#書くこと
「書きたい」と「書かなきゃ」の境界線
ここまで私は内側から溢れ出るものを書かずにいられなく、欲求として文章を書いていることが多かった。
「書きたい」は抑え込むことはできても、自分を楽にするため、苦しさを和らげるために、救いのような道として書くことを位置づけていた。
けれど少し落ち着きを取り戻し調子が良くなってきた今、「書きたい」は「書かなきゃ」に移行しつつある時があるように思っている。
毎日更新を掲げていると、次第に義務感が生じてく
一般化を避けて書くということ。
真実は一般化できない。
人に会うと、ときどきこう言われます。
「末吉さんって自由ですよね。わたしもそんな風に生きたいです」
そうなんですよ〜と、まったく否定しません。しかし、たぶんきっと、その人が思っている自由とは違うもののはずです。もしくは重なりはあるけれど、やっぱりちょっと違うというか、云々かんぬん…。
その人は、僕が毎日のように書いている日常を切り取った文章を読んで、「あ、末吉さんは
明日も、つむぐのです。
「自分が書いたものをどんな人にも見てもらえる場所に置く」ことを始めて、もうすぐ3ヶ月になっちゃう。
夏の終わりに始めたはずなのに、いつのまにか外出前にはハンドクリームを塗り、お風呂を出たらぬくぬく靴下を履く季節になってしまった。
一人暮らしを始めて7年目(えっ、うそ、びっくり)になりますが、やっぱり得意料理ふゆバージョンは一人鍋です。
2~3年前から、「こなべっち」とかいう名称で一人用
「文章を書く」とは何か。
最近の私は、本当によく文章を書いている。
日常生活を送っていても、仕事をしている間にも、突然どこからか言葉の海が溢れ出すような瞬間があり、外出時には常にメモ帳とペンの携帯を欠かすことがない。
ところがそれに反して、ネット上に文章を公開する機会はどんどん減っている。正確には「人に文章を読んでもらう機会」が減っている。最近ではツイッターもやめ、その他のSNSも積極的には使っていない。このマガジン「