純正ハロウィン④
前回「おやすみ、レニー」
真面目に
around good evening.
待て待て
おい、グラサン
ちょっと待て
志田はまだハロウィンしてるのに
次のハロウィンが来てしまう
緊急事態だ
志田のハロウィン周回遅れを意味する
せっかく皆様と一緒に
新曲を聴くチャンスなのに
ハロウィンに遅れちゃう!
そんな今夜もハロウィンです
secret track
哀しみを爪先で抑えるように弾くピアノ
少しずつ吐露するような旋律に
秋の虫が静かに泣いている
何度目の夜でしょうか
このコードの運びは きっとお母様で
凄い
旋律は 朝まで なのに
寝かしつけるような おやすみ の音色
アナタが好きな歌を 子守唄にしたような
ここにアナタが居たという懐かしさと
ここにアナタが居ないという寂しさ
明かりをつけなくなった部屋の
あの子が大好きだった絵本が
本棚に仕舞われず
今もベットの上に置いてあって
明かりをつけなくなった部屋の
窓から見える庭には
あの子が綺麗だと言った花の種が実り
明かりをつけなくなった部屋の
あの子の世界の全てだったベットの上に腰掛けて
暗がりの中でなんとなく絵本を手に取る
パラパラと思い出の頁を捲ると
伴奏の和音が分散してアルペジオに変わる
角が折れた表紙は手に馴染んで
次に開く頁の挿絵の色も憶えている
何度も読んだ物語なのに
絵本を持つ手が揺れて
「読んで、読んで」とせがむあの子に揺られた
あの夜みたいに 手が揺れて 進めない
同じ言葉を何度もなぞり
短い同じ旋律を繰り返す間に
ポロポロと涙は溢れる
上を向いたアレンジが入った旋律の
窓から差し込む光
進めずにいる彼女を咎めたりせず
揺れる肩に 優しく
ブランケットをかけるのは誰か
音楽が一層盛り上がり
絵本を読んでいた月明かりに
肩に降り注ぐ温もりに気づいて
顔を上げると
アナタがそこに居るみたいで
アナタが「読んで、読んで」と
言っているみたいで
「やっぱりアナタはここに居るんだ」と
涙を拭って 笑顔を湛えた
アナタに聞かせていたみたいに
今度は物語を少し声に出して
優しくも強かな旋律を掴む
そして メロディと一緒に絵本を閉じる
おやすみ、レーーーーー
窓の外から確かに
あの子の声が聞こえて 振り返る
と言うより
「我に返る」くらいの凄まじさがある
ほら、やっぱり
ここにあの子は居ないじゃない!
まだハロウィンの続きをしているから
街の子供達は皆大きくなって
お菓子をもらいに
訪ねてくることはもうないけれど
あの子は今もどこかで
ハロウィンの続きをしているのだから
お菓子をいっぱいもらったら
このお家に帰ってくるのだと思います
だからここには居ないのだと思います
遠くで聞こえる鐘の音は
あの子ではない誰かの
おやすみを告げる
レニーは今どこに
なんとなくだが
レニーの声が聞えるまで
ひたすらに「レニーだけが居ない」を
描写し続ける音楽だった
レニーの外側を描いて
レニーを象るような
そんな音楽なのに
あまりにも直接的すぎる
「レニーの肉声」が
それまで語り尽くしてきた
お母様の窓から覗く
ここにある「レニーの外側」を否定し
終盤の20秒で前提がひっくり返る
どこにも居ないからここには居ない ではなく
そこに居るからここには居ない
今もそこで
ハロウィンの続きをしているのだと思います
「ハロウィンと夜の物語」総括編
音楽構成
三曲の共通点としては
とても舞台表現に近い
かといって
ミュージカルだ
舞台音楽だ と言いたいのではなく
音楽を舞台装置のように使うのが面白いのだ
といいつつ
志田の語彙力で伝えられるか、、、、、
演劇的な音楽
これまでの志田の感想を振り返ってみても
星の綺麗な夜とおやすみ、レニーの
二曲の構成はある程度形式立っていて
演劇で言うところの
