見出し画像

お茶の間から愛を込めて

太客歴7年目、古参でもなきゃ新規でもない、ライブ会場では常に拓さんイタタオル(二代目デザイン)所持のシブヤと申します。よろしくお願いいたします。15歳10歳5歳の三人の子どもの子育て真っ最中の身でありまして、参加できるライブは年に1〜2本。こんなわたしが太客と名乗っていいのかたまに不安にもなりますが、クリープハイプ愛はいつも熱く胸に秘めております。


アルバム!

クリープハイプのアルバムや尾崎さんの著書に寄藤文平さんのデザインが採用されるようになって長いですが、クリープハイプの持つ独特のバンドの空気感がデザインとして可視化したような本当に素敵な組み合わせです。
 今回の装丁も(初回限定版)一冊の本のようにしっかりとした厚みがあるのに、寄藤さんの選んだ特徴的な黄色が目立ちすぎず、四人の顔がスタイリッシュに描かれていて、置いておくだけでかなりおしゃれです。メンバーの顔の特徴をこんなにも正確に捉えることができましょうか?(いやできない)(反語)部屋に置いておくと目の中の黒目がどこにいてもこちらを見ているような不思議さもあります。
 ユニバーサルから届いた段ボール箱を開けて、アルバムを取り出した時の感動ったら。一言目にわたしが言った言葉は「いいの作ってもらったねぇ!!」でした、おばあちゃんか。

M1 ままごと

なぜアルバムの1曲めに「ままごと」というタイトルを選んだのか興味深々です。そういえば「2LDK」「料理」もありましたね。暮らすことに対する強い思いを感じます。「普通の暮らし」って何でしょうね。わたし自身いま43歳で尾崎さんたちとまさに同世代。20代で結婚して、子ども3人産んで、30代で家を建てて、人生双六順風満帆…のように見えて、心の中ではいつでも「自分はダメすぎる、どうしたら普通に生活できるんだろう」と一人で膝を抱えて泣いているような気持ちになるんです。お茶の間には家族の団欒があるのに心の中で泣いているわたしのことは誰も知らない。そんなわたしにクリープハイプの音楽がロープを投げてくれます。「こんなところに居たのかやっと見つけたよ」というアルバムタイトルには、わたしが言って欲しかった言葉を見透かされたような驚きがありました。

「このまま そのまま 二人でいよう」

ああ!最初のその歌声だけで、全身が新しいクリープハイプの音楽が聴ける喜びでいっぱいになります。わたしの大好きなこの声が、曲が、今日も支えてくれます。

M2 人と人と人と人

真ん中の子どもが最近携帯電話を買いました。携帯を持たせる持たせない、早い早くない、ママたちの間ではいろいろな議論があります。うちだって裕福でもないし危険性を考えるととても迷いましたが、本人のしぶといオネガイもあってついに契約しました。その時の嬉しそうな顔!それで、携帯電話を持って、子どもがまっ先にしたことが、四人のお友達と一緒に向き合って”ピース”した指を星形にした写真を撮ることでした。お姉ちゃんがやっていて憧れていたそうです。「人と人と人と人」というタイトルを見た時に、咄嗟に思い出したのがその星形の写真でした。

MVはモノクロなのにとにかく幸慈さんのギターが喋っているみたいにカラフル!「今日はどこへいこうか 人と人と人と人が まだ出会わないことで生きている街」なんて素敵な一文でしょうか。まだ出会わないことで生きている。街は人が造った無機物の集合体、そこに集まってくる有機物である人、でも、出会っていない人と人とは無機質な顔ですれ違っていく。モノクロは寂しそうな色だけど、誰かと会った人の顔に差す赤みや差し出した手の肌色が一番映えるのもモノクロだとも言える。ドラマのような場面ばかりではないけど、日常にある人と人がかわす小さな交流がこの街を生かしている事を想像するような2曲目です。

M3  青梅

青梅がリリースされた時に、おうめ?とか言ってたの2023年の初夏のことだったんですね。当たり前に日々聴いているクリープハイプの1曲だったので、あらためてこれがアルバムに入っていない曲だったなんて!と驚いてしまうほどでした。MVもアクション満載でカッコよくて、おでこ出ているスタイルの尾崎さんにドキッとします。ライブではやったことがないですよね?夏に聞きたいなぁ。イントロのちょっとコミカルな音やパーカッションがシャラシャラとクレッシェンドしたりデクレッシェンドするところが細やかで本当に好きです。

