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映画『花束みたいな恋をした』に見る仕事観

※写真は 映画『花束みたいな恋をした』公式twitter より引用

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今期、大人気の映画『花束みたいな恋をした』。老いも若きも“かつての恋”を思い出しキュンキュンし、カップルで見たら別れるともっぱらの噂の、話題作。
私の周りでは、普段、恋愛の“れ”の字も口にしないバリキャリ女子にすら、遠い目をして「20代の恋愛を思い出しちゃったわ…」と言わしめたほどなので、相当な人たちに刺さりまくっている映画なのは間違いない。

有村架純演じる絹ちゃんは、みんなのいつかの“元カノ”であり、菅田将暉演じる麦くんは、みんなのいつかの“元カレ”だ。誰しも多かれ少なかれ「ああ…」と思う瞬間のエピソードがてんこ盛りである。さすが坂元裕二。脚本も演出も50代のおじさんたちが作っているとは思えないくらい、瑞々しい表現で溢れている。

さて今回は、この若いふたりの恋愛映画レビュー…ではなく、その中に見る“仕事観”という切り口でいきたい。この映画は『仕事』という視点でもガンガンに刺してくる。

以下、ネタバレを含みます。というか盛大なネタバレ構成です。まだ見てない方、ストーリーを知りたくない方はここで引き返してください。


運命の出会いから、次第に価値観がずれていくふたり

主人公のふたりは、大学生。たまたま終電を乗り過ごした駅で出会って、かなりサブカルな趣味が一致し、意気投合。さらに趣味だけでなく持ち物、行動、視点や考え方までとてもよく似ていて、ふたりはお互いの出会いを奇跡だと思う。

いきなりテンションマックスに盛り上がって始まった若いふたりの恋。次第に変化していくそれぞれの価値観とのズレに悩み、苦しみ、別れを選ぶまでの4年間を描いているのだけど、その価値観がズレるきっかけが『仕事』なのだ。

まあそもそも、大学生から社会人の境目というのが、誰しも劇的に価値観が変わるタイミングなので、仕方がない。誰も悪くない。社会的アイデンティティが確立するのはやはり社会に出てからなのだな、と思ったりもする。

就職して価値観が劇的に変わっていく麦(菅田将暉)に対して、絹(有村架純)は割と一貫している。性格の違いか、男女の違いか。

就活で圧迫面接を受け、心折れる絹に、麦が「やりたくないことなんかしなくていいよ」と言う。それから数年後、就職し仕事が忙しく、時間的にも気持ち的にも好きなものを楽しむ余裕がない麦に、今度は絹が同じセリフを投げかけるシーンがある。

本来、イラストで食べていきたいと夢を見ていた麦が就職し、絹に対して「いつまで学生気分なんだ」と思うようになり、せっかく資格をとって入った職場をやめて、派手なイベント会社に転職をするという絹に対して「好きなこと仕事にしたいって、人生舐めてんの?」と叱責するように言うようになる。

いつから、夢は夢、仕事は仕事、と線引きをするようになるのだろう

就職する前の麦は、イラストレーターを目指していて、1カット1000円でイラストの仕事を請け負っていた。ある日、さらっと3カットで1000円に値下げされ、一度は受け入れるも、それが続くことに疑問を抱き「ワンカット1000円の約束だったと思うんですが…」と発注者に伝えると「じゃ『いらすとや』使うんで大丈夫です。お疲れさまでした」と一言であっさり仕事を切られる。

この、どんどん値下げされる流れ、発注者と受注者の明確な立場の違い、さらに「”いらすとや”使うんで」という具体的な固有名詞を使ったくだりは、個人的に具体的に想像できる話なので、なかなか身につまされた。

絹が簿記の資格を取って一足先に歯科医院へ就職した。それを追って、麦も就活を始める。

就職が決まって、やっとふたり落ち着いて暮らせる、一緒に趣味を楽しめる、と思った矢先。麦の仕事が思いのほか忙しくなり、平日の帰宅が遅くなり、週末のふたりの約束がキャンセルになる。

