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ある音楽家に人生を狂わされた小娘の話


私は冷めた人間だ

志田は今まで熱狂したことがない
舞台芸術は表現方法として勤しみ
その糧になればと
エンタメを漁る毎日を過ごした学生時代

唯一聴いていたアーティストでも
好きじゃない曲は一切聴かない
二人がどんな人か全く知らないし
知ろうとも思わなかった

志田が普段聴いている音楽は
なんか好きな曲と
ミュージカルナンバーや劇伴
舞台音響に使ったBGM
弦楽四重奏やオケ、オペラなどのクラシック
ラジオで聴いて耳に残った曲
それぐらいで

流行というものにも
基本的に乗れていなかった
カラオケには流行ってそうな曲を
ご一緒する人に合わせて忖度で
数曲覚えて向かう始末

思えば
アンパンマンも
プリキュアも見ず
ポケモンも通らず
アイドルにも造詣がなく
ドラマやアニメもお芝居やエンタメの研究材料
として見ることはあるがそれだけ

ただふらふらと
自分の気に入った作品だけを摘んで
その作者、歌手は、役者はどんな人なのか
どんな経歴があるかなんて気にならなかった

10代前半
真剣に悩んだことがある
自分はきっと一生何事にも熱くなれず
上辺だけを啜って
いつまで「好きになった」つもりでいるのだろうと
なんて冷めた人間なのだろうか
自分には"目"がないのだ
だから皆が気づいた魅力に
気づくことができないのだと

今でも思う
友人と好きなアイドルやキャラクターで
きゃっきゃした10代を過ごせていたら
どんなにキラキラしていただろうか
「ビジュ最高」「推しがしんどい」とか言いたかった
きっとそれで繋がる友人がいたはずだった

「推しを得る」ことへの憧れから
エンタメ漁りは加速していった
探していればきっと出会えると
それが芝居や表現の糧にもなり
今考えると10代前半に
好き嫌いせずなんでも食べていたのは
とても良い経験になった

緑川事件により趣味嗜好大寛容人間
オタクのカモが爆誕

緑川事件とは
ある緑川光過激派が
何も知らない齢14の志田にいきなり
「添い寝CD」を聴かせ
感想を求めた事件である
詳しくはこちらをご覧ください

志田はオタクと言う言葉を
あまり使わないのだが
あえて言おう
志田の身に緑川事件が起こり
以降、その噂を嗅ぎつけたオタクたちが
志田にイケるぞと布教するようになった
自身の「好き」をぶちまける相手として
ちょうど良かったのかもしれないが
志田はそれが嬉しかった

事件以降
他人の趣味嗜好大寛容人間になってしまったし
志田には平坦に見える地平に
いろんな沼があることが単純に面白かった
何より
専門家たちの解説やその熱量は凄まじかった

もしかしたら否定されるかもしれないという怖さを乗り越えて「これは良い」と他人に勧める布教行為
この尊敬に値する行為に敬意を払って
志田は丁寧に靴をきちんと揃えて
他の沼で履いていた靴下も替えて沼に入る
私が手に入らなかった
「熱狂できるもの」を疑似体験し
少しあったかい気持ちになる
沼でしばらく泳ぎ
沼の感想を至極真面目にお伝えし
何も掴めないまま
気づけば沼から出て
何もない平坦な元の世界に取り残されているのだ

そして時間が経つと急速に寒くなる
何か縋りつきたくなるような虚無感に襲われる
私はこの感情を持ち合わせていないだと

布教行為=最上級の愛情表現
私はこれが羨ましかった

志田はずっと何もない平坦な地平で
独り寒かったのだ

志田、LHと出会う

志田は演劇から離れた現在も
エンタメを啜る毎日を送っている

それは惰性になりつつあったが
エンタメは人を豊かにすると信じているから続いた

その過程で出会った
「進撃の軌跡」
私は衝撃的だった
思考を許さない情報量
「音楽を浴びる」とはまさにこのこと
瞬時に感じた
まさに雷を落とされたような
「これはイイ」
自分でもよくわからなかった