新しいものを買っても取り扱い説明書をまったく読まずに使い始めるようになったのはいつからでしょうか。最近の家電はわかりやすく手順も簡単になっていたりして、トラブルでもない限り説明書を開くことも殆どありません。それと同じ、というのは飛躍しすぎかもしれませんが、同じように歌詞カードも見ることがなくなっているような気がします、少なくとも自分は。
 尾崎さんが『私語と』を出版した時だって、歌えるし知っている歌詞をあらためて読む必要があるのか、なんて斜に構えた自分が恥ずかしい。歌詞カードを開くと、文字で飛び込んでくる言葉。文字になっているから、読む間に考える隙が入る、当てられた漢字が自分の思っていたのと違っていたりする。やっぱり、歌詞がいいなぁ。

M4 生レバ

アルバム収録曲のタイトルが発表された時わたしのTwitter(→X)のTL上で一番話題になったのがこの曲でしたね。まさかKアリーナで聴けるとは思わなかった!尾崎さんの「いただきます」からのカオナシさんの怪しいベースイントロ、ボンボン上がる火柱、渦巻きの赤々とした照明。漫画『HUNTER×HUNTER』33巻で暗黒大陸に初上陸した若かりし日のネテロ一行が「ここは…デカすぎる!!」というシーンで見せる顔と全く同じ顔をしていたと自覚しています(←伝われ)圧倒されました。

「余れば買うし 無ければ売って 生レバ食べたい」を繰り返し…こんな突拍子もない歌詞をこんなにカッコよく演奏できるバンドが他にありますか?いやない!(反語が好きなシブヤ)15周年のクリープハイプにしかできない曲です。「生レバ食べたい」って歌詞にしたのクリープハイプが初なのでは…。とにかく、いろいろ言うやつには言わせておけばいい、圧倒的な音で振り切る強さがあります。今原電気監督のMVも最高にコミカルにカッコいいですね!!クリープハイプに関わっている人たちが本当にユニークでクリエイティブなお仕事をされている方々ばかりで、いちファンとしてもただただ嬉しくなるばかりです。

誰かに「クリープハイプの何の曲が好きなの?」って聞かれて「生レバ」って言ったらどんな反応するかしら。「ん?」「生レバ」「なまれば…」それか「黙れカス」「えっ……」

M5 I

空音さんの「どうせ、愛だ」が大好きで何度も何度も聴きました。「ぽっかり空いた 穴を塞いだ その正体は どうせ、愛だ」愛に対して人は時に大袈裟に時にロマンティックな表現をしますが、「どうせ」というのはどういうことか!と驚きとともに、その言葉を選んだセンスに憧れます。SNSでは「ぽっかり空いた穴は句読点の部分でそこに I  を入れるとドウセイアイになる!」とかすごい考察が飛び交っていて、よく考えずにその通りなんだと納得してしまいそうになります。

たぶん何も知らない君、何から何まで違うのに”こんなところ”だけが同じ君、1秒でいいから会いたい君。同性愛かどうかもはや真相は知らなくてもいい、切ない。尾崎さんの歌い方がとても優しいですね。

M6 インタビュー

「インタビュー」という曲名が付いていますが、なぜそう名付けたのでしょうか?
君にだけバレたい。この「君」は具体的に誰かを思い浮かべているのでしょうか?
燃え尽きて 消え尽きたのにでもまだある、これまで燃え尽きたっていう経験は?

インタビューされるということは、改めて考えてすごいことですね。その人の話を世間の人が聞きたいと思っているからこそ、インタビューの対象者に選ばれる。わたしなんかは一生インタビューされる側になれそうにありません。この曲がテーマソングになっていたNumberTVのインタビュー番組、それぞれの選手のエピソードを聞くたび、どうして同じ人間なのにここまで自分と違って立派なのかと自分を恥じるばかりでした。番組の印象が強くて6曲目なのにエンディングだと思ってしまうくらいです。尾崎さんの声の強弱の付け方が心をぎゅっと掴むような素敵な曲です。

M7 べつに有名人でもないのに

「アタシ」が出てくる曲は本気だぞーー!と過去発言を思い出して勝手に盛り上がりました。タイトルからすでに何か嫌なことでもあったのだろうかと想像してしまいます。まさかのしっとりとしたピアノで始まるスローテンポの曲だとは!意外でした。
「あたし しかし」なんて本当に尾崎さんって感じでちょっと笑ってしまった。
『しょうもな』のように振り切るスピードではないのに、かえってそれが世の中をじっと睨みつけているような強さを感じます。