そんな麦にやんわり不満を訴える絹。既に生活習慣にすれ違いが生じていた彼ら。またか、うんざりだ、という顔で麦が言う。 「こんなこと言いたくないけど、仕事なんだからしょうがないでしょ」。口論が増える。 そうだ。こういうやりとり、みんなしている。これまた身につまされる描写。

一方、書店で。ふたりが好きな作家の作品を手に喜ぶ絹。伝えようと麦を探すと、麦はビジネス書のコーナーで立ち読みしている。声をかけるのを躊躇う。以前なら麦が先にこの作家の本を見つけてきて、嬉しそうに絹に教えてくれていたのに。

…わかる。どっちの気持ちもわかる。個人的に、私は女性にしては仕事人間側だったので、非常に麦の気持ちがわかった。巷によくある「仕事と私とどっちが大事なの?」を男女逆転して、男性に言われたことがある。そして麦と同じうんざり顔で言ったのだ「仕事なんだからしょうがないじゃん…」と。

麦だって、それまで夢があって、イラストを描くのを仕事にしたいと頑張ってきた。就職して安心して絵が描ける、と思っていたのに画材はいつしか埃を被り、小説も映画にも関心を示さなくなり、虚無の中『パズドラ』ぐらいしかやる気がない。

夢を見ていた若者が、夢から覚めて現実を生き始める、その様子をありありと描いている。残酷なまでに。

忙しくて余裕がない。それでパートナーに寂しい思いをさせている、自覚はある。でも自分は責任をもって仕事をしているのだ。そういう自負があればあるほど、生半可に生きている(と映ってしまう)人のことを許せなくなる。わかる。

だけどね、それは、いいことなんだろうか。責任を持って仕事をするのは尊いことだけど。

さらに、麦にとって、そもそも安定した仕事をすることが、絹との暮らし、その先の結婚のためだったから尚のこと。しかし、皮肉にも、そんな麦に対してどんどん気持ちが冷めていく絹、というこれまた残酷な図式。

この映画は、働くすべての人にとっても、各所で身につまされるのだ。恋愛以外の部分でも大いに刺さる。なんなんだ、人を全方向から殺しにくる。恐ろしい映画だ。決してふわふわした若い頃の恋愛映画じゃない。えぐるぞ、えぐってくるぞ。気をつけろ。(見方次第ですけど…)

ずれ始めたら二度と噛み合わない、麦と絹の現実観

一般論だが、人生設計においては大概、女性の方が現実的な思考の傾向にある。と言われる。

親の影響(両親は広告代理店勤務という設定)もあって、早い段階から安定した就職を目指した絹。一方で夢をなかなか諦められず、一歩遅れて就活を始めた麦。この段階では絹が現実的だ。なかなか就職が決まらないので簿記の資格を取るところなんかもソツなく現実的。

しかし、就職をしてから余裕のなさからイラスト描きをやめて、小説や映画などの創作物を手放し、ビジネス書を読み、エリア担当を任せられたと今の仕事に一定のやりがいを感じ始めた麦に対し、違和感を感じ始める絹。

そんな折に、絹が選んだ転職先は、イベント会社。夢の世界を創造する魅力的なチャラいイケメン社長(オダギリジョー)に憧れを抱いたのは一目瞭然だ。

確かに、同年代の彼氏に対して少しずつガッカリが蓄積していく日々に、キラキラとビジョンを語るちょっと大人のちょいワルな男性に、惹かれない若い女性はほぼいないだろう。恋愛的な意味があろうがなかろうが、そういう男性は魅力的だ。

これは特に具体的な描写はなかったけれど、映画ラストの別れた後のふたりのやりとりの中に、麦に対して「一度くらい浮気したでしょ?」と絹が言い出すシーンがある。「え?ないよ」と驚く麦に「ふーん」と含みのある返事をする絹。一見絹が麦に対して疑っているような言い回しだが、ここで多くの女性は「…なるほど(ニヤリ)」となったことでしょう。

