[カナダ暮らし] 死との向き合い方に戸惑う
(約900文字)
先日、知人が亡くなったと知りました。
50歳でした。
息子君の10才の誕生日に亡くなったそうです。
彼女のSNSを通して、1年半前にステージ3の癌が発見され治療中、とは知ってました。手術は成功したらしいし、最近は回復に向かってるとばかり思っていて、少し落ち着いたら、この前作ったぶどうジャムを持って見舞いに行こうと思ってた矢先でした。
なんか、自分の呑気さに嫌気がさします。
まさか亡くなるとは思ってもいませんでした。
彼女とは、20年前くらいの数年間かな、娘が生まれる前、交流がありました。
その頃詩を書いていた彼女とは、フランス語のクラスで友達になった子を通して知り合いました。他にも小説書く人や、音楽家など、数人の集まる会に、私も紛れて、お酒飲んだり、ご飯食べたり。
しばらくすると、集まるメンバーに子供が出来始め。私にも娘が生まれ。そうして子供中心の生活になってしまったみんな。集まる機会も自然に消滅。
そして数年後、彼女に子供ができた後も、距離は縮まることはなく。
そして時ばかりが過ぎてしまったようです。
友人と呼ぶべきか、それとも知人か?昔の友かな。
どちらかと言うと、友の友的な位置かも。そういう微妙な距離ってあるじゃないですか。そういう人が亡くなった時、自分はどう立ち回るべきなのでしょう。よくわからないのです。
彼女は私のことをどう思ってくれていたのか、今となってはもうわからない。
亡くなる10日間前。彼女の親友と思われる人が、募金を募っていると連絡してくれたので、少し協力はしておきました。でも、正直なところ、いくらなんでも大袈裟なんじゃ…なんて思ったくらい。
まさか、こんな急展開になるとは。
もし、みっともなくお金にケチってたら、絶対今頃ひどく自己嫌悪に陥ってたことでしょう。
最後の最後に、最低限のお手伝いはできたのだろうか?
1年半に渡る治療。
普段は物書きの彼女でもSNSにその様子を投稿した記事はほんの数個。治療の大変さを想像し、胸が痛みます。
安らかにお眠りください。
カナダ在住アラフィフです。子宮筋腫に振り回された一年をゆっくりマンガに描いてます。