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値段に厳しくて世間に甘い

甘チャンな私は
人とは【等価交換】が原則だと思っていた
今考えればアマチャンな上に原始人というか文化人ではないというか
というかどこの錬金術師だろう。

そして

そこ交換するには値段の善悪があり(値段に善悪などないのだが)
(というかすべてに善悪の判断を迫る精神的に不衛生な自分をどうにかしたい)
等価交換の原則から外れて相手に値段を不要に吊り上げるて売るのは外道のやることだと思っていた節があった。

いくら買った値段から高く売ろうとも相手に対して矛盾を抱えないのなら
そして相手も矛盾を抱えないのならその交換は成立スル

善悪の判断はいらないのだ。

私は今まで
「成立すればいいわけじゃない」
と思っていた。

「美徳が1番」
と思っていた。

しかし生きていくため、に多く残すために、は
買った値段や生産にかかったコストを伏せ
高額な、自分に有利な値段で売ることは

不要では
ないのだ

というかその方が自分個人にはいいのだ

と考えた。

そして
善悪の判断は完全に自己の倫理観に依存する。

倫理観の押し付けは非常に不愉快だ。
だから値段に善悪など存在させてはいけないと思う。

値段差で自分の倫理観を試すような真似はしてはならないとも思う。

値段は相互理解。
値段に善悪はない。
これが結論である。
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#値段 #倫理観 #美徳 #価値観 #押付けない #善悪 #判断材料 #快か不快か #今日も自分が好き

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