Yuuki33_№17
🇫🇷TEMPURA
AUTOPORTRAITS DE TOKYO
フランスで年4回発行される日本文化を紹介する雑誌“TEMPURA”で連載中のインタビュー記事
“AUTOPORTRAITS DE TOKYO”=”東京に住む人たちのセルフポートレート”を日本語訳したものをnoteに記録しています。
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TEMPURA_№17 / 2024.4
Yuuki 33
Fighter, Personal trainer
Photo / Text : Ayaka Shida
茨城県で生まれました。中学生の時に格闘家になると決めました。
でも、根本的には争い事は好きではないです。父が家庭内暴力をする人で、僕はいつか殺されると思っていた。それを見て育ったから、暴力はトラウマでした。
全てが嫌になって、小学生の時から不良になりました。最初は中学校にも行かなかった。でも、親が離婚してからとても貧乏だったから、給食の時間だけ学校へ行きました。家にはウジ虫やネズミがいました。
格闘技を始めたのは、ある教師がしつこく僕を正そうとしたのがきっかけです。
先生はもともと柔道の選手でした。実は、僕は不良の喧嘩に勝つために、近所の格闘ジムに通っていた。それを知った先生が、『格闘技を教えてやるから学校に来い』と言いました。最初は逃げていたが、僕は先生を信じることにしました。
身なりを整え、柔道場を毎日掃除して、先生とマンツーマンで稽古しました。悔しいことばかりだったけど、ここでやめたら自分には何もないままだと思ったから絶対に諦めなかったです。先生は僕の恩師です。しばらくして、柔道からレスリングに転向しました。
高校は地獄でした。新入生は先輩にいじめられるんです。
同期の1人は入学式の日に逃げました。洗濯物を干していると、身体にエアガンを撃たれます。でも、よろめくと、さぼるな、と殴られます。逃げたかったけど、母が必死でお金を稼いでくれたおかげで行けた高校だから、みじめだったけど頑張った。
東京に来たのは大学から。推薦でレスリングの名門大学に進み、教員免許も取りました。大学卒業後、24才でプロになりました。
27才の頃、スポンサーからハワイのジムに誘われたので渡米しました。でも、一緒にいた先輩がトラブルを起こし、僕まで疑われて助成金がストップしてしまった。ハワイでホームレスになってしまったんです。
また、ちょうどその頃、恩師が突然死したと連絡がきました。
最後に挨拶した時、彼は『あの頃は心配だったけど、今のお前を見ると嬉しいよ。』と褒めてくれたのに。全て失ったこの時期が1番辛かったです。
ジムをオープンしたのは去年です。母に家を買ってあげたいからです。でも、お金のためだけではないですよ。
精神が健康だと、他人に優しくできますよね。僕は今までたくさんの人の優しさに助けられてきた。だから、心身の健康の大切さをお客さんに伝えていきたいんです。
東京はとてもエネルギーのある場所。だから切磋琢磨できる。ただ、誰かを出し抜いて成功する人もたくさんいます。
でも、田舎出身の僕から見ると、もっと団結したら、もっと大きな成功が得られるのになと思う。だからたまに疲れます。そういう時は自然の多い場所でトレーニングをします。
恩師のように、これからの未来を担う子供たちを良い方向に向かう手助けができる場をいつか作りたい。それが僕の大きな夢です。
ここから編集後記🐈⬛
インタビューに至った経緯や私個人の意見を書いてます。
編集後記と言いながら、ほとんど私の日記みたいになってて公開するのがなんとなく恥ずかしいから
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