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【追憶】ステイホーム禍の絶望と久保建英に受けた衝撃

自分は今年度、三度目の進路決定を迎える。

これまで二度の進路決定ではどちらも進学を選択した。
今回の進路はついに社会に出る先を決めることになるのである。

そのような正解のない選択肢が目の前に広がる人生の分岐点に立たされた時、いつも思い出す記憶と感情がある。

2020年 初めて自分の進路というものをしっかりと考え始める時期だった。
自分は5年間の高校に通っていたが、
当時、高校4年生に進級したばかりの頃。
19歳の自分は「進路について」もっと大きく言うと、「自分に向いていることや人生における幸せについて」毎日思考を巡らせていた。 

小→中→高というこれまでに乗ってきた人生のベタなレールから外れ、たくさんの選択肢が存在する初めての状況に直面するため、当たり前の思考回路ではある。

本格的な進路活動開始は高校5年生になってからなので、周囲で進路について考え始めている人は少なかった。自分は早かったと思う。(しかし、結果的にクラスの中で進路決定が一番遅いことになる。。。)
ただ、自分は計画的なタイプではないため、これまでの人生でもそこまで先を見据えて毎日悩むことは珍しかった。

これには理由がある。

四年間学んできた専門的な勉強分野が自分には向いていないと感じていたのだ。
ほとんど意味がわからないし、理解できたことに対する達成感もない。
理解できないことがほとんどで、何がわからないかもわからない。
多少大袈裟に書いたが、「根気強くやればいつかは…!」を超えてくるほどの向いてなさを痛感していたことは確かだった。
そのため、学校が推奨する過去の卒業生の多数が選んだ進路先の中のどれか一つに、自分も進んでいいのだろうかという気持ちでいっぱいだった。

同時期に学校では一切勉強することのない分野に大きな興味を持ってしまい、その業界について徹底的に調べる毎日を過ごしていた。
今になって当時ブックマークしていたウェブサイトたちを見て思う。
まさに不安の象徴だったのだろう。
全く違う業界に未経験で移った人の体験談ばかり見ていた。
しかし、調べれば調べるほどに不安は大きくなった。
学習してきた知識や得た経歴を捨て、未知の世界に飛び込むリスクの大きさを考えてしまう。
失敗したらどうなるかの想像だけが先行し、不安が不安を呼ぶ。
失敗した先の未来で自分が抱きそうな感情だけが鮮明に想像できたのである。

また、思春期特有の感情を引きずっていた時期でもあった。
「自分は何者かになりたい」
「何かの分野において自分は天才であるはずだ」
誰もが一度は持ったことのある感情だと思う。生まれ持ったものだけで一生飯を食っていける
(そんな人はいないのだと今は思うが。。。)
ほど、突出したものを持っていない。
それが確定していることは薄々感づいていた。
ある種、厨二的な感情と現実とのギャップを感じながらも向き合わないことで正気を保っていた。盲目的に自分への期待感を持っていたのだろう。

自分が憧れる世に「天才」といわれる人たちは18歳までに誰かに才能を認められ、拾い上げられていた。
大好きなダウンタウンの松ちゃんも就職が決まっていたにも関わらず浜ちゃんにnscに誘われていたし、成功したミュージシャンのエピソードでも、先輩に一目置かれたために無理やりバンドに誘われたなどの数多くの例を知っていた。
そのため、他者に行動を起こさせるほどの強烈に人を惹き付ける魅力を18歳までに持っていなければいけないという謎の持論があった。
つまり自分は天才ではなかったのだ。
今になってみれば「他者が自分の未来を決めてくれないかな」という楽で受動的な願望があっただけに過ぎず、そもそも憧れの対象の注目すべき点はそこではないということが分かる。

すごく抽象的な挫折感を味わったのだ。

そんな不安が渦巻く時期とちょうど重なるように、世間を震撼させた某ウイルスが猛威を振るった。
初めてのことに誰もが混乱し、ほぼ全国民が家から出ずに他者との実体的な関わりを避けた時期だった。自分も例外なくその生活になった。
最初こそステイホーム禍で浸透したビデオ通話等で友達と話す文化に新鮮味を感じていたが、精神が蝕まれる日々が訪れるのはそう遠くはなかった。
毎日代わり映えしない1人部屋の風景に孤独感を感じるようになった。
昔からの多くの友達は地元を離れ、社会人としての新生活を送っていた。
自分と同級生の立場の変化。
旧友が猛スピードで大人になっていく気がした。
実際に会える状況でなくても、近くにはいないという現実に孤独感は増していった。

そんな中、学校は完全オンライン授業を実施。各講義すべてで課題が出た。
先生同士の連携も取れていなかったのか、今までに経験したことのない課題の量だった。
今になってみれば、先生方の苦悩も想像できる。
初めての事態に混乱し、目の届かない中でも学生に勉強を滞らせないようにするためには、多くの課題を実施するのが最善の手だったのだろう。
毎日、毎日、5~6個の課題を提出しなければいけない日々。
パソコンに向かい合わない日のない一週間に将来への不安も相まって、苛立ちの収まらない精神状態だった。
感情の抑制が最も難しかったのがこの時期だ。

