「新型コロナ 対策奮闘記」第1回 2月27日(木) ロンドンにて
■第1回 2月27日(木)
大前提としてこのコロナ騒ぎの最中、実際に患者になった人のnoteは見るし、医療従事者の投稿は多く見る。ただ、経営者として従業員を守る立場、数字・従業員の雇用の責任を負っている意思決定者のnoteは無かったと思うので、まだまだ続くコロナ対策の一つの経営者の指針になればと思い、書き記していくことにした。
当然ながら、対応が遅すぎる、または対応していない、と言うことは多々あり、何事も初めての経験で落ち度がある事はご了承頂きたい。
■第1回 2月27日(木)
当然、1月初旬から新型コロナウイルスが中国武漢で発生し、社会問題になっていたのは知っていた。
当時、僕は海外IRと語学研修の為にイギリスのロンドンに1ヶ月ほど滞在していた。毎日イギリスのBBCでは新型コロナウイルスについては、報道されていたし、この話題で持ちきりだった。
ただ、この時の僕は、まだジョージ・クルーニーに似ているレポーターをクラスメイトと弄って楽しんでいる位、気楽な気持ちだった。
日本でも新型コロナウイルスは今と変わらず話題だったとは思うが、あくまでインフルエンザの延長線上であり、30℃以上、湿度50%以上で死滅はするので、春には改善されて戦いは終わりだろうと皆が思っていたと思う。
さらに、日本から1万キロ以上離れたロンドンでは少し現実から遠い印象だったし、僕が経営しているSHIFTでもまだ特に大きな問題は起こってなかった。
当時を振り返ると、ロンドンではまだ感染者は出ておらず、2月初旬に初めての感染者が出た時に、目の前に座っていたイギリス人の先生がかなり動揺していたのをよく覚えている。
写真は当時のクラスメイト(イタリア、ウクライナ、サウジアラビア、ブラジル、チリと世界中から学びに来ていた)と先生(ケンブリッジ大学卒業だと言ってたかな)
話は逸れるが、当時はブレグジットを正式にするタイミング。当日の1月31日(金)は、僕はまだロンドンにいたが、十分に準備期間を得たブレグジットは静かに何も無かったように迎えられている印象だった。
語学研修が終わって帰国するイタリア人も、ブレグジットの影響で当日に帰国するのは混乱するかも知れないから、帰国日をずらすと言っていた。まさか、今のような状況になるとは。
当時の僕らの会話も、ボリス・ジョンソン首相が公約を守らず首相になったとか、ロイヤルファミリーの離脱だとかそう言った話題がメインだった気がする。
因みに、海外IRをしている間に、たまたまバッキンガム宮殿の目の前に信号待ちしていたら、運転手から隣にチャールズ皇太子がいると教えてもらった。(隣を見たら本当にチャールズ皇太子がいたのには驚いた。)そのボリス・ジョンソン首相もチャールズ皇太子も今や新型コロナウイルスに感染し、発症している。
ロンドン滞在が終わり、2月16日(日)に成田空港に帰国した。当然、その時にはもう日本では新型コロナウイルスに関する報道で溢れていた。ちょうど、ダイヤモンド・プリンセス号が渦中だった。
実は僕も、本当にこの状況で日本に帰って良かったのか、日本は安全なのか、入国出来るのかと不安があった。しかし、1ヶ月以上も離れて暮らした家族も、SHIFTの従業員も心配だったので、思い切って帰国した。因みにロンドン市内や空港の薬局でマスクを探したが、そんなものはイギリスには無いと店員に言われたのが印象的だった。文化の違いなのか、ウイルスに慣れてないのか…。
到着した成田空港は思いのほか、検疫もしておらず、すんなり入国できた。今考えると有り得ない事である。それでも、心配だったので出来るだけ人を避け、Uberを呼んで自宅まで帰ったことを覚えている。
そして、久しぶりに出勤したのが2月17日(月)だった。何事もなく過ぎる日常で、SHIFTの従業員は淡々と業務についてくれていた。でも、僕がロンドンにいて、何も新型コロナウイルスの対策指示が出来なかった事が少し申し訳なかった。
そして、2月27日(木)
この日が、僕にとって新型コロナウイルスについてはじめて真剣に考えさせられる日になった。
第15回の新型コロナウイルス感染症対策本部において、安倍晋三総理が突如「全国全ての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について、来週3月2日から春休みまで臨時休業を行うよう要請した」
これを聞いた瞬間、「事態は深刻だ。これから恐ろしい事が起きる兆しだ」と感じた。これは経営者としての勘だった(今思えば、もっと早くに徹底的な対策をすべきだったと反省はしている)。
そして、翌週明けの3月2日(月)から会社として早々に何かを対策しないととも思った。当然子供を抱えた従業員が困るし、そもそも新型コロナウイルスは日本を潰しかねないと…。