9-1 そこにいるのは誰ですか?
胎内記憶や占いなど、「見えない世界」を信じるようになった私だったが、まだ「確信」には至っていなかった。私はいわゆる「霊感」があるわけではなく、通常見えないはずの存在を、直接見たり、声を聞いたりしたことがなかったからだ。それに、胎内記憶の話を信じても、自分自身は母親の胎内にいた時の記憶も、前世の記憶も(その時点では)なかった。
それが、「確信」に変わった出来事がある。産後鬱で娘が0歳代の時の記憶があまりないが、これだけは今でもはっきりと覚えている。まだ赤ちゃんだった娘が、寝室の天井の一角を、やたらと気にしていたのだ。泣いている時間の方が多い娘が、そこを見つめている時には、いつもニコニコ笑っていたのだ。ある程度大きくなると、今度はそこに向かって手を振るようになってきた。
いる。誰か見えない人(=幽霊)が、絶対に、いる…
よく、小さい子が何もない空間を見つめたり、手を振ったりするという話を聞くが、まさにそれだった。旦那も娘のこの様子は目撃している。旦那も見える体質ではないけれど、「絶対誰かいるよね」と話していた。
「きっとばぁば(=私の母)だ」と思った。思い込もうとした。ばぁばじゃないと怖いし(笑)。そんなわけで、私は寝室天井の一角に度々現れるその見えない人を「ばぁばだ」と決めつけ、日本語にならぬ言葉で「うーうー」言い、ニコニコと手を振り続ける娘に、「ばぁばが遊びに来てくれたねぇ」と言い聞かせた。半分は自分に言い聞かせてたようなものだけど。まあ、私が大学院生の時に亡くなった祖母かもしれないし、赤の他人の幽霊だったとしても、娘があれだけ嬉しそうにしているんだから、悪い人ではないだろうと思ったけれど。
やがて、娘はその天井を指さし、拙い言葉で「ばぁば!」と言うようになった。生きている「じぃじ」より早く言えるようになってしまった。まあ、「生きているじぃじより、ばぁばの方が先だった」と言うのは、ネタとしては面白いのだが、もし、天井の片隅に遊びに来てくれるその霊が「ばぁば」じゃなくて、通りすがりの赤の他人だったらどうしよう、という思いもよぎった。
そこで、私は母の写真を娘に見せてみた。それまで、母(=ばぁば)の写真は、娘に見せたことがなかった。写真を見せて、私は「この人、だれ?」と娘に聞いてみた。
娘ははっきりと答えた。「ばぁば!」と、嬉しそうに。
私は確信した。天井の片隅に遊びに来てくれているのは、間違いなく死んだ母であり、母は私や孫を見守ってくれているのだと。そして、やはり「見えない世界」というものはあるのだということを。