ASKAにおける「愛と勇気」の問題

1「群れ」と「LOVE SONG」

最近CHAGE and ASKA(*1)の全楽曲が、ようやく「サブスク解禁」された。それを受けて、彼らにまつわる記事や投稿をネットなどで目にすることもにわかに増えた。そのなかで一つ注意を引いたのが、ヒット曲「YAH YAH YAH」(1993)で「殴りに行こうか」と歌われている相手の「そいつ」が秋元康である、という旨のSNS投稿だった。調べてみると二年ほど前にASKA(*2)自らがそのようなことを語ったらしい。

一応はそうして出所を調べてはみたものの、投稿を見た時点で、真偽を疑う気持ちはほとんどなかった。ASKAというのはしばしばそういう怒りをモチベーションにして曲を作ってきたひとだというイメージが、むしろ元々のものとしてあったからだ。

前世紀の終わりに発表された「群れ」(1999)はその顕著な例だろう。いつになく悲壮なメロディと重苦しいアレンジに乗せて彼が歌うのは「いつまでも俺をあの日の姿で閉じ込めようとする群れ」の告発だった。群れとは「俺の足跡で言葉の海をつく」っておいて「泳げないと言う」身勝手な、あるいは「恋の始まりと終わりだけに」「興味をもつ」ようないかにも軽薄な存在であり、そこにメディアや大衆の戯画を読みとることは容易である。先にふれた「YAH YAH YAH」のように具体的な相手や出来事が念頭にあったか否かは措くとしても(さまざまな憶測は流れたようだ)、91年の「SAY YES」以降「YAH YAH YAH」や「めぐり逢い」(1994)といったミリオンセラーの連発を通じてできあがった巨大なパブリックイメージとその余波に、ASKAが少なからぬ不安や葛藤を抱えていたこと、そしてそれがこの曲の着想の土壌を用意したことは、疑いえないように思う。

しかし思い返してみれば「SAY YES」の爆発的なヒットに先立つ89年発表の佳曲「LOVE SONG」もまた、タイトル通り正面きってのラブソングでありながらすでに群れ的なものの影を同時に感じさせもしていた――例えば「聴いた風な流行(はやり)にまぎれて僕の歌がやせつづけている/安い玩具(おもちゃ)みたいで君に悪い」というふうに。

この歌い出しのあとには「ひどいもんさ 生きざまぶった/半オンスの拳がうけてる/僕はそれを見ていたよ 横になって」といういささか難解な(それでいて音としてはひたすら口に心地よい、見事な)一節が続く。横になって、というから場面は「僕」の自室、視線が向かう先はテレビの画面か何かだろうか。そして「ひどいもんさ」とは明らかに直前の「安い玩具みたい」という評言を引き取ったもので、つまりここでこき下ろされているのはほかならぬ「僕の歌」だと推測される。実際、一度目のサビを挟んだ二番の歌詞にも「恋が歌になろうとしている(…)君はそれを聞くはずさ 街の中で」とあった。おそらく「僕」は自分の「歌」を商業的に流通させられる立場にいる。その意味で彼はASKA自身、またはそのアイデンティティを備えた分身のようである。

ところがその「歌」に込められてみえる「生きざま」は単なる“ふり”すなわちフェイクでしかないという。それらしく振り上げたところで実はからっぽの、たった「半オンスの拳」でいったい何と、誰と闘えるだろうか。のちに「YAH YAH YAH」で全面的に主題化されることになるこの「拳」のモチーフは、ASKAにとって群れの蠢く世界と対峙する主体の象徴のようなのだが、それがやせ衰えて「僕」はむしろ群れの側に取り込まれつつある。その拳にあるべき重みを充たすのが「Soul」(魂)なのだった。そしてそれを「僕」が取り戻すのは、心に「君」を宿すその瞬間を措いてほかにない――「君を浮かべるとき Soulの呼吸が始まる/胸に息づくのは君へのLove Song」。

