「過去を気にしない都市」と「過去の遺産でいつまでも食べていこうとする都市」
結構個人的には勇気を出して書いた題名である。
「これはどこのことを言っているのか?」
私は「福岡市」と「北九州市」のことを言っている。
こういうと怒られそうだが、これは受け止めるべき事実だと思う。北九州市に生まれ育ち、関東に出たがUターンしてまで戻ってきた私が言うのだから本気で言っている。
つい先日の話、世界の最先端を知る友人と話していて「ハッ」とさせられたのがこの言葉なのである。両都市の違いはここの違いではないかと思う。
「過去を気にしない都市」と「過去の遺産でいつまでも食べていこうとする都市」
彼は東京出身で、シリコンバレーで働いた経験もあり、その後アメリカのスタートアップ事業を日本で展開している。そして今、福岡市に拠点を置き、東京やシリコンバレーの仕事をしている。
そんな彼との朝の7時から2時間ほどの話はとても濃かったし、多くの学びがあった。その中で別に福岡市と〇〇市と比べたわけではなく、福岡市が盛り上がっているというのが、福岡市は「過去を気にしない都市」だから今注目されているというのである。
「過去を気にしない都市」だから、新しいものをドンドン行っていこうとする気質がそもそもあるのだという。それに釣られて外から来た方もそこに乗っかろうとしているし、それがより加速しているし、実際にそうだろうと感じている。
次に「過去の遺産でいつまでも食べていこうとする都市」と聞いた時に、残念がら私はすぐに今住んでいる、生まれ育った北九州市のことを思い浮かべてしまった。残念ながら。
彼は別に北九州市のことをバイネームで言ったわけではなく、多くの市町村で過疎が進み衰退している地域に当てはまる事例がこの「過去の遺産でいつまでも食べていこうとする都市」なのである。
私の住む北九州市は「炭鉱の町」「鉄の街」で一斉を風靡し、その後衰退の一途を辿っている。どうしても過去をもう一度!と「モノ作りの街北九州」など過去の遺産を再利用しようとしている。
確かに北九州市は今でも超有名企業である「TOTO」や「安川電機」、それに「第一交通」や「ゼンリン」などが本社を置く。これも嬉しいことだし、誇りでもある。
小倉城も素晴らしいし、門司港レトロも気持ちが良い場所だし、若松野菜も美味しい、都市高速まで走っている。それに松本清張や銀河鉄道999の松本零士さんの作品もよく取り上げられている。歴史ある、良い街だと思う。
「でも」、である。そうなるとこの安心感などで、「他の都市とは違うよ」という優越感に浸ってしまうのではと考える。
それは最近の「日本って素晴らしいよね優越感」に浸っているのと同じではないかと感じた。最近多いテレビ番組で、日本のサービスが良い、日本のモノは良いなど、そういう優越感に浸る気持ちになる番組が多いと感じている。
では実際そうなのか?否定するわけでもないし、そういう部分もあるかもしれないが、世界はもっと先に進んでいるし、ドンドン良くなっているのだ。ここに気づかずに自己満足が進むとゆでガエル状態なのと変わらない。
もちろんそれが悪いことではないし、そういうモノ作りの気質が住む人々に植え付けられているかもしれない。でもそんなの外から見たらどうだっていいことだと直接言われてはいないが、そう感じたのだ。多分それは私も薄々感じていたからかもしれない。だから真っ先に「北九州市」のことではと私は思ったのだろう。
ではどうするのか?
私が思うに、もう過去とは決別するべきでは無いかと思う。過去を捨てて、新しいモノを作っていったほうが、結果的に良くなるのでは感じる。
なぜか?
もともと何もないところから作られているのだからである。付け足し付け足しするよりも、今からでも遅くはなく新しいモノをガンガン作っていく方が「実は」あっているし、そういう気質こそ埋め込まれているのだ。
過去を捨てるのは勇気がいるし、過去を大事にする心は大事だ。今自分がいるのは過去があったからなのも忘れてはならない。
でもである?
いっそのこと捨ててしまい、0から作っていこう。だってそういう気質こそ埋め込まれているからである。
別に福岡市と同じようになる必要はなく、あくまで別で良い。真似れるものは真似するし、そうでない別のものも作れると思う。だって今までそうしてきたのだから。この50年、100年くらいの過去よりももっと昔、歴史は繰り返されるというのだからきっと歴史は繰り返されるはずだ。
もう一度この北九州という土地で一世を風靡させたい、日本のというよりも、グローバルな世の中なので世界から注目される都市を目指そう。
「過去の遺産でいつまでも食べていこうとする都市」を止め、「過去を気にしない都市」として生まれ変わろう。
きっとそこには素晴らしい未来があるはずだ。
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