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6-3 分娩イルカ事件

 「お腹が…痛いぞ!?」と私は早朝3時に目が覚めた。出産予定日の翌日、例の大潮の日だった。その前々日には前駆陣痛があったが、前駆陣痛とは比べ物にならないほどの痛みだった。これが…これがかの有名な陣痛か!?

 時計を見て陣痛の間隔を計ると、3分おきだった。慌てて隣で寝ていた旦那を起こし、病院に電話した。「陣痛のような痛みがあって…うっ…3分おきなんですけど…うぅぅぅぅ~」と電話口で説明したら、向こうから、「入院だな、こりゃ」と小声で他の看護師さんと話す声が聞こえた。いよいよだ。いよいよなのだ。

 着替えたりして身支度をし、「ちょっと産んでくる」と祖父と父に言い残して実家を出たのが午前6時ちょっとすぎ。旦那に運転してもらったが、満月がまぶしいほどに明るく、綺麗な日だった。小雪も舞っていた。

 病院までは車で5分。激近。時間外出入り口に回ってインターホンを鳴らしたのだが、インターホン越しに、「はい、お入りください…あれ?扉が開かない。ボタンが…あれ?壊れたかな?」と看護師さんが遠隔で苦戦している様子が伝わってきた。私は扉にすがりついてうずくまった。痛い。痛いよ。寒いし。早く開けておくれ。生まれちまう。

 結局、看護師さんがナースセンターからわざわざ降りてきてくれて、手動で扉が開けられた。そんなに長い時間ではなかったはずだが、私には永遠の時のように感じられた(言い過ぎ)。


 その病院はまだ新しく、陣痛室と分娩室が一緒になった、最新の何とか室というのが売りだった(名前覚えてない)。ベッドの上で陣痛が進むのを待ち、いざ分娩となると、ベッドがガシャンガシャンと戦隊物のロボットのように組み替えられ、あっという間に分娩台に早変わりするのだ。部屋の移動をしなくて済むという妊婦に嬉しいシステム。それと、部屋の中にはテレビのようなディスプレイがついており、それをつけると、イルカの映像が流れた。事前の見学会で見させてもらったのだが、その時には、「このイルカの動きに合わせて呼吸をすると、穏やかに陣痛が促進される」システムだとか何だとか説明された。


 入り口で待たされた時には、「生まれちゃう~」と思ったが、今思えばあの時はまだ余裕だった。部屋に通され、私がベッドに横になると、旦那がいそいそと周りを物色し始めた。まるで、旅行でホテルについてすぐ、楽しげに「ここがトイレか」などと探検するかのようだった。「遊びに来たんじゃないぞー」とぐったり横たわる私を見て、旦那は今度はニコニコとビデオ撮影を始めた。それに突っ込みを入れる私。まだまだ二人、余裕だった。

 事態が急変したのは、7時に朝食が運ばれて来てからだった。食欲はあまりなかったが、「食べられる内に食べておかないと、陣痛を乗り切る体力が持たない」と事前に情報を得ていたため、それまで横たわっていた私は、無理にでも食べようと起き上がった。

 すると、重力に赤ちゃんが負けたのだ。

 一気に降りてきたのが分かった。お尻の穴が押される感じがする(食事中の方は、この先ご遠慮ください。っていうか、食事中に読まないでください)。出る。何か出るぞ!?私は旦那に叫んだ。「助産師さん呼んできて!」

 この時、事前に本で、「テニスボールをお尻に当てると、楽になる」と読んだので、私はボールを準備しており、旦那に頼んでそれをお尻に当ててもらっていた。確かに楽になった。むしろそのボールがないとめちゃめちゃ辛くなるので、助産師さんを呼びに行こうと勢い余ってボールも持って行っちゃった旦那に対し、私は「ボールは置いていけぇぇぇッ!」と怒鳴った。理性崩壊。そう、分娩とは、本能で行うものなのだ。そこに冷静さはいない。

 それまでは「いたーい」と可愛く言う程度だったのに、突然「あぁぁぁぁぁ!何か出るぅぅぅぅぅぅ」などと妻が叫び始め、容態の変化に旦那は驚いていたが、助産師さんは慣れたものなので、「あぁ、いい感じに進んでますね」とさらりと言って、少し準備を始めたようだった。

 旦那に助産師さんを呼んでもらってからは、私はよく覚えていない。ただ、旦那が助産師さんに頼んで、ディスプレイにイルカを出そうとしていたのははっきりと覚えている。例の、一緒に呼吸をするといいというイルカだ。しかし、調子が悪かったようで、なかなかイルカが映し出されない。「あれ?おかしいわねぇ」などと言いながら、機械ばかり見ている旦那と助産師さんを見て、「イルカはもういい」と心の中で、私は力いっぱい叫んだ。いや、心の中だけでなく、実際に叫んでいたかもしれない。


 後に旦那に、なぜあんなにイルカにこだわったのか聞いてみた。「え?折角じゃん」と言われた。妻が断末魔の叫び声をあげている初産で、冷静なのか何なのかわからない夫である。


 そこから先のことは更に覚えていない。会陰を切ったのは覚えている。「会陰はなるべく切りたくないです」と事前にバースプランで助産師さんには伝えておいたが、切られた。医者に「切ります。いいですか?」と尋ねられたが、あの状況下で断れるはずがない。「早く出せるなら切ってくださいぃぃぃ」という、まな板の上の鯉である。

 あと、私は腰痛持ちなので、分娩台の上で腰が痛かったのも覚えている。体力が続かず、「はい、いきんで!!」と助産師さんに言われても、最後のほうは力が入らなかった。それでも、スパルタで「もう少し!はい、いきんで!」と言われ続け、危うく赤の他人に「少し休ませろって言ってんだろ、ぼけぇ」と叫ぶところだった。分娩は人としての理性が試される。


 そんなこんなで、午前十時ちょっと前、娘、誕生。私には果てしなく長く感じられたが、初産にして陣痛開始から六時間という安産だった。掃除機で鍛えたかいがあった。

 カンガルーケアを希望してあったため、私は生まれたばかりの娘を胸の上に乗せることができた。思った以上に軽くて、もろそうで、私はこわごわとおっぱいを吸わせた。まだ出ないそのおっぱいを、娘はちゅっちゅっと吸ってくれた。可愛かった。「母のために産んだ」とか、そういう気持ちはもはや一切なく、ただただ純粋に「産んで良かった」と思えた。

 そして、私はこの後、出血多量で、生まれて初めて貧血でぶっ倒れることになる。そのせいで、旦那は朝ご飯を食べそびれた。ドタバタな幕開けだった。

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紫枝(しえ)
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