他の一部クラスメイトはグループを作っていた。
答えを共有するなどしてオンラインの隙を上手く突き、多くの課題を協力してこなしているという話が聞こえてきた。
会話する機会がそこには多く存在し、クラスメイトはむしろこのオンライン授業期間を楽しんでいる印象を受けた。
自分はそこにはいない。高校のクラスではあまりうまくいっていなかった。
ウイルスは残酷なほどにそれまでの人間関係を明らかにして見せた。

嫉妬心や羨望は逆張りとしての自分のスタンスを作り上げていく。
グループで課題をこなしているメンバーに対して、
「課題の答えを共有するなんてありえない。気持ちの悪い奴らだ」
という怒りが消えなかった。

自分は絶対に一人でやり遂げるんだという自分に課した枷から苦しい日々を過ごした。
一部グループからクラス全体にまで共有しようという動きが広がった後も、自分は自分でやると突っぱねていた。
そこにある動機は、勉学への意識の高さや、
「他人の答えで評価をもらうのは良くない」という純粋な倫理観から来るものだけでないことは明らかだった。
どちらかというと嫉妬心の要素が大きかった。
なぜなら、
自分がマジョリティーであれば、何も疑わずに共有することを受け入れていたと正直に想像できてしまうからである。

毎日しなければいけない課題と、クラス内での立場への自覚は孤独感を加速させるのに十分な理由となった。

そんなステイホームの最中、TVでサッカー日本代表の試合が放送された。
ウイルスによる移動と対面の制限など、前例のない進路活動の形を余儀なくされる懸念。
将来に対する大きな不安と、他者との会話の断絶。
代り映えのない家で過ごす日々の孤独感と、これでもかと自覚させられたクラスメイトへの嫉妬心。
毎日こなさなければいけないオンライン授業と、課題への苛立ち。
そんな中で、完全に精神は疲弊しきっていた。
気疲れが絶えない日々の中でも、サッカーを見ている間は唯一気の休まる時間。
小学校からサッカーをしてきた自分にとって、日本代表の試合は毎度欠かさず楽しみに見てきたエンタメだった。

試合の注目は「久保建英」選手。
当時若干19歳ながら日本代表に定着し始めていた。
小学生の頃から日本を離れた久保選手は「久保くん」という愛称で天才サッカー少年として親しまれ、常に注目され続けてきた。
同世代のサッカー少年にとって誰もが憧れるサッカーキャリアを送る久保選手は、まるでサッカー漫画から出てきたかのような存在だった。
特に同い年の自分は、勝手に嫉妬心と尊敬の気持ちでいっぱいで、羨望の眼差しでTVを眺めた。

前半終了。
久保選手含め日本を代表する選手たちは流石のプレーだった。
ハーフタイム中。
「自分は社会に出れるのだろうか。
自分はまだ子供という感覚がある。大人になりたくないし、一人前の大人になんてなれるわけがない。」
などと、楽しんで見ていた試合の途中でもふとした時に不安を感じた。

試合終了。
「社会に出るってどういうことなんだろう」
なんて思いを巡らしながらボーっとテレビを眺めていたら、久保建英のインタビューが始まった。
テレビを見ているのか、ただ顔がテレビの方を向いているだけなのかも分からないままだったが、画面の中のインタビューは進んでいきインタビュアーが何個めかの質問をした時だった。

「久保選手はどんな気持ちを持ってこの試合に臨みましたか?」

久保:「そうですね。大変なこの情勢の中で日本の子供たちに夢を与えられるようなプレーをしたいと思って試合に臨みました。」





!?





・・・






(ふざけんじゃねーぞ。)


思わず笑ってしまった。


(おいおい。ちょっと待ってくれ。19歳はまだまだ子供だと思ってたよ。)

すごすぎる久保建英はこどもに夢や希望を与える側の意識を持っていた。
まだ大人になりたくないなどと考えていた自分とは対照的に、画面の中の同い年は衝撃的な心の持ちようだった。
まだまだ子供の自分も与えてもらう側だった。

その後、
仲良くしてもらってる大人の男性と話す機会があった。宇多田ヒカルと同い年らしい。
宇多田ヒカルが「Automatic」を出した時、15歳の少年は雷に打たれたかのような衝撃を受けたんだって。

この世の中にはとんでもなくすごい人がいる。
とんでもない才能と、とんでもない努力で自分たちに夢を見せてくれる人がいる。

これは当時の感情や思い出から何かを得たという話でもなければ、
人の数だけ人生があることを痛感し、今ある環境で頑張ろうと奮起した話でもない。


時々思い出すステイホーム禍の記憶である



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