【クリープハイプを好きな人は「クリープハイプを好きな自分が好きなだけ」というツイートをたまに見るけど、好きなものを好きな自分を好きで何が悪い?そんな当たり前のことをわざわざ揶揄するような人に大事なファンを馬鹿にされるのがたまらなく苦痛だ】尾崎さんのTwitterより(2022年9月9日)

このツイートを見た時、なんてファンを大切にする人なのかと涙で目が熱くなったことを思い出しました。たまにわたしの好きなもの馬鹿にしている発言を見かけたりすると、悔しいよりなんかそれが好きな自分って恥ずかしい存在なのかな?と、隠れたくなるような気持ちになることがあるんです。でも、違う、違う。わたしが好きなことを好きだと言うことで、その好きという気持ちを受け止めて喜んでくれる人がいるなんて、なんて素敵なことなんだろう。恥ずかしい存在はどっちだよ。お前はいつまでも真っ黒な歪んだ好きのボールを誰も受け止めてくれない壁に投げてろ!…なんて憤ったところで四角い画面の向こうの誰かが誰なのかもよくわかりませんが。
 誰かを励まそうとか応援しようという意思ではなく、どこまでも「あたし」から出てくる何かに着目しているのがクリープハイプの歌詞の好きなところです。

M8 星にでも願ってろ

次の曲が始まる前の沈黙、紫色っぽい照明。ゆっくりとカオナシさんと幸慈さんが一歩前に出てくる。イントロのちょっと情けない音程のギター、拓さんがシンバルでカウントを取る「1-2-3-ダダン!」ここで一気に明るくなる照明!バンドって楽しい!!って感じの四人それぞれの個性爆発の演奏。尾崎さんが俯きながらギターを掻き鳴らしてうっすらと笑っている。
 カオナシさんは自分の曲を歌う時に笑ったりしない。いつも‘スン’とした顔をしている。機械のように正確なベースを弾きながら、まっすぐ前をみて歌っている。ちょっと昭和歌謡っぽいメロディーも、うるさいくらいピロピロしたギターも、ジャカジャカなギターも、賑やかで楽しい。
 「あの娘が幸せで居ますように でも孤独に寝てますように 相反してても構わない 星にでも願ってろ」相反って言葉を選んだのがさすが長谷川節。そしてギターソロ!【幸慈ステップ】などと非公式に呼ばれているあのクルクルと踊るような幸慈さんのステップ!放射線のような照明が流星のように飛んでくる。
 「物騒過ぎ てんで笑えない」の後の四人がジャン!と音を合わせるところ、「でも孤独に」を追うギターとドラム!太鼓の達人のむずかしい(松)で出てきそうな譜面!!(叩けたらめっちゃ気持ちがいいだろうなあ)
 そしてアウトロのジャカジャカした賑やかさからイントロのぽよーんに戻っていくようなところで四人が集まってきて拓さんの方を向いて、びょいーんってギターが鳴って、息ぴったりに演奏を止める。

わたし、泣きながら両手を上にあげて大拍手!!!!

…ここまでがはっきりと想像できたので、星にでも願ってろが大好きです。
(もはやライナーノーツの体を成していない)

M9 dmrks

わたしは他のアーティストの楽曲に詳しくはないけれど、曲名に「黙れカス」を採用するバンドはほかにないんじゃないか…(そういう意味では「生レバ」とか「喉仏」もそうだし「は?」も「あ」もそうだよ)そういうところがまた好きになっちゃうんだよな、沼、本当にどこまでもクリープハイプは沼です。

エゴサが趣味を公言しているし、高じて『転の声』というエゴサ文学(この言われ方もずいぶんとまあ、とは思いますが)まで上梓した尾崎さんがついに曲の中でぶっ●しにかかってきましたね。「こんなことなら」が低音で歌われる部分は、尾崎さんが闇の中で携帯の光に照らされながら、馬鹿への憐れみと軽蔑を込めた表情で画面を見つめている姿を想像してドキッとしました。

すごくポップに明るい曲調にしたところも、同じ音を繰り返したり、ファーって音が入ったりしてなんだか間抜けっぽいところも、逆にどうしようもなさを強調しているような気がするし、「こんなことなら あ〜あ〜」と気がつくと口ずさんでしまうお気に入りの一曲です。

