「志段味あるある物語」#2 吉根は志段味か???
名古屋市内の中でも、人口増加が著しい「志段味地区」、その志段味地区は、「吉根、下志段味、中志段味、上志段味 の4地区」から形成されている。
昭和58年に始まった吉根の区画整理事業を皮切りに、残りの地区も現在、区画整理継続中である。但し、吉根は平成19年に換地処分が行われ区画整理は終了している。
そのためか、吉根は志段味ではないという方が、最近になって多くみられる。その名称に、志段味という文字が入っていない、小学校、中学校もそれぞれ吉根小学校、吉根中学校となっていて、志段味の面影がない。
歴史を紐解くと、明治時代に「志談村」になる前までは、「吉根村」という名前で存在していた。それから「志段味村」(東春日井群という群制でその一部)の一部となり、昭和29年に町編成合併により、守山市に参入し、昭和38年に名古屋市に参入し、今の守山区となった。それよりが、現在まで至っている。
吉根には、昔から小学校、中学校は無く、小学校は、志段味西小学校、中学校は、志段味中学校へそれぞれ、住んでいる人は通っていた。また、名古屋市吉根特定土地区画整理組合の設立時に、志段味西小学校のあるところはこの区画整理地内に組み入れられることとなった。
志段味西小学校のある住所は、現在、「深沢二丁目」となっているが、もともと「大字下志段味字深沢」であって、厳密にいうと下志段味なのであります。現在は、町名も変わり、志段味西小学校を卒業すると吉根中学校に通うこととなり、志段味ということが薄れております。
吉根で、志段味の名残があるのが、「志段味図書館」、こちらしかないのではなかろうか?「志段味西学区」には、消防団と小学校が「志段味西」として、志段味の名が残っている。
新しい人からすると、吉根は志段味では無いと思っても仕方がないと思うのだが、昔から住んでいる人からすると、やはり、吉根も志段味の一部であり、竜泉寺の峠を越えた街は、一体で志段味であり、「志段味4地区」がそろってこそ、真の志段味と言えると思う今日この頃である。