に切り替え、
ホルモンバランス乱れまくっているのも手伝い
もれなく激しく落ち込み、
結構精神的にやばかったです。
鼻くそが鼻の入り口を塞いで苦しそうだからと病院に連れて行ったり、
いろんな周りの声がノイズのように過敏反応していました。
この、精神的な不安定や判断軸の乱れとかも
どこに起因しているか
後々に色々書けると思います。
さぁ、子育て。
頼りがいのない元夫とだとワンダーランド。
周りの友人は
子育てしていないこともあり、
相談をする相手もあまりいなくて
地域の子育て広場などに行き、
少しずつママ友なるのも作って
つるんだり、
出産の際に同室だったママが近所だったので
一緒によく遊んでいましたが
合わなかったなぁ~。
そりゃそうです。私が変だから。
でもママ友いない私っていうのを
周りからどう見えるかだけ気にしてた
(もう、どうでもいいやんね・・・って今は心底思ってます。)
私は同調意識もあるけれど
マウントを取るような
負けたくない意識みたいなのがあったのかなと
今は思います。
喧嘩するとかではないけど
徐々に疲弊していく感じ。
夫婦間がどうだったかは記憶にないけど
住んでいたところは騒音がすごかったのと、
間取りがファミリータイプではなかったので
またもや、元夫が見つけてきた中古マンションの
まだ人が住んでいる家を購入決定し引っ越し。
(また荷造り、荷ほどき、開梱と収納はほぼ私)
新居に引っ越して半年後には
第2子を妊娠。
今度の妊娠経過は更に悪化し
4か月半から入院して点滴治療。
1歳半過ぎたばかりの息子と離れ、
点滴はすぐに腕で漏れるので刺し直しの繰り返し、
不安に不安な出来事が加算されたので
精神状態は極限を超えたのか無。
きっと脳みそがこれ以上は無理、と
麻痺を選択していたのでしょう。
入院して治療を受けていないとどうにもならないのに
息子の寂しそうな姿を見るに見かねて実の父が
「なんとかならないのか」と激怒したり
期限つきとはいえ、終わりの見えないような日々。
そんな日々をこなして無事に出産。
でも、生まれた子は心室中核欠損症という
先天的な身体の欠陥が分かり、
産後3日のボロボロボディーに追い打ち。
やっとこれで家族4人の生活がスタートできると思っていたのに
1年以内に手術かも、
運動はできないかも
最悪の場合には・・・
などと色々言われました。
しばらく泣いて過ごしていたけど
今生きている娘を信じないでどうする、と
立ち直って日々の生活をスタートします。
(この持ち前のバイタリティに救われつつも
自分を極限まで我慢させる無理させることになる)
でも、半年以上寝たきりだった私は
階段を15段上がると肩で息をするほど、
体力も体感も完全にリセット状態。
なので子どもを2人乗せる自転車に載せても
倒してしまうくらいでした。
あぶなーーーー。
ネガティブと不安の精神状態だと
毎日に怒りや不安が溢れかえります。
だから、尚更歯をくいしばって頑張ります。
そうしないとダメだ、って思いこんでいました。
元夫の実家に、子供たちを見せにいこう。
運動して体力回復しよう
子どもの友達にママ友に気を使い、
自分の心の平安はずっと知らなかったし、おろそかにしていた。
世の中に多くいるとおぼしき
「ハッピー子育てママ」になりたかった。
子供たちはすごく可愛かったけど
家族4人だからこそ、というような
幸せを感じたことはありませんでした。
それはなぜか。
・自分の幸せが何なのか知らなかったし、考えたことがなかったから
又は、忘れてしまっていたから
・男の子と女の子を生むのが幸せ。みたいな
誰が言ったかも知らない、全く信ぴょう性もない
幸福論にあてはめることしかしていなかったから。
愚かでした。
気持ちはいつも張りつめている中での子育て。
東日本大震災の翌年に
疲れているという元夫に
ゆっくりお風呂に入ってもらおうと
お風呂掃除をして、上がってきたその瞬間、
ゲームをしていて、
泣いている子ども2人のことを見ていなかった元夫を見て
私の愛情は完全に0になり、
その時に「ぷつーん」と何かが切れました。
その後、家事はできなくなり
カーテンは開けられない、洗濯を仕掛けるも干せない
何を食べたか、何を食べさせたか覚えていない
朝は勿論起きられない
バルコニーに溜まったゴミに集うカラスを見るだけ
そんな毎日で
自分の人生を終えることばかり考えていました。
可愛い子供たちを置いて、、、
そんなわけにもいかないので
ていうか、何で私が嫌いな人の為にオイトマしなきゃいけないんだよと思い、メンタルクリニックへ。
先生から色々聞かれるから、答えると
顔を見ずにカルテにタイピング。
薬を3週間分出すからまたその頃に来て、と。
その薬はとてもとてもよく効きました。
飲んでからすぐに眠くなり
深い深い眠りにつけます。
寝ている間は幸せです。
起きると目の前に広がることに
心がずたずたになります。
なので、また薬を飲みます。
当たり前に、それじゃあ現実は変わらない。
もう今生きている現実が嫌だ
離婚したいと思って
お仕事のこととか考えていかないといけない中
顔も見ずに診察し、薬だけを出す「名医」のおかげで、
元サービス業の私は
怒りが湧き、勇気が出ました。
この人だって勉強してお金を沢山もらっているのだから、
私だってなんとかなるに違いない!
怖かったけど、
薬を全て捨てて、そこから人生を変える行動を
1つずつスタートしていきます。
※先日、クリニックの前を通りかかったら閉院していました。
専業主婦
メンタルボロボロ
コミュニケーションも取れない
できる仕事は限られ
味方と呼べる人はおらず
子どもと寝る時間が至福。
そこから2年で資格を取得して2017年に個人事業で開業。
離婚したいと伝えてから家を出るまで
すんなりスムーズにはいかない日々だったけど、
子どもの親権を持ち、2021年離婚成立。
精神的な部分はかなり改善し、今は元気な人にしか見られない
経済的にも恵まれるようになり
人間関係も好調
お互いを尊重しあえるパートナーにも出会い、
ここに今います。
はっきりと自分を認識して。
家族、お金、仕事、
まだまだ成長をめざしている段階ですし
メンタルを俯瞰できるようになっただけで、元気なだけの人なわけはありません。
でも、
離婚を実現させて
子どもたちや周りの人と過ごせている。
過去の私が欲しかった未来が着実に近づいてきています。
きっと、叶っている状態なのだと思います。
これを読んで下さっている
未来離婚をしたい方がいるなら、
「大丈夫だから心配しないで」
と伝えます。
スタバの店員さんがキラキラし過ぎているという理由で注文できなかった私が、お替りレシートまで使いコーヒーを飲んで、
元気に、笑顔で、やりがいを感じて仕事をしているのだから。
本気の決意をして
自分の至らないを直し、適切な努力をすれば大丈夫。
きっと
不安なのは生に対することですよね。
住む・食う・寝る、とそれを循環させるお金。
ここを解決していく為に
取り掛かれることも今後書いていきます。
今日はこんなところで。
文字だけだと自分がさびしーので、
旅の写真やら、好きだけど行き場のない写真を載せていきます。
今日の写真は、先週行った山梨県にある忍野八海の写真です。
忍野八海、水がキレイに澄んでいました。
名水で作ったお豆腐やヨモギ餅など
おやつがとても美味しかったです。
昔の自分には到底叶いっこないと思っていた未来は
信じて動いていく、これを読んでいるあなたも必ず叶えられます。
大丈夫、更に幸せを実感する人生になる。