なぜ地域を愛するのか③
いきなり余談ですが...
今朝、新聞配達をしていて急にわかったことがあります。天から降りてくるような感じで…。もやもやしていた点と点が線で繋がりました。
そして「これは凄いぞ!」と無性に感動し、涙ぐみながら配達をしていました。(頭がおかしくなったのではありません(笑))今置かれている環境の意味や可能性がわかってしまったのです。
こういった現象はしばしば起こります。複数の方も証言されています。新聞配達中にアイデアが降りてきたと…。
配達に集中して無心で体を動かしていると、脳のなかで何かが覚醒するのかも知れませんね。皆さん是非新聞配達をしましょう!人生が変わるかも知れません。(笑)
さて、前回の続きのお話に戻りたいと思います。
会社員時代の私には沢山の恩人がいます。その中に、ある広告代理店の社長がいらっしゃいました。
この方は普段から仕事熱心でお忙しく、私が営業に伺っても特に会話して頂くこともなく、主には事務員さんにご対応頂いていました。
ある時、当社から納入していた専用端末の不具合が原因でお仕事に支障をきたしたため、いつ頃不具合が解消できるのかお問い合わせのご連絡を頂いた時に、私の対応が曖昧な返答に終始したため、社長が激怒してしまいました。ものすごいけんまくで…
「いつ使えるようになるのか?」
「申し訳ございません。現在対応を協議中で何とも申し上げられません」
「早急に対応すると言ったではないか」
「メーカーにも確認中で原因を調べていますので少しお時間ください」
「仕事にならんと言ってるんだ。方法はないのか?」
「代わりの機械をご用意することも難しいので、何とも...」
「いい加減にしろ!お客様を待たせてるんだ!もし対応出来ないならおたくから納品している機械を全部持って帰れ!二度と出入り禁止だ!」
この会社は前任が私の上司で、大変懇意にお付き合いを頂いていて、よくご指名でお電話がかかっていたので私に務まるだろうかと不安な中で担当していました。いまだに上司の名前がよく出てくるほど私では力不足でした。
ですので、まさかここまで私個人に対して怒りをぶつけてくるとは思ってもみなかったので驚きと申し訳なさと悔しさで受話器を握る手が震え、次第に涙がこぼれてきました。周りには同僚や上司もいたため、泣きながら電話対応する私を心配そうに見ていました。
私も泣きながら電話対応したのは後にも先にもこの時だけで、それほど重要な出来事だったと記憶しています。
何とか電話を切り、その後も泣いていた私を見て、「七田君、その悔しさを忘れるな。なぜそこまでお客様が怒ったのか考えるんだ。自分の何が怒りを買ったのか。同じ失敗をしないためにも」と、上司に言われました。
すぐには冷静に分析などできませんでしたが、そのあとしばらくはいつも考えていたと思います。気は進みませんでしたが、電話だけではまずいと思い、何が怒りを買ったのかわからないままお詫びに訪問しました。
すると社長は普通に対応してくれ、時折笑顔も交えながら、電話が嘘のような感じで「対応してくれたからそれでいいんだ」と言って頂き、取引停止にもなりませんでした。
そのあともしばらく社長のことを考えていました。そしてなんとなくわかったことがありました。怒りの原因は私の当事者意識のない対応、お客様の立場に立たず、親身になって寄り添わない意識が見えてしまったからではないかということ。
しかし、本気で怒られた私がそのあと必死で対応したのを見て、逆に親近感を持っていただけたのではないか。数百件のお客様の中の一社としてではなく、社長だけを真摯に見つめ、どうすれば信頼回復できるのかを真剣に考えたことが、その後の信用を生んだのではないかと思っています。
結果、その後は私をご指名いただくようになり、備品の購入は全て当社を採用いただくようになりました。昔の担当者から完全に脱却できたわけです。この経験がその後の営業キャリアの土台となり、常に一社一社、お一人お一人のお客様を見つめ、その都度真剣に対応する考え方を生みました。
そしてグッときたのが、後日談として上司や事務員さんから聞いた話です。実はその社長は本気で怒っていたのではなく、電話の向こうで演じていたということ。無理を承知で怒り、私がどう対応するのか試していたそうです。
あんな言葉をかけてくれた上司も、実は社長の心中を察していて、あの人は七田君のためを思って怒ってくれているのだろうとわかっていたとのこと。そのうえで私に考えさせたのです。上司もある意味演じていた訳です。
人の育成には色々な要素が必要で、手間と労力がかかります。しかし、人の成長こそ喜びであり、育ててくれた人の想いを受け継ぎながら、また、次の人を育てていく。人生のたすきリレーを繋いでいくように...
私が新聞販売店を始めて数年が経ったある日、新聞の訃報欄に社長のお名前を発見しました。あまりにお若い旅立ちだったため、相当ショックを受けました。会社員時代の取引先の告別式に行くことはありませんでしたが、この時は即断で参列させていただきました。
そして会場で久しぶりに当時の上司と再会しました。ほとんど言葉は交わしませんでしたが、目が合って、そばに来て一言「やっぱり来たのか...」とだけ声をかけられました。それほど、元上司と私と社長の思い出は深いものがありました。
今ではこの広告代理店は閉店し、別の事業所が入られています。この場所もまた、富田地区にあり、建物の前を通るたびに当時の思い出と共に、あの時学ばせていただいた出来事が教訓となって心に語りかけてきます。天国の社長に褒めて頂ける人生を歩んでいきたいと願います。
徳島新聞富田専売所
株式会社七田新聞店
代表取締役七田伸也