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6-2 家を丸ごと掃除したい

 さて、女手のいない実家で里帰り出産すると腹を括り、旦那(とモルモット)ともども実家に居座った私は、妊婦だからゆっくり…なんてしていられなかった。まだ出産予定日まで二か月ちょっとある。その間に、この猫毛と埃と不用品まみれの実家を綺麗にするのだ。さもなくば、猫アレルギーの旦那がダウンし、新生児は埃に埋もれるだろう。私は両手をまくった。

 父の名誉のために言っておくと、家が汚かったのは父のせいではない。父は父なりに掃除していた。ただ、母が物を捨てられない人で、家は不用品で溢れ、部屋によっては足の踏み場がなかった。おかげで掃除機もかけにくく、猫毛も埃もたまり放題だった。

 ひとまず、台所とダイニング、リビング、寝室を綺麗にした。ピカピカにしたわけではないが、とりあえず不用品をどけ、埃と猫毛を払い、暮らせるようにした。旦那と私は二階で寝ていたので、私は毎日、二階へ重たい掃除機を持って上り下りを繰り返す羽目になった。この後分娩についても書くが、この運動のおかげで、初産婦にして6時間という安産だった。ただ、階段を重い掃除機を持って上り下りするのはやはり妊婦にはリスキーなので、人にはお勧めしない。

 「不用品」と言っても、そこには母の思い出が残っている。単なる「ゴミ」ではない(「なんでこんなもの取っておいたの!?」と叫びたくなるゴミもあったが)。中には私が子供の時に着ていて、まだ着られるお洒落着などが残っており、それは持ち帰ることにした。それは今でも我が家にあって、娘が友達とおままごとをするのに着て楽しんでいる。そんな感じで掘り出し物もあったため、母の遺品というか、不用品というか…の整理は一気には進まなかった。それでも少しずつは片付いていった。


 整理整頓、掃除はそんな感じでマイペースに進めていけたので、妊婦でもなんとかできた。しかし、実家内には埃より妊婦の体に悪いことがあった。それは祖父と父のいざこざだった。

 別にどちらが悪いという話ではない。恐らく、元々の性格の折り合いが悪かったのだ。でも、時代が時代なので、長男である父が同居せざるを得なかった。時代のせいだった。ただ、当事者たちは「時代のせい」などと言って流してはいられず、父と息子のガチンコ勝負が、日々繰り広げられていた。

 ただでさえ、最愛の妻を亡くした直後である。父がイライラするのも仕方がなかった。おまけに、残ったのは折り合いの悪い父親(と猫二匹)だけ…(臨時で娘と婿とモルモットが居座っていたけど)。それで喧嘩するなという方が無理なのだが、それでも、私にはその毎日の喧嘩が辛かった。つられて、私もほんの些細な事で、怒ってしまうことがあった。確か、菜箸を巡って祖父に怒ってしまったことがあるが、詳細は覚えていない。覚えていないが、菜箸である。なんと些細なことか。おじいちゃん、ごめんなさい。


 私が幼い頃、男性陣が家事をやっているのは見たことがなかった。父は仕事も忙しかった。しかし、時代の価値観が徐々に変わり、母がパートで働き始めて、少しずつ、祖父や父も家事に手を出すようになった。そして、祖母が亡くなったのが恐らく決定打となり(高校卒業で家を出たので、よく覚えてないけど)、男性陣も家事をするようにはなっていた。主に、祖父が洗濯物を、父がご飯を炊いたり、味噌汁を作ったりしていた。

 それでも、祖父は時々洗濯物を干すのを忘れるし(年だから仕方ない)、父もまだ働いていたので、居候の私が家事をすることが多かった。洗濯、掃除に、料理…人数も旦那と二人だけでいるアパート暮らしの倍である。「アパートで旦那といるほうが楽だ」と嘆きたくなったこともあるが、まあ、残った祖父と父への孝行だと思うことにした。

 しかし、これも後に気づいたことなのだが、「『料理とか家の仕事は女の仕事』って言われるのが嫌」とキャリアウーマンを一時期目指した私だが、結局、一番「家のことは女の仕事」に縛られていたのは、私だったのかもしれない。素直に、「妊婦には辛いです」と言って、祖父や父に甘えることもできたはずなのに、「やっぱり女の私がいなけりゃ、回せないでしょ」としゃしゃり出て、それで自分のプライドを保っていたように思う。そうして、実家の家事に余計なほど手を出して、勝手にイライラして、怒って…本当は二人の喧嘩も、私は第三者だから受け流すこともできたのに、勝手に間に入って勝手にイライラしていた。祖父と父には迷惑をかけた。しかし、それにしても、母はあの二人の間で、よくやっていたものだと感じた。祖父も父も猫好きだったので、猫もある意味、いい緩衝材になっていた。掃除大変になるけど。

 ちなみに、モルモットは二階の一番隅の部屋に隔離して飼った。猫は入ってこないように、扉の開け閉めには細心の注意が必要だった。しかし、猫の方もなかなか頭がよく、二匹いる内の一匹が、「そこの部屋は前まで自由に出入りできたのに、なぜ最近は入れないのですか?そこに何か面白いものでもいるのですか?」というような目をして、虎視眈々と侵入のタイミングをうかがってくれた。それこそ目つきだけは虎だ。おかげで、エサを運んでいったり、ケージの掃除をしたりするのに扉を開ける時には、この猫と攻防戦をしなくてはならない。余裕がある時には面白い猫なのだが、大抵余裕がないので、これも微妙なストレスになった。


 そんなこんなでストレスはなかなか多かったものの、炊事洗濯などで足腰を鍛えられた妊娠後期だった。「きっと早く生まれるに違いない」と思い、妊娠で坐骨神経痛になった私は「早く出て欲しい」と期待したが、思いのほか赤ちゃんはお腹の中で粘った。

 「いつ生まれてくるの?」と、日付を順番に言いながら胎動キックを待ったが、返事はなかった。「もしかして、秘密?」と聞いたら、ぽこんと蹴られた。お茶目な子。ちなみに、今でも「えー、秘密♪」とよく言うが、顔に書いてあることが多いので分かりやすい。

 しかし、「ヒ・ミ・ツ」と赤ちゃんに言われても、いい加減お腹が重くて辛くなってきた私は、早く生まれてほしいとインターネットで色々陣痛を起こす手立てを調べ始めた。その中に、「大潮の日に生まれてくる子が多い」という噂を見つけた。

 折しも、出産予定日の翌日が大潮だった。出産予定日の前日に陣痛のようなお腹の痛みに襲われ、病院に行ったものの、結局前駆陣痛で帰され、出産予定日当日は検診だけで終わってしまった。そして、迎えた、大潮の日。二月の、満月の綺麗な、寒い冬の日だった。


 …ちなみに、ネットに溢れる「陣痛を起こす方法」の中には、「ネタでしかないだろ」系も多い。「焼肉を食べる」とか「オロ〇ミンCを飲む」とか、私もネタついでにやった。「オロナ〇ンCは高いから、デ〇ビタでもいいかな!?」と旦那に相談したが、「…好きにすればいいよ」と言われた。デカ〇タでは陣痛は来なかったが、多分、オ〇ナミンCでも来なかったと思われる。

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