何も目指さない生き方をしてみたい
年齢を重ね、欲が削ぎ落されていく。
「もっとすごいことをしたい」
「もっと認められたい」
「もっと結果を出したい」
そういうあれこれに急かされていた20代前半のぼくなら、今のぼくを見てイライラするんだと思う。
あの時のぼくが求めていたものは、本当はあんまり意味の無いものだったのかもしれない。
同時に、じゃあ何が自分にとって意味のあることなんだろうと不安になる。
一つのことに傾ける情熱も、何があっても達成したい夢も無い。
こう書くと無気力人間みたいだけれど、もちろんやってみたいことや、興味のあることはたくさんある。でも、それはあくまでもその程度のこと。もし上手くいかなくても、生きてはいける。
理想の将来像を描いたり、人生設計をするということが何歳になってもできない。
仮に頑張ってしてみても、それはだれかの真似事に過ぎなくて。強い風が吹けばどこかに吹き飛んでしまうような脆いものでしかない。
一年前は「海街に住みたい」と言っていたのに、今は面積の9割が山に囲まれた田舎にいる。
だからやりたかったことをしてみても、それをやっている自分に失望することが多かった。
「望んだ環境を手に入れても、まだ迷ってるやん…」
そうやっていつまでもゴールが見えない人生が怖くなった。
それならもう、何も目指さなくても良い。そんな気がする。
無理をして未来に向かわない。ただ今いる場所で、やりたいこととすべきことを、丁寧にやる。そして、やり続ける。
自分の言葉を、ゆっくりでも、少しずつでも、積み上げていきたい。そして本や文章を通して、言葉に触れながら生きていきたい。
何かを目指さなくても、それさえできれば良い。そう思うと、とても気持ちが楽になる。
そうやって、何かを成し遂げたり結果を出すためじゃなく、自分が能動的になって生きていきたい。
*
削ぎ落された欲。
そう思っていたけど、もしかしたら元から欲なんて無かったのかもしれない。
サッカーをしていた時も、自分でゴールを奪いたいとは思わなかった。ただ自分が求めるプレーをしたかったし、みんなが喜ぶ環境にいたかった。
『勝利を目指す環境』に慣れ過ぎて、それを疑ったことすらなかったけれど。もしかしたら、もっと違った生き方が向いているのかも。
チームは、「勝ちたい」と言った。ぼくはどうしたかったんだろう。
あれも違うこれも違う。
そんなことを繰り返してここまで来た。そして山に囲まれた田舎で、メディアに関わる仕事と出会えた。
来た場所は、「違う」とは思わなかった。でも、「絶対にここだ」とも思わなかった。
それはつまり、とても恵まれた場所に来たということなのかもしれない。
今月はもう少し、文章に触れて生きようと思う。