初めて生で演劇を見た時も
似たような感覚があった
でも作品の内容ではない
芸術の表現方法
演じているのは仮初の人間であるのに
その役の人生さえ感じさせる
生身の人間が他人を模って物語を伝えるその手法に
私は深く魅了されたのだ

志田は新たな「表現方法」に出会ったのだ
それは新たな「物語音楽」という言語を
知ることと同義だった

こんな方法で表現する人たちがいるのか
志田は生まれて初めてグッと来た

志田、サングラス沼にご招待される

志田は「進撃の軌跡」をきっかけに
多くのローランたちと出会うことができた

志田が驚いたのは
「初心者に何も言わずに見守っていよう」という
動きがあったことだ
それも初心者本人が知らないところで

今までの身近な専門家たちは
それはすごい饒舌に
「これはここがいいんだ、この作品の魅力はここだ」
「それは違うんだ、実はこんな設定がある」と
熱心に「好き」を伝えてきた
それが私の中で「普通」だったし
専門家が言うのだからそうなのだと
疑う余地もなかった
これはこれで志田は羨ましいし素敵なのだ

だがローランたちは違った
「あなたのその解釈も素敵だ」と
「そうも考えられるね」と

こんなこと初めてだった
あなたはあなたの「好き」でいいと
そう言ってもらえたような気がした

さらには
「新しい視点で作品を見ることができた」と
素人が勝手に話した内容を踏まえて
もう一度咀嚼しなおしているのだ

これはすごいと思った
私の知らない世界だ
なぜローランたちはここまで
作品と真正面から向き合えるのか
好きでありながらも
一人ひとりが作品に対して各々の考えを持ち
それを押し付けず
他人の考えさえも尊重する
そんな下地を備えているのだ

