紺屋町

なぜ地域を愛するのか②

 前回、富田地区との深いご縁について触れさせていただきました。必然ではなく偶然が重なって、今ここにいると思っています。忙しい毎日に流されて、昔の思い出にふけっている余裕もありませんが、あの懐かしい日々が自分の原点であったと言えるお話をさせていただきます。

 私は新卒で社会へ出て商社に勤めたわけですが、転職は一度もせず、新聞販売店を経営するまで10年間同じ会社でお世話になっていました。最初に入社した同期のメンバーは1年目に姿を消していきました。理由は「お給料に合わない仕事をさせられている」というものでした。

 そういう彼らの方が実績は上がっていました。実は私は1年以上、まったく営業で成果を上げることができませんでした。そんな私にすれば、なぜ彼らが早々に諦めてしまうのか理解ができませんでした。

 私たち新人はその時上司だった課長さん3名に一人づつ管理育成されていました。どの課長さんも会社の主力社員で仕事のできる方たちでした。私の直属の上司はどんな気持ちで私を指導していたのでしょうか。そんなに社交的でもなく、気が強い営業向きではなかった私を初めから急速に育てようとは考えていなかったのではと思います。

 私と上司は毎日、営業活動が終わると大学ノートを使って交換日記をしていました。顔を合わさずに退社する時もありますので、そんな時でも上司の机に日記を提出して帰ると、翌日の朝にはコメントが記入された日記が私の机に置かれていました。今思うと気が遠くなるような手間暇です。

 でも上司はこの子にはゆっくり、しっかり教えて向き合っていこうと考えてくれたのかも知れません。私はその日記を今でも宝物として大切に持っています。あの苦しかった日々の心の支えとして、交換日記は重要な役割を果たしてくれました。

・ある日の日記

私)今日は○○建設にコピー機のPRをしてみました。忙しいから来なくていいと話を聞いてもらえませんでした。ちょっと落ち込みました。でも受付の方から機械の調子が悪いと教えてもらったので、また提案書を作って行こうと思います。

上司)そうか、それは残念だったね。でもその担当者もたまたまお忙しくてタイミングが悪かっただけかも知れない。深く考えずにまた行けばいい。でも簡単に諦めずに受付の人からお困り事を聞いてきたのは七田くんらしくて良かったね。ぜひその会社にピッタリの機種を提案していこう。

一年が過ぎたころ、相変わらず私は自転車で営業に出かけていました。

 こんな日々がいつまで続くのか、本当に成績を上げる事なんてできるのだろうか。そんな気持ちでとある不動産管理会社に飛び込みました。

 そこには中年の男性がお一人でお仕事されていました。聞いてみると併設している店舗を貸して、その管理をされているとのこと。

 事務機器を販売していましたので、まずはお使いのコピー機やFAXについて伺います。その時でも結構古い、小型の機種をお使いだったと思います。

 「コピーやFAXなんて、たまにしか使わないよ」と言われ、難しいかな...と思いながらもセオリー通りカタログでPRをしてみました。すると社長はFAXに関心を持たれ、色々と機能について質問をして頂きました。

 しかし残念ながら商品説明もおぼつかない私は「えーと、確認してお返事します」の連発で、何しに来たんだ!と言われてもおかしくない対応でした。

 ところが、社長は「そうか。では会社に帰って聞いてきなさい。待ってるよ」と優しく促してくれて、私は何度も何度も会社と往復して質問に答えていきました。何日もかかったと記憶しています。何と手間のかかる営業マンでしょう。

 そして一通り疑問を解消できた時、社長は「よくわかった。見積書ももらったので、導入しよう。いつ納品してくれるかな?」とおっしゃいました。

 私はまさかこんな対応で契約していただけるとは思ってもいなかったので、最初何が起こったのかわかりませんでした。

 「君から買うと言ってるんだよ」と再度言われ、「本当ですか!?ありがとうございます!ありがとうございます!」と何度も頭を下げていました。あの時の嬉しさは一生忘れません。

 喜び勇んで会社へ戻り、同僚や上司に「初めて決まりました!!」と報告しました。「七田くんが1号機決まったぞ!」と上司が社内で叫んでいたのを覚えています。私が人生で初めて商品を販売した瞬間でした。いま思い出しても涙が出てきます。。。