閉じた幕の前で
リスナー?天の主?に向かって独白
人物とそれを聞く者 二人だけ
↓
幕を開くような間奏
↓
人物の回想が上演
主人公以外の人物も登場
↓
幕が下りる様な音楽描写
↓
下りた幕の前で/幕を下ろしながら
リスナー?天の主?に向かって再び独白
人物とそれを聞く者 二人だけ
というような構成がある気がする
幕開け
この閉じた幕の前で
人物がこちらに向かって話すような
緞前芝居の演劇的な
「これからお見せするのが私の物語です」
であり
そこから人物達の人生が回想される
歩みの物語
回想の上演中は
曲に登場する人物が
這ったり
立ち止まったり
戦に駆けたり
松葉杖をついたり
友達とふざけ合いながら町を行進したり
新天地の町並みに心躍ったり
特に「再び歩き始める」描写は
星の綺麗な夜 おやすみ、レニー
どちらともあり
松葉杖お兄さんは
「いつ死んだっていい
そう思って生きてきた」から
持続的に歩き
刺されたあたりからは
歩くと言うより匍匐前進している
レニーのお母様は
「夫の仕事の都合で」から
「何でもお見通しよ」まで歩き続け
お母様は「虫歯になっちゃうから」で
三度歩き始めるように
ベースラインだったり
シンプルにテンポだったり
ズンチャズンチャしたリズムだったり
人物の足音が音楽になった様に
三曲を通して
音楽が彷彿とさせるのは「歩む」姿だった
そんな歩む人物を
画角の中心に据えて動かないが
人物自体は動き続ける
上手に消えた人物が
下手から出てくることが無い代わりに
場所や時代背景の描写が
豊富なSEや台詞が次から次へ
横スクロールしていき
人物は止まっても
この横スクロールが止まらないのが
面白ポイントである
横スクロールから乖離して
根無し草になる
このランニングマシンに人物を乗せる
「動き続ける静」は
さながら 廻り舞台のようであった
そこに
ケルト調
カントリー調
シアタージャズ調の音楽や
ダイナミックな旋律が重なれば
あら不思議
アメリカの音楽史も踏襲しながら
客席に座って
人物の人生を観劇している
幕引き
そして幕が下りるように音楽も閉じて行き
「これが私の物語でした」と
人物が独白する
緞帳の外側は物語の外側
情景を描写する音楽で
演劇のように幕開けと幕引きを表現している上に
一曲の中にオープニングとエンディングを設けて
しかも曲中に
その「外側」が存在するのが
厳密に言えば「物語の外側も内側」が
実に面白いのだ
「物語の外側」は観客のものなので
台本の中で描写するのは
ナンセンスだという人もいらっしゃるが
緞前芝居でなくても
エンディング中または後にある
役者ではなく人物として台詞で
志田の体感「なんかちょっといいかんじ」なのは
物語と観客の間の曖昧な輪郭を繋ぐような
「観客に問いかける」
「挨拶をする」
「未来を示唆する」
の三択であるが
Revoさんの場合
「観客に問いかける」がいい感じで済まずに
「こちら側を認識している」や
「この人物なら見えない何かに向かって
何か言いそう」みたいな怖さが
それまでの物語で語られるのが
Revo怖い
Livermore want to live more…
松葉杖のお兄さんのLivermore話は
星の綺麗な夜にしたので
今夜は朝まで
レニー親子の話をしたい
朝までハロウィンしたいレニーと
レニーに「おやすみ」を言いたいお母様
のように見えて
朝までハロウィンしてほしい
そして朝がやってこないでほしいのは
お母様なのか
「おやすみ、レニー」には
お母様の「こう思いたい」という
強い暗示がかかっている気がする
「夫の仕事の都合で」と
簡単にまとめているけれど
彼女の一家もまた
移民であるのならば
松葉杖叔父さんのように
お仕事をやめさせられたのかも知れないが
息子が生まれてからの困難は