その下地を作ったのは誰か

そう、サングラスのお兄さんである

志田、SHと出会う

先輩方にSoundHorizonを教わり
Romanから履修を始めた志田はまた驚かされる

リスナーに
「俺の音楽を聴け」
「何か感じて考えろ、それだけの価値がある」
と肩を掴んで揺すぶってくる

「全てに意味がある」とでも言うような
緻密な物語設計と音作り
隠された暗号
辿り着く伝言
なぜか分解を迫られる仕掛け
渡されるハンカチ


それはまさに未知との遭遇

志田は人生で初めてCDを買った

志田はそれは至極丁寧に
作品を咀嚼した 気づいたらしていた
「お前もう飲み込めるのか」と
音楽がそうさせた

なんなんだこれは
なんなんだお前は

Revoさんはなんなんだ

本当になんなんだ
まだRomanしか聴いていないから
わかっていないのか

それもあるが、いや違う
創作が人間の域を超えているのだ

そして志田は気づいてしまう
全ては一人の男に収束してしまう

このメロディ好きだな
この物語泣いちゃうな
この声味があっていいな
ここでこんなアレンジをするんだ

全部一人の男のせいなのだ

調べると
物語構成
作曲
作詞
編曲
演奏
歌唱
楽団員選択に至るまで

一人の男がやっているのだ

全てを一人でやっているわけではないし
全てが想定通りというわけではないだろうが

気に入ったもの、気になるものを辿ると
「あいつすげぇな」
になってしまう

志田はこれが恐ろしい

志田のアンテナの性能


志田が多くのローランたちと異なるのは
SH/LH以外に熱中したことがないことや
ただ単に新人であること

皆様の頭の上にはいくつもの
アンテナが立っている
しかもそれぞれの感度を調整できる
必要な情報を
取捨選択できる高性能アンテナだ

一方志田は
なんでも広く受信し
そこから何も得られない
ばかでかいパラボラアンテナ
ひとつしか持ち合わせていない
しかも受信した情報はいままで全て「0」だった

お皿はデカすぎな上に
コンバータが死んでいると思っていたのだ

それが初めて何かを得て
自分なりに何かに変換し出力し始めているのだ

壊れてなかったのだ
私は飛び上がるほど嬉しかった

https://miesugi.maspro.co.jp/television/about_parabola/

志田はこの生き返ったアンテナを
大切にしたい
きっとこのアンテナで
まだなにか何か得られると信じたい

作者=作品か

これは人によっては
物議を醸すおセンシティブなお話なので
ふんわり聞いてほしい

志田は今まで
作品と作者を切り離してきた
それは作者に関係なく作品が
素晴らしかったのもあるが
作品を摂取する上で
作者の人間性を知る必要がなかった

これまではそれで良かったのだ

しかしSH/LHの音楽は
Revoさんこそ音楽

どこかの偉大な音楽家と同じ
「僕こそミュージック♪」

だが問題は
彼は詩が書ける
絵は知らない
役者だし
芝居もできる(恐らく)

のである
しかも歌うのである

全ては一人の男に収束し
彼を知ることが
彼の音楽を知ることなのではないかと思ってしまう

しかし私は
人生で初めて沼から出ずに
ここに住むと決めた

丁寧に聴きたい
最高の音楽体験を得たい

やはり志田は
彼を知ってから曲を聴くのではない

彼の音楽から彼を知りたいのだ

彼の人間性を知りたくないわけではない
彼こそ音楽なのだ
知りたくないなんてあり得ない

だが「俺を知りたきゃ曲を聴け」と聴こえる
そんな音楽なのだ

ここに大きな葛藤がある
あなたにとっては
小さな悩みに見えるかもしれないが
志田にとっては人生を賭けた大きな苦悩なのだ

志田の苦悩を
万人に理解してもらうのは難しいだろう
むしろ少数派なのだとさえ思う

例えば好きな絵があったとして
作者が嫌悪に値する奴だったとする
志田が絵を見る前に
その絵はこんな奴が描いたんだって
知ってしまったら
その絵を本当に純粋な目で見られるだろうか
きっとバイアスがかかるはずだ

流石に彼の音楽家が
嫌悪に値する人間だとは思っていないが

純粋に「この絵が好き」というのなら
作品は作品のみで評価されるべきだ
そこに作者のバックグラウンドは必要ない

だがバックグラウンドが
付加価値になる現実もあるから難しい

4歳の天才画家が描いたとか
殺人犯が獄中で書いた小説とか
彫刻家が最期に彫った天使像とか

例えば名もなき画家が描いた絵と
ダヴィンチが描いた絵
どちらも素晴らしいが
オークションにかければ
どうなるかは予想がつく

そこに本人の人間性や魅力、そこに至る努力が
ないかといえば違うし
それは本人に素晴らしさとして
評価されるべき要素でもある

でも作品の本質はそこじゃない
作者=作品じゃない

志田は今までそう考えていた

これが揺らいでいるのである
Revo≒音楽
なのだ

もちろん彼のパーソナルな部分は
音楽と関係ないだろう

だから志田はRevoさんの
直接音楽とは関係しない
知らない「れぼ」を知ることが
人間性やパーソナリティを知るのが恐ろしい

不安定なアンテナを失うのではないか
今まで信じていた摂理が
崩壊してしまうのではないかと怯えているのだ

Revoとれぼ

ローランの先輩たちに言えていないことがある
それは

「Revoさんはかわいくない」

ということである
怒りを覚えたあなたには先に謝っておく

可愛くはねぇぞ

私の知っているRevoさんは
背筋が震えるような音楽を作る音楽家であり
一種の恐怖をも感じさせるのだ

でも私の知らない「れぼ」さんは
可愛い可能性がある

もちろん「かわいくない」可能性も
「嫌悪に値する人間である」可能性も
「4歳の天才画家」の可能性もある

そう、志田は「れぼ」さんを知らないのだ

なぜ「かわいい」を挙げたかというと
まごうことなく
先輩方が「れぼかわいい」と言うからだ

だから薄々「れぼかわいい」ことに気づいている
でもそれは子犬を可愛いと言う
共通認識のように万人が見ても
かわいいかと言ったら

それは違う!
思い出してほしい
彼を初めて見た時のことを
喋って動く彼ではない!
ホームページの彼である

全く可愛くない
見た目をとやかく言うのは
志田の信条に反するのだが
資料がこれしかないので
あえて言おう

子犬の対義語ではないか
(イヴェールくんがかわいいのは全然いいです)

