頭がいいってどういうこと?
('23.10.2追記)私が高3のときに書いた記事です.意識高い本に影響を受けまくった文体が恥ずかしかったり,内容・構成ともにかなり拙いとかありますが,今でも考え方の大筋は変わっていないので公開しています.
はじめに
「賢っ」
このような言葉が誰かしらにかけられるのを見たことがあると思います.「色んなことを覚えているから賢い」「勉強ができるから賢い」
そのような理由によって「頭が良い」と親や先生が言うのを聞く度に、僕は違和感を感じてきました.
頭の良さって何でしょうか?
今回は僕なりに「頭の良さ」についてひとつの観点から考察しました.
本文
頭の良さとは「理解力」の高さであると考えた.
ー 頭の良さが「理解力」である理由 ー
理解力があることにより普段の会話も然り,難解な文章や数式さえも理解することができ,それによって自分自身で再現したり拡張するなど創造することができるようになる. これらのプロセスの熟達度を理解力と呼ぶ.
ー「理解する」とは何者か? ー
理解力こそが頭の良さであるのならば,頭の良さを考えるためには「理解する」ことを知る必要がある.「理解する」とは自分の背景知識と新規の情報を結びつけることである.人は新しい情報に出くわしたとき,それを鵜呑みにすることはなく,なんらかの背景知識と組み合わせることによって初めてその情報のなんたるかを知るようになる.これが「理解する」プロセスだ.
ー 背景知識はどのようにして手に入れたか? ー
理解には背景知識が必要なことがわかった.それでは背景知識はどのようにして手に入れたのだろうか?
背景知識には2種類ある.
ひとつは上記のプロセスを経て得たもの.つまり,意識して得たもの.もうひとつは,個々の体験によって無意識のうちに習得されるものだ.
ー 才能か,努力か ー
以上比較的端的に喋ってきたが,結局「賢さ」とは複数の能力が組み合わさって発現するものであるということに気づいて欲しい.
それぞれ例を挙げると,
・背景知識を無意識的に得る集中力
・背景知識を忘れない記憶力
・背景知識を引き出し組み合わせる能力
・理解したものを自分の中で精錬する能力
・そこから行動して何かを生み出す能力
といったところだろう.
ここで,“努力して賢くなれるものか,それとも元々才能があるから賢いのか”というテーマについて考えてみる.人生で一度は考えたことがあるかもしれないが,今回の観点からすれば結論は明白である.
才能と努力を分けることに意味はない.というより,出来ない.
「背景知識を忘れない記憶力」一つを例にあげても,それは情報同士が繋がりあっていて忘れないのかもしれないし,何度もインプットを繰り返したから忘れないのかもしれないし,覚える時たまたま脳が活性化していたから忘れないのかもしれない.つまり,偶然だ.偶然を引き起こす確率を上げるためには努力すればいい.でも,一回で偶然が起こることだってありうる.
自分のことを”才能がないから頭が悪い”と思うのであれば,何が「賢さ」であるのかに気づく必要がある.
賢さとは線形なものではなく指数関数的なものだ.何故なら,背景知識が増えるほど情報同士が繋がり合いグングン賢くなっていくからだ.このことに気付いたその瞬間から人は賢くなるのだ.加えて,努力することはより「賢く」なる確率を上げる.
最後にもうひとつ
最後に断っておきたいのが「賢さ」はひとつの観点で語れるようなものではなく,多様であっていいというのが僕のスタンスです.今回は社会一般的に賢いとされる人を想像して考察しましたが,凡人の僕には想像できないようなプロセスをもってして思考する変態的な天才もいると思います.ただ,今回の記事は一般に理解しやすく,またそれにより実践もしやすいはずです.僕が日頃から考えている「人生を変えたいなら考え方を変えろ」という言葉の根拠とする論理をわかっていただけたら嬉しいです.
では最後に一言だけ総括
“Mind Hack → Action Hack → Life Hack”