常に息子のためで
彼女自身のことは語られない
俵万智ばりに記念日を制定していくお父様は
「初めてのハロウィン記念日」を制定せずに
フェイドアウトして
徐々に彼女の強い信念が貫かれる
赦しを乞うた天の主に
彼女もきっと祈りを幾度なく捧げてきたけれど
黙したままだった
それでも
誰のことも恨まないと決めた
私達夫婦がいつまでも傍で
誰よりも愛しているから
命を掛けて絶対に幸せにするから
ご夫婦は
「絶対に幸せにする道程」を描いていて
その上にある
小さな幸せのマイルストーンに辿り着いたら
記念日のように祝っていた
もうひとつ、、、
アナタが窓から見ていた花も
大好きな絵本も
ジョニーとの秘密も
「アナタはきっと喜ぶわ」も
ママは何でもお見通しだった
「絶対に幸せにする道程」を描いていたのに
唯一見通せなかった
「息子に残された数」
そして
残された数を知って
見通せてしまった「最後のハロウィン」が
彼女をどんなに苦しめたのでしょう
あとひとつ、、、
私はいつまでも傍で
誰よりも愛しているから
命を掛けて絶対に幸せにするから
道程の途中で途絶えた約束にも似た償いが
今でも彼女に
「辿り着けなかった小さな幸せの
マイルストーンの続き」を描かせる
ははしゃぎすぎて心臓がびっくりしちゃったことも
寝顔であることも
歯磨きをしなきゃ虫歯になっちゃうことも
今も何処かで終われなかった
ハロウィンの続きをしていることも
ママは何でもお見通し
罪の波が寄せては愛情が返す
彼女の岸辺で波を背に
足下の砂を攫われながらも
息子の前では揺るがぬ笑顔で
立ち続けようとする強い母親の姿であり
彼女もまた弱く
臆病だから瞳を閉じ
本当の世界など 見たくはないと
息子の死を受容できずにいるのかもしれない
それでも彼女が
愛しい息子の耳元で
「おやすみ」と告げるのは
もっと生きたかった
もっと生きてほしかった
終われなかった「続き」の
終わりを願っているのかもしれない
あと一軒、、、
live…more…more…
ここまで読んでくださったアナタに
きっと棺桶で眠り生き血を啜っている音楽家に
心からHappy Halloween☆を
余談
召し上がれ、レニー
今回も「ハロウィンと夜の物語」の
外側の物語をひとつ
志田の働く病院の小児病棟では
毎年10月末 ハロウィンパーティーが開かれる
そう、ちゃんと10月末に
とある子が描いた
人造人間の隣には
看護師によって
こめかみのボルトを摘出する
見覚えのある外科医の姿が描かれ
とある子は
てるてる坊主みたいなティッシュのお化けを
ベッドの上で量産している
ハロウィンに興味も無く
図書室で本を読む子も居れば
受験を控えて
勉強している子も居る
大切なぬいぐるみを片時も離さず
ただ窓の外を見ている子も居る
静かに眠っている子も居る
その日は
なかなか会えない家族も集まって
その日のためだけに作った
特別なおやつを食べて過ごす
医療スタッフと子ども達が手作りする
ささやかなハロウィンパーティーである
この特別なおやつの企画を任された志田は
夜な夜な おやつを試作する
だが問題は
志田にお菓子作りのセンスが
全くないというところである
淡い恋心を胸に焼いた
ハートのクッキーが
天板と同サイズ同硬度の
小麦粉の板になったことがある
林檎飴に憧れた夏は
林檎の粘着性を高めて終わった
前世はフォンダンショコラだったはずの
黒炭の沼からは
新しい生態系が芽生えたこともある
電子レンジでチンするだけの
チョコレートフォンデュは
容器ごと燃やした
ブルーハワイのゼリーは
耐震ゲルと呼ばれた
志田のお菓子作りからは
哀しみしか生まれない
それでも
国家試験には受かる
厚労大臣に陳謝
そんな志田がチャレンジするのは
「かぼちゃケーキ」である!