グラサンうる艶ロングの男が王様と呼ばれ
どうやら天才的な音楽を作っているらしい、、、

怖いじゃないか

なんだこの服は
長々し尾はなんなんだ
なんだこの設定はコテコテではないか
黒い、、、黒すぎる
指輪が多すぎる

しかも姿を見るたび
黒と金しか着ないのだ

黒金ジャージだったらもっと怖い
謎のロイヤル感で若干薄まっているだけなのだ

これであなたも黒い男と出会った頃の気持ちを
思い出していただけただろうか

そう、皆様が「れぼかわいい」と言うのは
Revoさんをよく知る皆様が
新たな「れぼ」を発見し
「れぼアンテナ」を持っているからこそ
かわいいと感じるのであって

ど素人志田には通用しない

だが驚くほど「れぼかわいい」と言う投稿がある
何かことあるごとに
かわいいらしい

怖いし羨ましい
志田は己の摂理と戦争中なのだ
そこまで手が回らない
そんな先輩方の研ぎ澄まされたアンテナで
キャッチした「れぼかわいい」譚を
志田のオンボロアンテナで受信してしまったら

志田の摂理が崩壊してしまう
これは由々しき事態なのだ
小娘の内側で密かに起こっている戦争なのだ

志田の幻想「れぼ」

そう志田はまだ「れぼ」を知らない
そんな志田が

知っている事実

①天才音楽家

②酒豪

③黒と金のお洋服が好き

④ロイヤル

⑤髪がうる艶ロング

⑥フランス語が上手い

⑦指の過半数に指輪を嵌めている

次に進撃の軌跡とRomanで描いた
現在の幻想「れぼ」の姿である
当然徐々に本当に失礼なので先にお詫びしたい
何も知らない志田が描いた幻想なので
言い訳をつけておきました悪しからず

①ピアノも似合う

②黒い車に乗っていそう
(だが教習受けている姿は想像できないから
  無免許で私有地を乗り回すだけかもしれない)

③自転車乗れなさそう
(想像できないけど流石に乗れそう)

④音楽以外に興味なさそう
(趣味で折り紙してますとか言われたら困惑)

⑤日本語喋らなそう
(そもそも喋るRevoさんを見たことがない)

⑥家に何もなさそう
(私生活が謎すぎ)

⑦音楽でしか息できなさそう
(息をするように音楽が出てくるし
 音楽が俺だ!って感じる)

⑧一人称私で喋りそう
(ロイヤルだから)

⑨完璧主義

⑩母美化委員会委員長

先輩たちにに教わった「れば」
①かわいいらしい
②よく足を攣るらしい
③2023歳らしい

見てわかる通り
志田の幻想「れぼ」と
ローラン方の言う「れぼ」はここまで乖離している

志田は「れぼ」が恐ろしい

ここまでご覧になった方は
薄々勘づいているでしょうが
志田は音楽家Revo以外の知らない「れぼ」を
知ることが恐ろしい
それはRevoさんが信用ならんのではない

志田の中で

作品≠作者(音楽≠作者 )

作品≒作者(音楽≒Revo)