また本作では、静岡のハンバーグチェーン店『さわやか』が、そこそこキーとなる形で登場する。静岡県民としては嬉しいポイントである。一度ふたりで食べに来たのだが、待ち時間が長くて諦めたというシーンがあり(この描写もリアル)、その後、仕事で静岡に来た麦が先輩と食べたことを、白状するように伝える。申し訳なさそうに「今だから言うけど、俺、実はあの後さわやかのハンバーグ食べた」と言う麦に「私も食べた」とあっけらかんと返す絹。それまでの絹ならもうちょっと気を使った言い方をしていただろうに…、この対比も、一瞬ながら秀逸な清々しいまでの現実感の表現。

そもそも別れに至ったのも、麦は『仕事で収入が安定するから結婚したい』という現実的思考なのに対して、絹の『もう気持ちがないのに一緒にいられない』というのも、これまた現実的。どちらかが曖昧に夢を見ているのならともかく、現実感の相違なのだから、もうどうにもならない。これまた残酷です。

好きを仕事にしたいと思うのは、人生舐めているのか

印象的なセリフが数々ある中で、これは就職して以降の麦の仕事観を現しているひとこと。

「好きなことを活かせるとか、そういうのは人生舐めてるって考えちゃう」

好きなことを活かせる職場だから転職する、と言う恋人・絹に対して、基本的に優しいはずの麦が強くこう言う。ここからふたりは決定的にずれていくのだけど。

これは、好きなことを仕事にすることを諦めた麦の、自分自身を最大限に肯定する言葉だったんじゃないか。

絹と一緒にいるために、好きじゃない営業職で就職して、そこに邁進する麦。

描いていた夢とは違う場所だけど、その置かれた環境で人の役に立ち、仕事ぶりを認められ、徐々にやりがいを感じ始めた麦の、自分のこの選択に間違いはなかったのだ、という、悲痛な叫び。

絵を描く夢は手放した。絹と一緒に居続けるという、もうひとつの夢のために。「僕は君のために夢を諦めたのに…」という気持ちもあるから。だから、絹を否定するようなことを言ってしまう。(ただ、それは絹の希望ではないんだけどね…)

多くの夢追い人が通る道。

ここ近年、強すぎる「好きを仕事に」という風潮のせいか、そういう若き起業家の台頭が目立つせいか、「非常に夢見がち」か、もしくは反対に「ものすごく安定志向」か(この、麦みたいに)の二極化が進んでいた気がする。

ただ、好きなことを仕事にする、よりも、仕事の中に好きを見つける。その方が近道だ。
あるいは、自分ができる範囲の中から好きなことを見つける。そっちの方が現実的だ。

例えば、ハリウッドスターになってたくさんの人に夢を与えたい、と演技の練習を始めるよりも、目の前のお客さんの希望を叶える接客業の方が、結果的にたくさんの人に夢を与えられるかもしれない。

もちろん、大きな夢を描くことを悪いと言っているのではなく。選択肢がたくさんあることに気づくことで、救いにもなる。

目的と手段の話で、成し遂げたい目的が明確であれば、手段はいろいろあるはずだ。
「好きなこと」って大体の場合、手段だ。もちろんプロセスも大事だけど、結果が虚無だと、好きなことも虚無になっちゃうんだぞ、と、それなりに長い間、それなりに好きなことを仕事として働き続けている私は思った。

仕事観を創作物から得る面白さ

仕事をテーマにした映画や小説、マンガは多い。

『半沢直樹』なんてその筆頭だし、個人的には見たことはないけど『課長・島耕作』とか、女性向けなら『働きマン』、古くは『ナースのお仕事』なんかもそうかもしれない。

自分の働き方や今後のプランなんかを考える時に、実際に成功者が書いているビジネス本はガイドになりやすい。劇中でも麦が、前田裕二の『人生の勝算』を手にする、なんていう、その辺りのニュアンスがわかる人なら思わず苦笑いしてしまうようなリアルな描写がある。

しかし、こういうフィクションでも、フィクションだからこそ、リアリティのある誰かの仕事観を垣間見られるのかもしれない。参考になるのは、なにも若き有名起業家の、華々しい成功だけじゃない。 もがき苦しみ、そうやって折り合いをつけていく、たくさんの名もなき働く人々の仕事観。時にはそういう視点で、映画や小説を見てみるのも面白いのかもしれません。

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shiri
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