こころの奥に届く言葉を探しながら
なにを書いても、正確に自分の心情を捉えることができない時がある。
言葉なんて不完全な入れ物なんだから、それは当然のことかもしれない。でもぼくはもっと、もっと自分の言葉に期待している。
その期待通りに日々が進んでいかないことに、不安を感じているのかもしれない。
文章を書いていて、いつも思う。
「悩みじゃなくて、もっと出来事を書くことができたら良いのに」
*
自分のこころには薄い膜が張ってある。
ぼくは言葉を通して、その奥へ奥へと潜りたいんだと思う。でも届かない。ずーっと膜の周りを行ったり来たり。
自分自身の心情というよりは、その心情を綺麗な包装でパッケージして、パッケージについて言葉を並べているような気がしてしまう。
「書きたいものを書けた!」
と思っても、やっぱり前に進んでいない。
また新しい包装で、新しいパッケージができる。次はそれについて書かないといけない。いつまでたっても、現実の出来事を前に進めることができない。
ぼくが文章を仕事にしたいと思ったのは、その膜を取り払いたかったからだと思う。
良い文章なんて、既に読み切れないぐらいネット上に溢れている。きっとこれからは、AIがライターの仕事だって奪っていくんだと思う。
その厳しい時代を生き残るほどの書き手になれるかどうかなんて、ぼくには自信がない。でも、書くことを辞めることはできない。
仕事として、書けば書くほど怖くなる。「この文章で大丈夫なのか?」って。
それは大丈夫だろうし、大丈夫じゃないんだろう。
大丈夫じゃないと思った自分を大切にしたいし、忘れないようにしたい。
*
「過去の自分に戻りたい?」
幼少期の自分と今の自分が大きく違うという話をある方にしたら、そう聞かれた。
好奇心旺盛で、分かりやすく感情を発露していた幼少期。
きっと今よりもずっと素直で、今のぼくが書きたい感情を、書く必要もなく口にすることができた。
戻りたいんだろうか。分からない。
でも、このまま今の自分で居続けると、失ってしまうものがたくさんあるんだと思う。それを本能的に分かっているからぼくは書くことを止めないし、これを書いているとこころがぞわぞわしてしまう。
こころを覆うパッケージに言葉が届きそうになると、こころがそれを振り払おうとする。そのときの動きが、感覚として、そっと伝わる。
けっきょくまた、出来事について書くことができなかった。
ぼくは必死にぼくから逃げ続けている。
そしてその後姿を見ながら、諦めきれずにゆっくりと追いかけ続けている。振り向いてくれるような言葉を探しながら。