の二勢力が戦争しているからである
多くの方は
作品と作者を切り離しつつそれぞれが影響しあって
内包された「好き」を愛でることができるのでしょう

志田は不器用なので恐らくできない
そして純粋に音楽を聴けなくなる

しかし、「れぼ」さんを知りたくないわけではない

音楽室の肖像画Revo

ややこしくなってきたので
表記の便宜上「Revoさん」を知ってる音楽家
「れぼ」は志田知らないパーソナルな部分とする

確かに戦争中だが
ポジティブに捉えると
「れぼ」を熟成させているのだ
そしてこれにより
Revoさんがもっと美味しくなる可能性を秘めている

私の中でRevoさんはまだ

「大天才うる艶髪ロイヤル酒豪サングラス音楽家」の

肖像画を音楽室で見上げているのだ

沼に生を受けて数日
れぼ情報はまだ早い
「れぼかわいいエピソード」は時期尚早
新生児に早すぎる

しかしこの情報社会において
情報を完全に遮断することなど不可能に等しい

ならばせめて「れぼかわいいい」の初めては
自分で得たい
それが現場か、映像か、音楽か、記事か
わからないが
自分のこの心許ないアンテナで得てみたいのだ

志田は今もなお
私の中で勝手な幻想ばかりが広がって
まだ「音楽」でさえ飲み込めていない

そんな志田に「かわいい」は一番良くない

新生児にブランデーだ
志田はまだ熟成も蒸留もしていない
Revoさんから採れる「音楽」のみ
齧って生きているか弱き青虫なのだ

彼の音楽を聴く上で
志田個人に「かわいい」は"まだ"必要ない

赤子が長い時を経て酒精を嗜む様に
青虫が蛹を経て羽を広げる様に
自分でその境地に至りたい
至らないかもしれない

でも至った暁には先輩方と語り合いたい

ちなみに喋ってるRevoさん
攻撃力ぶどうジュースであり
足を攣るRevoさんも
新生児に葡萄酒レベル
れぼかわいいはブランデーだ

ではこの情報社会でどう生息しているのか

そう「縛りプレイ」するしかないのです
志田は割と知識欲を飼い慣らしているので
バキバキに守護を固めています
戦争に備えて
相手に塩を送るような真似はいたしません

志田は進撃の軌跡をレポし終わる頃には
この縛りを始めている

必要を迫られない限り楽曲について検索しない
見るのはホームページと記事のみ
Wikipediaは絶対見ない
Twitter検索しない

しかし問題はローランたちの語彙力
ありとあらゆる表現で
「れぼかわいい」するのである

恐ろしい
おかげで志田のアカウントはこの有様である

これはまだ一部である


ローラン方の語彙力に対抗し
想定しうる全ての表現を規制し
鉄壁の守りを築いているのだ!

にもかかわらず
Twitterのタイムラインは見ることができない

しかも弊害がある
かわいい動物も検索に出てこなくなったのだ

密かな癒しであったわんこも
疲れに染みるにゃんこも
私を癒してはくれない
こんなところにも小さな戦争があるのだ

だが、私は今までの全てを捨てる覚悟で
この沼に入ったのだ
自分の中で何かを変えられると思って
この沼に沈んだのだ

わんこもにゃんこもおしくはない

あ、イヴェールくんがかわいいのは全然いいです

おわりに

だがこれだけは言っておきたい!
これは志田一個体の独特の生態であって
音楽の楽しみ方は人それぞれであり
音楽観や考え方
その方法に問わず全ては美しく尊いものだと!

もしかすると数年後には
「あのかわいいれぼさんがこんなお歌を…ンフフ」
ともう一度美味しくしゃぶってるかもしれない

れぼさんがかわいいのは信じられない
絶対かわいくない
かわいいと思うのは狂っているからだ
ローランはおかしいと
言いたいのでは断固として違う

志田はただ羨ましいのだ
そして今、それを得られるキャパがないから
地団駄踏んでいるのだ
戦争中に

これは志田の作品観をめぐる戦争であり
かわいいれぼvs鉄壁の志田の闘争であり
志田の変な生態を観察する実験なのである

さて、ここまで読んでくださったあなたに
そして出会えた奇跡と歩んだ軌跡に
見守ってくださる専門家たちに
ある音楽家に
最大の敬意を示したい

彼の音楽はローランたちは
震えていた志田をあたたかい毛布で包んでくれた
もう寒くはない

一人の人間に巻き起こる戦争
「れぼさん」に怯え
情報を縛り
密かな癒しであった「わんこ画像検索」を捨てた
哀れな志田のお話を
志田はもう独りではないのだ
そう、あなたが聞いてくれたから

この出会いに心から感謝を

作品≠作者(音楽≠作者 )

作品≒作者(音楽≒Revo)

この小さな戦争は
どのような終焉を迎えるのか

或いは、この二つが両立し
新たな時代が来るかもしれない

それはもう戦争ではない
私に起こった大きな"革命"なのだ






(緑川事件も革命です)

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