シブヤフォントは障害者と学生を利用しているの?
シブヤフォントって学生にデザインさせてるんでしょ? 障害のある人のアート利用してお金にしてるんでしょ?
どうも、シブヤフォントのライラです。この6年言われてきた言葉の数々。そうではないのにどうも伝わらなくモヤモヤしていた。
そんな中、10/25 に NHKハートネットTVのあがるアートで シブヤフォントの制作工程が密着された
熱心に現場を取材していただき、活動をしている私たちでさえ言葉で表しきれなかった交流を通した共同創作の側面を丁寧に繊細に描いていただいた。
そのせいかこの3日間、とにかく頭の中がぐちゃぐちゃで整理が近なく少々寝不足である。
「障害者アート」と呼ばれがちな障害を持つとされる人々のアートはこの20年間でさまざまな商業や事業で活用し始められ注目の場もひろまっている。
障害福祉の現場で制作された創作物がさまざまな展示物や商品に展開されたりと、ちゃくちゃくと一般的な認知も広まっている。それは間違いなく支援の現場の人々など多くの現場の人やそのネットワークの献身的なアクティビズムのおかげでもある。
しかし、皆さんが公の場でみるアートというのはとても限られた現場のものでもある。それはまず現場がアートに対する理解があること、お金や地域交流にも転換できる可能性があるとわかっていること、創作の設備や制作環境が整っていることがあるかどうかによる。またアーティストやデザイナーやクリエーターとのつながりがあるか?などもすごく重要になってくる。ではそうでない場所はどうか?シブヤフォントは経験や知識問わずかかわり共同することをやってきた。
多くの障害福祉作業所・施設が目標としていることは2つ。賃金向上などの経済自立と地域でいきいきとくらせる社会参加の機会の提供。すなわち施設でやっている仕事をお金につなげることと、よりメンバー(利用者)が地域(外の世界)とつながり生きていけること。それはすなわち人との関係性を養いその人の自己肯定感やウェルビイングにもつながるできることを増やすこと。
番組に戻るととても印象的なことばがあった
「絵を素材としてみていなかった」
学生が担当施設の参加アーティストと制作していた中で放った言葉。
10年ぐらい障害福祉の現場の皆さんとデザイナーとして関わってきて思うのが、現場のメンバーさん(利用者)が書いたアート(素材)などをデザインなどの「外に出すもの」に変えていく過程で、どれだけ制作されたものに対して現場はオーナーシップをもてるを私は考え活動してきました。
また同時にデザインする側も何を思い制作してるのか? 障害のある人のためにやってるというだけでは対して何も世の中変わらないと思うから。
私自身も身体障害があって車椅子をつかっている。そしてデザイナーでもある。でも世の中に出ていくと何故かこの2つのアイデンティティーが混雑することがある。正直「障害者」としてみられることは大嫌い。それは「障害」が自分の代名詞になって「〇〇ができない人」というイメージとして先に見られることになるから。これは特に施設の参加メンバーやそのご家族や支援者も多分同じく思ってる人は多い。
シブヤフォントでも障害を持つ参加アーティストの絵をただ学生に提供することはできる。この絵を柄にしてください、よ。でもそれって印刷会社に絵を私てデザインしてくださいって言っているのと同じ。学びも特にないし、表面的な解釈で絵を見ているだけで製作者に対する理解も何もふかまらない。障害のある人ない人にそもそも上や下はない。障害があるひともないひともイキイキと」と語る多様な社会を目指していこうとしている活動や企画の中でそもそも「障害者」を意識しすぎるとかえって何も変わらない。お互いに能動的に交流することでしか何も変わらない。人間の側面で互いに思うことなどをぶつけ合うことが本質的な理解とリスペクトにつながる。デザインをするということは人を理解すること。多様な社会目指したいならなおさらである
だから学生に最低5回は現場に行ってねという。制作の過程や現場、瞬間をみることで表面の奥にあるストーリー性や質感、可能性を感じ取ることでデザインが発展していく。
「人としてのコミュニケーションの一部でアートがあった」
学生たちにも参加アーティストを障害者としてみて欲しくなかった。だから学生とアーティストを最初から共に制作する様に促す。アート(創作)という共通言語をとおして互いを知り視点を交換したり刺激し合う関係なってほしい。
最初は学生は施設に圧倒される。また遠慮もすごくある。どう絵を扱っていいか、色を変えてしまっていいのか? リクエストしてもいいのかな?とか
学生が施設のみんなから学ぶように施設のみんなも外の人から学んでいいと思うんです。変に知的障害でこだわりがあるから、とか精神的にセンシティブなのでかえって悪いとか。 人の気持ちなんてわからないし想定しすぎるのもかえってそれはそれで私は差別の一種だと思うんです。偏見の上で想定してやらないとかできないとか決めつけてしまうことでかえってその人の可能性をストップさせてしまう。人権を損害させるんです。
参加アーティストだってアート活動をやっている時は楽しいっておもいたいし、自信つけたい人もいるだろうし、上手くなりたいって思う人もいるだろうし、もっといろんな人に見せたいと思うだろうし。そんなときデザインという視点をもっている人と会ってその人が思う素敵さとかを知るのも大事だと思うんです。 もちろん強引に自分の意見をいいません。そこはもしアーティストと直接話せないんなら支援員(日々参加アーティストのケアやサポートをしている人)と相談しながら「こんなことしてみたいんだけど」などと相談すればいいし。また素敵だねとか面白いとかそういうことをいっていくなかでアーティストにも変化が起こったりする。
ハートネットでも紹介されたずっと緑や暗い色で丸を描いているみずきくん。デザイナーの学生からして絵の具でやったら、もっと明るい色もやってみたら魅力的になると確信している。でも言ってしまったら失礼かもしれないという迷いもある。でもいってみないと何も変わらない。大丈夫、「支援員がフォローしてくれるから」。支援員に学生は相談した。よしやってみよう。最初は微妙な反応のみずきくんも、実は学生と会う期間以外でも絵に変化が出てきた。色使いも鮮やかになる色を重ねる作品も増えてきた。
またもうひとりの参加アーティストのりさちゃん。自分の絵がパターンになったのをみたあの感動のスピーチ。彼女の絵も多分これから変わっていったり新しくなっていくと思います。支援員も今後の支援や施設内の活動の新しい切り口を提供する。
学生もデザインの根本となる「人と作ること」を肌で感じ自分の意見や作ったものがどう人に影響するかも学ぶ。そして障害などへの視点も変わっていく。技術と社会性両方をまなんでいる。
シブヤフォントの願いとしてはもっとアートを通して施設の皆さんの可能性を引き出し経済的向上や社会交流の機会を増やしていくと共に、もっと社会的理解が深いデザイナーを増やしていきたいんです。だから学生なんです。べつに将来施設の方と関わらなくてもいいんです。大事なのはその景色や経験がが自分の原風景にあること。
どうですか?利用してますかね?
そんなシブヤフォント。12月の障害者週間はイベントづくしです。
名付けてSHIBUYA FACTORY 428/294
12月2日〜12月15日まで渋谷区を中心に施設の参加メンバーと学生が共に作った新パターン&フォント発表会 や 渋谷区庁舎丸ごと美術館など この1年間いや、6年間みんなが歩んできた成果物や物語などがみれると思います。
詳しくは 下のリンクから↓↓
誰かにとっての「何か」が必ずあると思います
ぜひご覧ください。オンラインでも現地でも一同お待ちしています。
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