一方には見てくれだけの「拳」に応え、流行のなかで「僕の歌」を歓迎しているけれど実は何もわかっていない不定形な世間の目と耳がある。対極には、実のところ「僕」の想いをどれだけ理解してくれているかもおぼつかない(「君が想うよりも 僕は君が好き」)にもかかわらず、その存在こそが本当の意味で「僕」を生きさせてくれる単数形の「君」がいる。この対比は後年の「群れ」にも、言葉を換えてそのまま引き継がれていく。すなわち四方から覗き込み追い詰めてくる群れを振り捨て、ようやく本来の身の丈で穏やかな日常をかみしめながら(「背伸びはすんだ 天気はのんきだ」)ほかの誰でもない自分自身の人生を手作りしはじめている(「手編みの橋を渡る途中だ」)、そんな「俺」の苦闘に「女は知らない振りでいてくれる」。傍らで邪気なく眠る彼女の「温もり」に思わず「大丈夫だよ」と呟く。

歌詞に含まれるいくつかの状況証拠から「LOVE SONG」における「僕」がASKA自身またはその分身と見なしうることはすでに見た。つまりこの「僕」は一般的なラブソングのように、聞く者が誰でも自分をそこに抵抗なく代入可能な等身大の主語として置かれたものではない。このことが歌に微細な緊張感をもたらす。もちろん、世間と慣れあって卑俗になっていく自分に本来の自分自身を取り戻させてくれる「君」への愛――というふうにまとめてしまえばそれも少なからず普遍性をもった主題ではある。それでも、そこにいわれる「僕の歌」が同時に私やあなたの歌でもあるとは決して言えない、言わせない強固な防衛線のようなものが「LOVE SONG」には引かれている気がしてしまう。そして「群れ」もまた同様に、かつ今度はごく抽象的な次元において、しかしより強烈な“私性”が聞く者に突きつけられることになる。

他方で、違いも大きい。かつての「LOVE SONG」において「僕」の主体性はきわめて脆弱かつ他律的で、それを腐らせるのも生き返らせるのも「僕」以外の誰かだった。一般に二人称の呼びかけは、呼びかけられる側に主体性の分担を(こう言ってよければ)押しつける面がある。詩に「君」や「あなた」を召喚することには、そういう甘えが必ず伴う。突き詰めればモノローグでしかない言葉の始末を自分一人でつけること、その責任を回避するという意味での甘えである。その点で、対する「群れ」は徹底してモノローグに留まることを自らに強いているようにみえる。つまりこの曲は「君」ではなく「女」という三人称を選ぶことで、応答を要求される他者を立てることなく語りを成立させようとしている。

もちろん、それはとりもなおさず「女」から固有の顔と声を奪う仕草でもある。そうした言葉選びが「俺」という一人称と呼応しつつ醸すこの曲のマスキュリンな響きは、一つの問題として否定はできない。とはいえ、やはりそこには単なるハードボイルドの演出に終始しないある種の倫理的な選択があると私には思われる――自分が歌いはじめた歌の責任を自分以外の誰にも引き受けさせないという覚悟が。面喰うほどの率直さで繰り出される「自分の中の自分によく負けてしまう/そして愛と勇気はいつまで一緒だろうか」という自問は、それゆえに「群れ」という曲の「俺」に固有の、決して「LOVE SONG」の「僕」からは引き出しえないものだ。

しかし結局は「LOVE SONG」もまた、その主題は「愛と勇気」をめぐる問いにやがて収斂していくものなのではないだろうか。私なりにパラフレーズするならば、それは世界と自己が向かい合うために拠って立つところを何に定めるかという問題である。

2 愛か、勇気か

例えば「LOVE SONG」と同じくアルバム『PRIDE』(1989)収録の「砂時計のくびれた場所」では「空を追い駆けてみたくなった/勇気じゃない あなたの愛で」と歌われる。ここでは「(「僕」の)勇気」と「あなたの愛」が対照され、はっきりと後者が選び取られているわけだ。仮に「勇気」が必要だとしても、それは同じアルバム所収の「WALK」にて「君を失うと 僕のすべては止まる/いつも側に居て勇気づけて」といわれるように、あくまでも「君」からもたらされるものにすぎない。