M10 喉仏

本当にこのアルバムは次々と曲調が変わって豊かですよね。10曲目にきてもずっと新鮮な気持ちで気分よく聴いていられるのは、さすがです。尾崎さんは曲を作る時にメロディーを先に作って後から歌詞をつけると公言されていましたが、自分がこのメロディーを先に考えついたとして「喉仏」をテーマにしようと思うかしら、本当にセンスが天才的です。主題歌になったドラマ『滅相もない』が「穴」をテーマにしたドラマだったためにこのような歌詞になったとは思いますが、喉を穴とみなしてさらに喉仏の「仏」部分をこんなにも遊び心いっぱいに歌詞にするなんて!さらにさらにこのホーンを採用した音色の豊かさ!!うーん、しゅごい… 天才的… 唸る(語彙力がない)

 『イト』のMVの監督さんが撮ったMVがこれまた本当に最高です。無表情で立っているだけで蓮華の花のようにお美しい伊藤万理華さん、チョケてるおじスリーとイトMVの頃を思い出させるような尾崎さんの眼差し。ああ、こういう言葉を使って言うのは軽薄かしら、でも、言っていいかな。「ビジュがいい」

M11 本屋の

『本屋の』っていうタイトルから勝手に想像した曲と全く違う、ギター強すぎのイントロでまずびっくり。そして、一日の情景がずっと一編の小説のように書かれていることも最近の曲の中では珍しいような気がします。
 「354とと355の間に挟んだ指に 残ってるあの文字の感触」クリープハイプの書籍『バンド』(ミシマ社)が375ページなのであのくらいの厚みがある本なのかな。それにしても「文字の感触」というのは、初めて聞くような日本語です。でも、本を触っていると確かにあるような気がする。感触を歌詞に多用する尾崎さんならではでまたグッときました。

「知らなかった」「忘れてた」「できなかった」クリープハイプの曲にはかなりの頻度で「〜じゃなかった」言葉が出てきますね。生きていればそういう瞬間が毎日あるのに、できなかったことに拘るのは概ね良くない事のように言われます。でも、そういう部分をそっと掬い上げて光をあてるような、励ますのではなく隣に座ってただ居るだけでいてくれるようなクリープハイプの曲が大好きです。

M12 センチメンタルママ

自分自身が育児中なので、たまにクリープハイプって育児のこと歌っているのかなと感じることがあります。「信じていたのに嘘だったんだ(さっき食べるっていったじゃない!)」「繋いでたいから手と手にぎって(危ない!)」「さっきはごめんね、いつもありがとうね(怒っちゃったけど寝顔見ているとかわいいな)」
 「センチメンタルママ」タイトルだけ見たら、今日のわたしのことじゃないか!と勝手に想像していましたが、まさかコロナに罹った時のあの苦しみを曲にするとは!!斜め上でした。

わたしなら米と肉は切実にほしいな。サケタバコオトコもやるのかけっこう破天荒なママなんだな、「あ〜…クソッ」って言ってるし。なんて、勝手に風邪にかかったセンチメンタルなママの歌だと思っているけど違うのかもしれない。センチメンタルバスの大ヒット曲が街中でかかっていたあの頃、2000年だったのですね。あれからもう24年なのか…。あーあ、センチメンタルママです。

これはただの余談ですが、本当にママが風邪ひくと家の中が詰みます。

M13 もうおしまいだよさようなら

ダイアンのために作った『ふたりの間』もダイアンのお二人の雰囲気にぴったりですごく好きな曲ですが、これまた素敵な曲ができましたね!ドンパドドン節は自然と応援されているような明るい気持ちになります。M1グランプリで最終イヤーの決勝に挑んだトム・ブラウンのお二人、かっこよかったですね。

 わたしは東京の出身で現在は結婚して千葉に住んでいるんですが、東京に居たころとまったく違うのが駅と駅の距離感なんですよね。たった一駅が歩ける距離だった東京の独身時代を思い出します。今もし終電でたった一駅でも間違えたら真っ暗な山道を1時間以上歩くはめになるでしょう。

「泣かないで 笑ってくれ 会いたくなったらまたおいで」クリープハイプのライブの帰り道、終わって寂しい気持ちと最高のプレゼントをもらって明日から頑張れる気持ちとを抱えて、賑やかな場所から静かな街へ帰るわたしの応援歌になりそうです。

