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OLを少しお暇いたします〜序章〜


このタイトルのマガジンで自叙伝というか今までの私の人生を
作品として纏めようとして
だいぶと時間が経ってしまいました

初めにいいねをいただいていた皆様
大変お待たせをいたしました。すみません。

改めまして、
初めまして。
bellと名乗らせていただきます。
1988年生まれの
ギリアラサー範囲の独身女子です。

えーっと、
この度、OLを少しお暇することになりました。

理由は長期にわたって患っていた
適応障害に分類されるあらゆる諸症状が増悪し、
限界をむかえ、仕事どころではなくなってしまったからです。

このマガジンでは
そんな私の今までの人生を
そして、今後の生き方について幾度かに分けて
綴らせていただこうと思っております。

不定期更新になるやもしれませんが、
何卒、お付き合い頂けましたら幸いです。

では、序章を。

地元の高校を卒業、大学も無難に卒業し、
なんとか(無難に)企業へ就職。

勉強は得意な方ではありませんでした。
本当か嘘かはわかりませんが、
幼稚園に入園する時の知能テストの成績がよかったことを
喜んだ母は私はできる子であると思い込み、そう育ててくれました。

そこから私は母の期待に応えるために
必死に、できる子であるように
家でも外でも務め、人生の道のりを歩んできました。

冒頭お話した通り
私は勉強が得意な方では決してありませんでした。
運動も、並程度。

しかし
幼い頃の刷り込みほどこわいものはありません。

出来る子であるべきで、そう見られなくては恥である
無意識に、潜在的にそう思い込み、振る舞うようになるのです。
そして、度々訪れる等身大の現実の自分とのギャップに
深く傷つき、自覚を避け、
最終的には傷つくことを恐れるために、繕うことを覚えるようになりました。

加えて私は、おそらくですが
生まれ持って、
HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン/Highly Sensitive Person)
という感情的にも五感的にもとても敏感で、不安や恐怖の刺激を受けやすいという特性を持っているタイプに当てはまるんではないかと思っています。

自分が抱く刺激に対する強い感情と周りの反応とのギャップにも
とても苦しむようになり
その苦しみを避けるためにもますます取り繕うようになっていきました。

しかし、成長の過程で
繕いは徐々にほころび始めます。

大学生になって始めたバイト。
自意識はみんなができることだからできてあたりまえ。
でも現実は役に立たない。
さらに繕おうとするから もう大人には見抜かれてます。
そしてその見抜かれにHSPの私は敏感に反応をしてしまいます。

ストレスという言葉にすれば
もうそれはストレスだらけでした。
時にはその苦しみから逃げ出すことさえありました。

でも、繕いは苦しみや悪いことだけを形成していったわけでは決してありません。
その過程で、理想に近づくために、真摯に真面目に努力するという
自我を形成してくれました。

そしていよいよ社会人になっていくわけですが、
今日はここまで。

次回は就活以降のお話をと思っております。
序章の今回は自分の人生を成長の過程を軸に綴らせていただきましたが

そうやって生きづらく生きてきたんですから
周囲と自分の馴染めなさだったり、いじめににたことを受けてしまった
経験もあります。

以降はできるだけそういったエピソードも踏まえながら
徐々に
綴っていければと思います。

体調の面で不定期な更新になると思います。
もしよければフォロー頂けましたら幸いです。

私の人生が、
今日も頑張るあなたのためになりますように。

どうぞよろしくお願いいたします。



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