これらに共通する他者の「愛」への信頼に、翳りが見えはじめるのはその直後だ。翌90年のアルバム『SEE YA』に収められた「僕は僕なりの」では「君が僕の生き方 愛す度に/少しずつ自分を好きになれた」とあくまでも過去形で語りつつ「君は君なりの愛で/来たんだろうけど」「いつまで僕の事を愛せるの?」と疑念を投げかける。そして相手の愛には期待せずただ「僕は僕なりの愛を/与えて行くから」と宣言するも、見通しは不透明だ――「愛して 愛しても/近づく程 見えない」(「太陽と埃の中で」1990)。91年発表のソロ曲「はじまりはいつも雨」でも「君を愛する度に愛じゃ足りない気がしてた」「僕は上手に君を愛してるかい」「君は本当に僕を愛してるかい」と問いはさらに重ねられていく。

その傍らで「勇気」が再発見される。この言葉についてASKAが綴ったおそらく最も美しいフレーズは、91年のアルバム『TREE』中の一曲「クルミを割れた日」に現れる――「僕はいつも勇気を探る度に/うらがえすポケットからあの日が落ちる」。この一節と同じメロディに乗せて歌われる「愛」はしかし「あしたの月の形より確かに/愛された気がしていた少年の頃」と、対照的にどこか頼りない。その確かさは過去のものであり、かつその過去にあっても「僕」の主観的な印象の域に留まるのだ。このアルバムにはあの「SAY YES」も収められていて、そこでは再び愛への確信が力強く歌われているようにもみえるのだが「恋の手触り」が「消えないように」「愛には愛で感じ合おう」と誘いかけ「君は確かに僕を愛してる」と一方的に言いきるその仕草は、むしろ酷く壊れやすいものを前にしたような不安を感じさせないだろうか。また、アルバムの締め括りに置かれた「tomorrow」が静かにリフレインする「愛しては愛される ただそれだけ」という諦念にも似た感慨にはかつての、かけがえのない他者に由来して自らの生の根拠そのものをなすかのごとき「愛」の姿はもう見当たらない。

そして93年のアルバム『RED HILL』の最終曲「Sons and Daughters~それより僕が伝えたいのは」において、上に辿ってきたような「愛」をめぐる思考にようやく一つの暫定解が与えられる――「僕から君へと伝えたいのは/愛の強さや恋の魔法や/残した夢のつづきじゃなく/帽子の向こうで息を読まれては/ひとり空に見送った あの夏」。

まずここでの「君」は「LOVE SONG」のような恋愛の対象ではない。ASKAはアルバムのライナーノーツでこの曲のテーマを「子供達へ」とし、歌詞を書きながら抱いた「子供を愛するということは大人が大人であるために必要なものなんだ」という思いを記していた。少なくとも「恋」と結びつくかたちの「愛」は、子供たちへの「愛」のもとでその価値を相対化され、代わりにASKA自身が子供であったころの「あの夏」の記憶こそが「伝えたい」ものとして残される。その記憶は「クルミを割れた」「あの日」とつながるだろう。それは大人になった彼がいつも立ち還るべき「勇気」の原点、その失われた在り処にほかならない。

内なる「勇気」を孤独に恃むのではなく他者の「愛」に自らの存立基盤を求める姿勢は、やがてその「愛」の不確かさが顕わになるにつれ破綻する。代って「勇気」の価値が再び見出されるのだが、それはいまある自己の内面ではなく常に「あの日」の、過去の自分に求められる。つまり「(恋)愛」に勝ったのは「勇気」そのものというよりも正確には勇気へのノスタルジーなのだ。ところで、勇気が“かつてそこにあった”といえるのは、同時に愛もまた(ただし「恋」とは無関係なものとして)そのころ確かに存在していたからではないのか。愛を信じることは、すなわち他者を、世界を信じることである。信じるに足るものとして世界があるからこそ「勇気」もまた可能になる。その勇気とは「クルミを割」ることであり「ひとり空に見送」ることであり……つまりは無限の希望を受け止めてくれるかのような世界と正面から向かい合うことだ。あのころ「僕」にとっての世界とはまるで「目に映るすべてが抱けそうだった」(「クルミを割れた日」)。