M14 あと5秒

この曲のプロモーションで、この曲を5秒だけ切り取った動画が複数の媒体にバラ撒かれて、集めると1曲になるという企画をやっていましたね。なんだか、そういう事をやる事自体が新しいステージになったような感じがしました。Twitter廃人のわたしは他のSNSを使っていなかったので、娘にお願いして見せてもらったり、自分でも初めてやってみたり、なかなか苦労しました。それは、置いていかれるかもしれないという寂しさもありながら、わたしをまだ知らない世界へ連れて行ってくれる希望でもありました。良いお仕事をしてくれる方々が周りにたくさん居るのですね。

 恋心を動画についてくる広告に例えるなんて、これまた面白い発想で本当に曲ができるたび毎回そのセンスに脱帽です。「あと5秒」というのもいいですよね。3秒でもないし、10秒でもない、短いようでちょっと長いあと5秒。MVの冒頭にもありましたが「人生は選択の連続である」なんですよね。その多くの選択は5秒くらいの判断で決まっているような気がします。
 尾崎さんの曲に出てくる「あたし」はちょっぴり不貞腐れていて、すぐ怒って、でも怒られるのも怒ってる?って聞かれるのも嫌で、気持ちが冷めそうでもなかなか離れられなくて、素直に言えないけど思いは届いてほしい、コンビニでも一番いらない物を買ってみたりしちゃう。本当に不器用でほっとけない。「あたし」に幸せになってほしいけど、そのままで居てほしいような気もする。わたしは、そっと誰かさんのことを思い浮かべてしまいますよ。

M15 天の声

尾崎さんのお誕生日に【もうすぐ40歳。まだまだバンドが楽しい。今の気分に一番近いこの曲が、どうか伝わりますように。】というメッセージとともにこの歌詞が公開されましたね。大切な手紙を受け取ったような気持ちで歌詞を読みました。

「お茶の間」というのは賑やかな世間のことなのでしょうか。これを書いている年末のTV番組では、今年のヒット曲やら歴代の大ヒットベスト100曲やらがじゃんじゃん流れていますがクリープハイプの曲はない。名だたる大型ロックフェスでトリを任せてもらえるほどのバンドなのに、このバンドといえばこの曲という大ヒット曲もない。わたしたちファンがいくら束になってクリープハイプが大好きだと言ったところで、世間の人たちからしたら少数派なのかもしれません。

君だけを見てるよ、大好きで大切だよ、一緒に未来へいこう、そんな直接目を見て言ったら恥ずかしくて仕方ないような言葉も、歌なら言えてしまう。TVに映るキラキラしたアイドルたちは、誰かもわからない「君」に向かってその美しい笑顔で愛していると言う。これがランキング1位の曲。お茶の間の人たちが知っている曲です。そんな夢みたいな胸キュン台詞で、ときめくくらい素直なら良かったのにね。

「いつもただ寂しい でも 触るな」ここにグッときました。寂しさや虚しさを抱えて生きているからといって、励ましたいだとか元気になってもらいたいと興味を向けられる対象になりたいわけじゃない。ただ普通に、楽しいことを楽しいと言って、自分が良いと思ったことを良いと思っていたい。わたしの中にある名付けていない気持ちにマーカーを引いてもらったようでした。

徒歩3秒のところに居ながら届かないお茶の間。探し出して見つけてくれる人がいなければ、辿り着けないお茶の間。でも、最近のクリープハイプを見ていたら、本当にお茶の間まであと3秒、のような気がしているんです。ミュージシャンとしての尾崎さん、小説家としての尾崎さん、ラジオ番組での尾崎さん、司会者としての尾崎さん、相談者としての尾崎さん …、尾崎さんがずっと残してきた「旗」がいつの間にか世間のいろいろなところに立っている。いつしか、誰もが一度はその旗の存在を知っているようになってくる。尾崎さんは「クリープハイプの尾崎世界観」を名乗りながら、そのいずれの旗からも登場できる。これは他の人にはできない、まさに才能だと思います。

尾崎さんが『バンド』をメンバーに贈ってくれたように、『天の声』は尾崎さんが大事な「お客さん」にくれたプレゼントだと思いました。「こんなところに居たのか やっと見つけたよ」わたしたちがクリープハイプを見つけた。同じように「こんなところに居たのか やっと見つけたよ」クリープハイプの四人が、どこかのお茶の間から自分たちを見つけてくれた人を目の前にしたときに、愛をこめて伝えたかった言葉なのかな。勝手な解釈かもしれませんが。だから、ちょっと恥ずかしいけど、この際はっきり伝えておきたいです。

クリープハイプが大好きで、大切だよ。
アルバムを出してくれて、ありがとう。
一緒に生きていきましょう。






いいなと思ったら応援しよう!