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「できない」は当たり前のこと。子どもに完全を求めていませんか?
子どもが最近元気がない…。そんなとき、親としてどう考えますか?
寒くなってきたから?あるいは、学校生活に疲れているから?それとも、お友達とうまくいってないのかも…?
多くの親御さんが先ずそんなふうに心配し、子どもにあれこれと理由を尋ねることでしょう。
しかし、どの理由にも子どもが首をかしげる…。そんな時、子どもはもしかすると目の前にいる親に対して何かモヤモヤとした気持ちを抱えているかもしれません。
実は、親が無意識に子どもにかけている「期待」が子どもを苦しめていることがあるのです。
●人は不完全だからこそ、価値がある
親は誰でも、子どもに期待をかけるものです。良い子、デキる子になってもらいたいあまりに発奮させようとして「ぐずぐずしていないで早くしなさい!」「何でそんなに駄目なの!」「どうしてこんなことができないの!」などと言いがちですが、そのようなマイナスの言葉は子どもの勇気ややる気を削いでしまいます。また、否定的な感情は相手に必ず伝わります。親が自分をいつも否定的に見ていると感じた子どもは、反抗的になったり問題行動が多くなったりすることがあります。
20世紀初頭にドイツで創始した心理学の一学派であるゲシュタルト心理学に、「未完の行為」という考え方があります。未完の行為とは、過去にできなかったこと、してほしかったのにしてもらえなかったことなどに対する心残りがあると、それにとらわれるあまり、自分や他人に完璧さを求めてしまうというものです。「○○だったらいいのに」「△△ができたらいいのに」と言われながら育った子どもは、「完璧にならなくてはいけない」「完璧になったら望みが叶う」と思うようになります。しかし人間は所詮、不完全な生き物で完璧になることなどできません。その結果、「完全でないからほしいものが得られないのだ」と葛藤し、不安感が強くなったり、幸せを感じられなくなったりするのです。
子どもに完全を求めるのはやめましょう。子どものいまの姿は、成長の一過程にすぎません。できないことがあって当たり前なのです。
また、人は不完全だからこそ、少しでも完全に近づこうと努力をします。不完全さはその人の個性であり、それ自体に価値があるのです。
●できなくても当たり前と思いましょう
ある女の子が3歳になったとき、その子の親はこの時期に何かを始めさせたいと思い、ピアノの教室に連れて行くことにしました。ところが、少しもピアノには集中できず、テキストに描いてある絵や、鍵盤が動く様子のほうが気になって、レッスンどころではありませんでした。数か月経った頃に行われた発表会では親と簡単な連弾をする予定でしたが、リハーサル前からぐずってしまい、結局、女の子を膝に乗せたまま、親とピアノの先生で連弾することになってしまいました。
そんなわけで、習い始めてわずかな期間でピアノをやめることになったのですが、しばらくすると女の子は自分から「ピアノがやりたい」と言い出して、それからは親に言われなくても進んで練習するようになりました。とても楽しそうにピアノを弾く姿が印象的だったそうです。そして小学校4年生のときには、日本でもっとも大きなピアノコンクールにも挑戦したのです。
子どもがやる気になっていない時期に無理に押しつけても、良い結果にはなりません。子どもそれぞれに始めるタイミングがあり、また、それぞれにできるようになるタイミングがあるのです。
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できないことがあっても当たり前と思って、気にしない。できることをきちんとほめる。このことを心がけると、子育てをする親の気持ちも楽になっていくでしょう。
子どもの様子が最近へん?と感じたら、親としてのふるまいをぜひ振り返ってみてください。