これが悲劇の始まりだった
小学二年生の冬に仲違いした
小麦粉との相性が至極悪い
小麦粉の呪いが
志田に降りかかる
レシピを変えては作りを繰り返し
おいしくない試作が3度ほど続き
9月は過ぎていった
10月2日
初めておいしいケーキが焼けた
志田の
小麦粉和解記念日である
そこから
乳アレルギー用
グルテンアレルギー用
嚥下対応のババロアetc…
怒涛のレシピ作りに栄養価計算
志田のお菓子作りは終わらない
夜が来るたびに
誰も居なくなった厨房で
あるいは自宅の台所で
ケーキを焼き続ける
蛍の光の中
駆け込んだスーパーで
両手いっぱいかぼちゃを買い占めた夜
鞄の中で小麦粉が漏れて
再び不仲になった夜
ど根性で
志田の今生分のケーキを焼き続ける夜
それでもまだ
《業務上天の主》は黙したまま
赦しを得られず
俯いたまま職場を出ると
濡れた黒いアスファルトには
金の星屑が瞬いていて
ふと空を見上げると
雨上がりの空に月はなく
星の綺麗な夜だった
その後なんとか合格点をいただいたが
ケーキを焼き続ける
志田のかぼちゃケーキが
初めてのハロウィンかもしれないし
最後のハロウィンかもしれないのだ
少しでも美味しいケーキが焼けるように
冷蔵庫を圧迫するカボチャを駆逐するために
そして
カルテを立ち上げると
気になってしまう小児病棟
画面に映る子ども達の名前
よろこびか かなしみか
様々な理由で
皆が志田のケーキを食べられる訳では無い
当日までは分からない
カルテを開いては
日々増えたり減ったりする名前を見て
どうかアナタが笑っていますように と
今夜は穏やかに眠れますように と
祈らずには居られない志田は
今夜も小麦粉と格闘し
不格好なかぼちゃケーキを焼く
ハロウィンは終わらない
危なかった
ギリギリハロウィンに間に合った
スライディングハロウィンに成功した
しかし志田は体勢を立て直して
新たなるRevoのハロウィンに
クラウチングスタートを切らねばならない
さて志田はここで
舞台芸術のジャパニスク蘊蓄を
ぶち込んでいきたい
だってRevoが
「Halloween ジャパネスク ’24」って
言うんだもん
そんなん聞いてねぇもん
でももう廻り舞台の話を
志田は書いてしまっていたから
ここでこじつけておいて
トレンド感を出していきたい
廻り舞台というのは
舞台上の円形にくりぬかれた床が
回る装置であり
今から300年ほど前江戸時代に
中村伝七という狂言役者が考案した
「ぶんまはし」がその原形とされる
日本発の舞台装置である
近代の電気式の廻り舞台が登場するまで
奈落では道具方が汗水垂らしながら
人力で回転させていたが
現存する最古の芝居小屋である
香川県 旧金毘羅大芝居 を残し
そのほとんどが電動式である
19世紀後半ジャポニスクの興りに
日本近代演劇の祖である興行師の
川上音二郎率いる劇団がパリで公演し
1900年にはパリ万博で注目を集めた
1896年ドイツではKarl Lautenschlagerによって
上演された「ドン・ジョヴァンニ」は
西洋で初めて廻り舞台が採用された
1906年オーストリア出身の演出家である
Max Reinhardtが「春のめざめ」の初演で
廻り舞台を採用した以降
演劇では欠かせないものとなった
2010年アムステルダムでついに
舞台ではなく円形の客席を回転させる
360度回転型劇場「Theater Hangaar」が誕生し
2017年には世界で二つ目の360度回転型劇場が
日本にできたのですが今は無い、、、、
舞台を回転させていたら
それはジャパネスク
Revoが奈落で
舞台上の人間を廻していたら
それはジャパネスクかも知れませんね
以上、蘊蓄でした
ッハハ
今夜が楽しみですね
おやすみ
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