ところがいつの間にか変質は訪れる。世界は「聞いた風な流行」が蔓延る群れの巣窟としての“世間”に変わる。そしてそこに向かい合うとき、必要なのはもはやすべてを抱きとめようとして広げた腕ではなく、突きつけて闘うための「拳」である。ではその闘いは何を拠りどころにしてなされるのか。かつて「LOVE SONG」においては、対峙すべき世界の外部に確保された二人称単数の領域――「僕」が恋する「君」の「愛」――がいったんは信じられようとしていた。しかし実際には「君」もまた世界の一部なのだから、それもいつかは破れる幻想にすぎない。ならば「勇気」を、といっても、本当にその名にふさわしい勇気は世界が愛と希望に満ちていた過去にしか求められない。だからASKAはまるで自らが積み重ねてきた言葉と思考そのものを蹴散らすようにしてこう歌うのだ――「勇気だ愛だと騒ぎ立てずにその気になればいい」(「YAH YAH YAH」)。

ここでは「勇気」や「愛」、そしてそれを歌うことの意味が、単純に否定されているわけではもちろんない。この曲でASKAが装う血の気の多いアジテーター然としたペルソナはむしろ、愛と勇気を決定的に失ってしまうことへの恐れと不安を覆い隠す虚勢のようにさえみえる。そもそも彼が鼓舞しているのは、ここで何もしなければ自分自身を喪失してしまう、もう後がないようなギリギリの防衛戦である(「傷つけられたら牙をむけ 自分を失くさぬために」)。少年のころの「あの日」から、なんと遠くまできてしまったことか。いまこの「拳」を突き動かすものを、もはや「愛」とも「勇気」とも呼べない、というより呼びたくない――そう思ったのかもしれない。

3 自己治療の試み

だがその、いまから見ればいささか空転しているようでもある虚勢を経ることで以後のASKAは少しずつ肩の荷を降ろす方向に進んでいったようだ。上に見た「(恋)愛」に対する醒めた認識は、さらなる絶望への下降を回避してむしろシニカルな余裕のほうへと極まっていく。例えば「めぐり逢い」では二人称の「君」を一部に用いつつも、基調をなすのはむしろ「ふたり」を等距離に眺めわたす奇妙な客観視点であって、それがこの詞のヴィジョンに捉えがたい屈折をもたらしていた(この曲はまた「どんなに暖めても孵化(かえ)りそこないの勇気」という示唆的なフレーズが含まれる点でも重要である)。あるいは同年発表の「NATURAL」では、一種プラグマティックな感覚をもって純粋な「愛」の理念を遠ざけつつ(「愛しているのか迷っても/一緒に居たいのは解る」「小さな独り言 並べて愛に混ぜよう」)現実的で自然な愛とは「嘘と真実でつくられる」ものであり「愛し合えば合うほど意地悪になっていく/愛といえばそれも愛だね」という達観が示される。この曲と同時に発表された「HEART」もまた「汚れたなら 恋や夢で洗い流せるらしい」という一節の、いかにも皮肉な調子が印象的だった(*3)。

後の「群れ」へと通じるダーティでハードボイルドな文体が際立ちはじめるのもこのころである。具体的には95年の『Code Name.1 Brother Sun』所収の「BROTHER」や「Can do now」、その翌年に発表された『CODE NAME.2 SISTER MOON』における「Sea of Gray」や「I’m a singer」「港に潜んだ潜水艇」などが「俺」を一人称として、しばしば三人称の「女」を用いた語りを採用していた。もっとも、これらの楽曲には「群れ」にみられる振りきった率直さよりも、やはり“シニカル”と呼ぶべき趣が強い。奥底に取り返しのつかない荒廃の予感を沈殿させつつ、表層はときに軽妙で自嘲的で、いささか芝居がかってもいる――「YAH YAH YAH」の熱血漢めいたイメージに、敢えて泥を塗ってみせるかのように。そしてそれは、正面から世界と向かい合うという実存の課題――愛も勇気も、根本的にはその課題に要請された拠りどころだった――をも、一度傍らに置くことを意味していたのではないか。

