#書く
書き手はいつまで自分をさらけ出せばいいのか
よく、コンテンツには「共感」が大事だと耳にする。ここnoteであれば、どれだけ読み手の心に訴えかけられるか、どれだけ納得させられるものが与えられるかが大事なのかもしれない。
それがいいねの連なりになるのか、新しいフォロワー取得に繋がるのかはその人次第ではあるが。
きっと、大抵のユーザーは目に見える「数」でそれを測っている。たくさんいいねがつけば、多くの共感を得られたと実感するだろうし、バズれば少
「書きたい」と「書かなきゃ」の境界線
ここまで私は内側から溢れ出るものを書かずにいられなく、欲求として文章を書いていることが多かった。
「書きたい」は抑え込むことはできても、自分を楽にするため、苦しさを和らげるために、救いのような道として書くことを位置づけていた。
けれど少し落ち着きを取り戻し調子が良くなってきた今、「書きたい」は「書かなきゃ」に移行しつつある時があるように思っている。
毎日更新を掲げていると、次第に義務感が生じてく
まいにち必ず、ゴールテープを切る。
さてと。今日もまた、パソコンの前に座る。足元には白線が引かれている。
位置について、、、
どこからともなく、はつらつとした声が聞こえてくるようだ。
よ〜い、、、
ピストルを握った右手を大きく上にあげて、左手で耳を塞ぎ、顔をしかめるように左目をつぶっている人の姿が見えてくるようだ。
ドンッ!
この小さな文章を書き綴るスタートを、ぼくは切る。ただこれ、ふつうの競争とはまるで違う。まず、まわ
「文章を書く」とは何か。
最近の私は、本当によく文章を書いている。
日常生活を送っていても、仕事をしている間にも、突然どこからか言葉の海が溢れ出すような瞬間があり、外出時には常にメモ帳とペンの携帯を欠かすことがない。
ところがそれに反して、ネット上に文章を公開する機会はどんどん減っている。正確には「人に文章を読んでもらう機会」が減っている。最近ではツイッターもやめ、その他のSNSも積極的には使っていない。このマガジン「