 初めて売れた機種は金額にして数万円の家庭用に近いFAXでしたが、機種名さえも覚えています。売り上げにすれば会社に何の影響もない程度でしたが、この一件が私に意識の変化をもたらします。

 それからというもの、営業は商品を深く知り、商品を好きにならないとお客様に気に入っていただくことなどできないと気付き、カタログの虫になりました。とにかくカタログを読み漁り、新商品が出ても全て熟読し、自宅に持ち帰って枕元で読んだこともたびたびでした。それぐらい「商品を知る」ことが楽しくなったのです。

 社内でも商品の機能については七田君に聞け、と言われるほどそれぞれの機種のセールスポイントやウィークポイント、競合他社と比較してどうなのか等多くの知識が身につきました。それによって提案書に説得力が生まれ、魅力的な商品に見せることができるようになって徐々に契約が取れていくようになりました。

 それからの私のストーリーは置いておいて、1号機を導入して頂いた社長の話に戻ります。

 実はこちらの社長様、ご自宅が富田地区にあったのです。しかも皮肉なことに、一本だけ通りがエリア外という絶妙の場所(^_^;)。ただ車ですれ違うことは時々あり、ご健在なのは知っていました。

 そして富田専売所を任されて10年の月日が流れ、発行本社政策により、ついにそのエリアも担当することになりました。その一日目、私はその社長様のお宅を訪問してみることにしました。

 新人の頃からですから、実に20年ほどお会いしておらず、多分私のことなど覚えていらっしゃらないだろうとドキドキしながら、用もないのにチャイムを押しました。

 「はい、どちらさん?」と出てこられたのは、まぎれもないあの日の社長様でした。少しだけ年齢を感じましたが、まさにご本人。私は気持ちが高ぶってなにも言えません。

そんな私の顔を不思議そうにじっと見つめて一言、「ん?君はもしや…あの時の」
「はい!私です。社長に初めて商品をお買い上げ頂いた七田です!覚えていてくださったんですか!」
「もちろん覚えているよ。いいおじさんになったなあ(笑)」
「社長はお変わりなく…」(涙)
「そうか、新聞店を経営しているのか…頑張ったな…」
私は笑いながら泣いていました。
 社長がお元気だったこと。覚えていてくださったこと。この10年会いに来られなかったこと。色々な思いが入り交じって心が熱くなっていました。

 今になってあの時社長はなぜ私から商品をお買い上げ頂いたのか聞いてみました。

 すると「君が誠実に対応して、いい加減な返答をしなかったからだよ。一生懸命だったから。そして何より君のためになってくれれば、君の成長に繋がればと思ったからなんだ」とお答えになりました。

 どこの誰だかわからない赤の他人で、売ることしか考えていない営業マンを、「育ててあげよう」なんて、今の世の中思うでしょうか。20年前の感動が甦ります。そのあとも名残惜しくてしばらく雑談をしました。

その中でまた驚きの事実がわかりました。

 何と! 当店のすぐ近所にお住まいのお宅に娘さんがお嫁に行かれていたことが分かり、実はそこにいるお孫さんは私の娘の同級生でお友達だったのです!もちろん社長の娘さんとも同じPTAでよく知っていました。

まさかあの人が社長の娘さんだったなんて...10年間知らずに交流していた...

 私の人生における恩人の愛孫さんが娘の幼なじみとわかった時には、時空を越えた運命的な繋がりを感じました。(私はこの地域に来るべくして来たんだ)

 今現在、その社長様のお宅には当店から新聞が届き、毎朝ご覧頂いています。時にはまごころサポートのお知らせや健康教室のお知らせが入りながら...。どんなお気持ちで毎朝新聞を開いていただいているのか、想像するだけで幸せな気持ちに包まれます。こんな風に恩人と繋がりを持てる、この仕事をしていて良かったなと改めて感じています。

 私が富田地区を愛する理由。エピソード2は以上です。まだまだ多くのエピソードがあります。また次回ご披露したいと思います。

徳島新聞富田専売所
株式会社七田新聞店
代表取締役 七田伸也

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