#日記
ライティングセラピーという癒し
このクソ忙しいし原稿落としてお待たせしている状況なのにnote書いている場合じゃなくないか?と自分でも思う。
毎日20分程度。でも1日20分を1週間なら140分。ざっと2時間半。
この時間があればもうちょい寝れるだろうし、仕事なら図面1-2枚、原稿1本は仕上がる。溜まったメールの返信も書けるだろう。
なのに、なのにだ。なぜ書くんだ?
毎日?ちょっと頭おかしいんじゃないだろうか?
これはほぼ
うまくいかないことが続くと、妄想力がつく。妄想力は、べつのとこで生かせる。
モンモンとした数や時間がおおいほど、イマジネーションゲージがたまるのです。ボカン🤗
「書きたい」と「書かなきゃ」の境界線
ここまで私は内側から溢れ出るものを書かずにいられなく、欲求として文章を書いていることが多かった。
「書きたい」は抑え込むことはできても、自分を楽にするため、苦しさを和らげるために、救いのような道として書くことを位置づけていた。
けれど少し落ち着きを取り戻し調子が良くなってきた今、「書きたい」は「書かなきゃ」に移行しつつある時があるように思っている。
毎日更新を掲げていると、次第に義務感が生じてく
どうでもいい話なんですよ、けどね、書きたいのです。
なんだか今日は書きたいのに書けない。そんな時は"ここだけのどうでもいい話"で、書くリハビリをするのがいい。そのくらいゆるくていい。
今日はいつもよりずっとずっとゆるくいきますよ。
よければ最後までお付き合いくださいませ。
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皆様、携帯電話は何をお使いでしょうか。
そして、どうしてそれを選んだのでしょうか。
お正月早々、ケータイに不調が現れた。私が使っているのはiPhone6。かれこれ3
「自分の言葉」をつくっていくために
ついつい、「他人がつくった言葉」に乗っかってしまう自分がいた。「考える時間がとれないから〜」なんて都合のいいことを言いながら、自分の考えを放棄していたように思う。
そんなとき、こんなnoteが目に入った。
日々、「この人の想いをどう伝えよう」と心を砕いていると、「自分の想い」と向き合う時間が減っていく。「日記とか書くぐらいなら、もったいないから仕事の原稿を進めよう」という現金な思考まで生まれる
作家チヨダ・コーキが教えてくれたこと
一部の層にしか受けない作品。大人には通用しない作品。もし自分の作品がそんな風に評されたら、あなたならどう思うだろう。
今の自分のスタイルを曲げて、万人受けしやすいものを学んで改善する?
心折れて作ることをやめる?
「チヨダ・コーキはいつか抜ける」
中高生に人気の作家、チヨダ・コーキ。多感なお年頃に熱中し、年を重ねるとスッと抜けるように過ぎてしまう彼の作品は、そう評される。
彼の処女作である「
今日の「10分間」で書けること
たまたまご縁あって、ぬえの松倉さんにお会いして、お話を聞くことができました。毎日noteを書いていて、このまえ365日達成したそうです。
そのとき聞いたことが、今も頭の中に残っています。
それは、デバイスを問わず・本文から書きはじめて(書き終えた後にタイトルをつける)、10分間で書ききること・見直しはせず誤字脱字は気にしないこと。
それを自分に課していたそうで、その制約があったからこそ毎日書