実際、対をなすこの二枚のアルバムではとりわけ『PRIDE』以後のASKAの詞に顕著だった壮大な、何か深く運命的なものにふれようとしているかのような生真面目な覚悟がやや影を潜め、代わりに彼のまなざしはより直接に自己の内面へと向かっているようにみえる。精神に巣食う「病」の存在――「こんなにも病める心」(「can do now」)、「俺の病める脳みそ」(「Sea of Gray」)――を見据えること。世界から疎外されて「遮断機を降ろされた少年兵」(「BROTHER」)や「外国映画の日本人」(「港に潜んだ潜水艇」)のような孤独のなかで、自分が「ひとつひとつ掴んでみる 確かめてみる/そんなことが出来ないくらい弱っていた」(「もうすぐだ」)ことを認めること。そして、それでも「失うものを失いながら(…)俺はなんとかやってる」(「I’m a singer」)ことを確かめること。先に「ダーティ」で「ハードボイルド」と特徴づけた一連の楽曲群にはそうした、いわば自己治療的な性格がある。それはつまり――『Brother Sun』と『SISTER MOON』の収録作に共通して頻出する「もう」という副詞(*4)が象徴するように――自身の内なる苦境とともにそこからの脱出・変化の兆しをも捉えることにほかならない。一見すると雰囲気の異なる「君の好きだった歌」や「201号」のような、どこか生活の匂いのするパーソナルな楽曲にもおそらくその点は共有されているし、上に見たシニカルなラブソングについてもまたそうだろう。

しかし自己治療とは、さながら足下の深淵と雲間の陽光とを一人で同時に見ようとすることに等しく、ひとたびバランスを崩せばどちら側にも転倒しかねない危うさを常に伴っている。続く97・98年に発表された二枚のソロアルバム(『ONE』『kicks』)でも『Brother Sun』『SISTER MOON』と同様の傾向はみられるが、いずれにせよその数年に及ぶ試みがそれ自体として成功といえる結果をもたらしたのか、軽々には判断しがたい。世界と対峙するリングから降りたところで、その存在を完全に括弧に入れることができるわけでは当然ない――この腕で抱きしめることなどもはや想像もできないくらいに巨大な、圧倒的に非対称な“敵”として、むしろその隠然たる存在感はいや増すばかりのはずだ。そもそも世界に見切りをつけて自ら背を向けることと、世界から追われる立場になることとの間に、果たして絶対的な区別などあるのか。後者の不安に呑み込まれることなく前者の矜持を持ちつづけるためには、結局のところ「愛」と「勇気」が再び必要となるのではないか。

こうして「群れ」は、敵としての世界に対する告発と決別の歌であるとともに――あるいはそれゆえの必然として――「愛と勇気」の帰趨を想い、自らが対峙すべき(世界=群れに代わる)対象として「自分の中の自分」を見出す宣言となった。絶えず危うげに振れつづけてきた自己治療の歩みはこの一曲に、ほんの瞬間であれ奇跡的な均衡をみせているように思われる。だからこそ見かけの陰鬱さとは裏腹に、この「群れ」という曲には本質的に健康的なところがあるのだ。それは「LOVE SONG」が、いかにもオーセンティックな愛の歌たる風格を示しながらもその核心に病んだ意識を抱え込んでいることと、ちょうど裏表の関係にあるのかもしれない。

だが何の両面なのか、といえばそれはやはりラブソングの、ということになるだろう――「LOVE SONG」が実のところ“異形の”ラブソングであるのと同様に「群れ」もまた異形の“ラブソング”と呼ばれるべきなのである。


*1 ユニット名の表記はデビュー当初の「チャゲ&飛鳥」からたびたび変更されているが、ここでは「CHAGE and ASKA」という2001年以降の公式表記に統一する。
*2 2000年以前のASKAは作詞作曲の名義を「飛鳥涼」としていたが、ここでは作詞者を指す場合も含めて現在の公式アーティスト名であるASKAに統一する。
*3 この二つのシングル曲はいずれも後に『Code Name.1 Brother Sun』(1995)に収録されている。
*4 「もう無理のないこの部屋に」(「201号」)「もうこれ以上崩れたくない」(「can do now」)「もう少しだよ あと少しだよ」(「NO PAIN NO GAIN」)「ここを越えればもうすぐだ」(「もうすぐだ」)「僕の荷物はもうここに沈めてみよう」(「river」)など。


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