【極論】今の時代のゆたかさって…
緊急事態宣言が解除され、社会活動が正常化に向けて進もうとする中で、こんな記事が目に留まった。
コロナ状況下のストレス
テレビの作り手側の人が書いた記事のようです。
不特定多数の誹謗中傷があったこと、テレビの演出についてなどが記されています。
この記事によると視聴者の感情の振れ幅がおおきくなるよう演出されているようです。
私はテラスハウスも見ていませんし、亡くなった方もよく知りません。
しかし、記事を読んで想像し、感じることはあります。誹謗中傷に心を痛め亡くなった方をの想いを想像すると何とも言えない気持ちになります。
私には、亡くなられた方には御冥府を御祈りすることぐらいしかできません。
コロナ禍での社会のストレスが加速しているように思います。
この出来事を胸に留め、未来に向けてできることはあるように思います。
突然残された遺族
また、遺族の方の想いを想像すると何とも言えません。
私は小学生の時に突然、父親が亡くなりました。春休みのことでした。前日まで本当に元気で、その日も父は朝から仕事に行ってたと記憶しています。事件や事故ではない突然の死でした。
前の日には想像もしなかった出来事が突然起きて、とても現実とは思えず受け入れられません。
記憶にあるなかでは身近な人が亡くなるという出来事は初めてだったように思います。
入院などがあれば、気持ちを準備できる時間がありますが、突然の場合は受け入れる準備が出来ません。
父の死を受け入れるにはしばらくの時間がかかりました。
遺族の方々も同じ思いではないかと思います。
そして亡くなった理由を想うと余計に受け入れられないのではないでしょうか。
ストレス社会
今の社会はストレスが蔓延しているように思います。ちょっと前のニュースで小学生の抱えるストレスが大きくなっているというのを見たような気がします。
私の記憶では、バブル崩壊あたりから社会のストレスが大きくなっていったように思います。
インターネット技術が発達するにつれ、よりストレスが大きくなりスマホの普及によって社会のストレスは加速していったと体感します。
社会的な漠然とした不安、情報の氾濫、日本特有の社会の同調圧力。個人としての存在意義、居場所などが関係しているのではないでしょうか。
テレビのあり方
テレビやその他のマスメディアもあり方が問われているように思います。
社会の効率化の流れなのか、目的が数字にとらわれすぎているようにかんじます。手数をかけずに結果を求める。
ニュースなら裏取りや検証を十分に行わずに結果ありきから逆算した報道などが増えているように思います。
この記事にあるバラエティの演出も同じ方向性のような気がします。
ネット社会の功罪
最近テレビを見ない人が増えているらしいです。私の周りも増えてます。テレビの内容も原因のひとつだとは思います。しかしテレビや新聞を見ない人々は情報の偏りが大きいような気がします。
ネットやSNS中心だと自分から取りに行く情報が中心になり、自分自身の嗜好性が色濃く反映されます。
気をつけて色々な情報を取り入れないと視野が狭くなりがちではないでしょうか。
また、新型ウイルス感染症による緊急事態宣言の状況下で、人々のストレスもかってないほどに溜まり、大きくなっている。
ストレスが自分の正義の客観性を失わせる。そのようなことが起こっていると思います。
社会の同調圧力
ネットで誹謗中傷する人たちがあとをたたないです。誹謗中傷する人たちを罪に問うのに異論の余地はないと思います。賛成です。しかし罪を起こす下地について考える必要があります。
そして、こんな記事が目に留まりました。
社会やコミュニティに過度に依存せずに、社会と自己を共存共栄させることがゆたかさなのではと思います。
コロナ以降、時間が加速
コロナ以降は、社会の様々な出来事や、社会の環境の目まぐるしい変化によって体感的な時間の流れが速くなっているように思います。
それに加えて先の見えない不安感、変化に対応するためにストレスがこれまで以上に増えているように思います。個人のストレスと社会自体もストレスを抱えているように感じます。
コロナ以降の今は体感時間の流れが速い。そう感じます。そのような今のネット時代に対応した大人として自らが変革できるのか。この時代を生きるためには問い直す必要があると考えます。
コロナ以降 ゆたかさって何だろう
不安によるストレスその答えは社会に対する余裕。
ストレス自体は必ずしも悪くはないと思います。
適度なストレスは物事を進めるように思います。
過度なストレス。限度を超えるストレスは問題を引き起こすように思います。心理的余裕や時間的余裕。それによって余裕のある社会。
寛容なる社会がゆたかさなのではないかと考えたりします。
今あらためて、ゆたかな社会のあり方を問い直す時なのではないでしょうか。