No.15 「融雪」評 --「Hibana」との比較より--
0. Abstract
TVアニメ「ゴールデンカムイ」第四期製作決定記念に, 昨年Twitterに書いた第三期ED「融雪」(THE SIXTH LIE)の評をまとめておく.
1. パッとしない第一印象
第一期EDの「Hibana」(同じくTHE SIXTH LIE)が好きすぎて, また聞きすぎたこともあり, また事前のPVで『「Hibana」を越えていきたい』と謳っていてハードルが上がっていたこともあり, 第一印象はあまり良くなかった. 実際, 客観的にみても(聞いても), 「ロック」というにはおとなしめで, 正直パッとしない印象であろう. ただ, 私はTHE SIXTH LIEを信用しているので「何の根拠もなく大言壮語を吐く連中ではない」とも思っていたから, 「ゴールデンカムイ」三期と併せてこちらから踏み込んで聞き取る必要性があるのだろうと思った(そして実際それは間違いではなかった).
2. 「Hibana」との比較から
それから本編の進捗と併せて何度か聞いているうちに
『これは「Hibana」のcomplement(あるいはcompliment!?)と解釈すればよい』
と気付いた. すなわちこの歌は「一切の現実が燃え尽きて, 迷いを捨てた火花が散った」後の, 正に「Hibana」の``その先''の, 世界の歌なのだと(「``その先''が在るよ」って歌か).
正直私も「『「Hibana」を超えていきたい』とか無理だろ」と思っていた節はあった.「流石のTHE SIXTH LIEでも, 自身のあの傑作を超えるのは無理だろう(高々同等)」と . しかし上記のような解釈を経てようやくわかった.
『確かにこれは"Hibana"を(乗り)越える曲なのだ』
と. すなわち「Hibana」の``その先''の世界の歌で, 「火花」が散って(「一瞬だけど, 閃光のように?」), それがそのまま消えてしまわずに, 「灯火」になった(なれた, なれる)というstory, 思想を歌っているのだ.
3. 「融雪」の理由と「冬の思想」
ただそうすると
『何で「灯火」じゃなく「融雪」というtitleにしたのか』
という疑問が浮かぶ. それは多分「融雪」の最後の
『この雪の下に埋もれた季節に 僕が今生きている意味があるから輝く』
が鍵なのだと思う. 面白いのは恐らく「この雪の下に埋もれた季節」というのは過去(燃え尽きてしまった一切の現実)と未来(まだ見てない季節)の両方を含意している点である.
「融雪」後の世界には新しい季節だけでなく, 過去もまた再び巡り来る(re-volution!). 「僕が今生きている意味(生の意義)」は, 過去と未来両方に依っている. そしてそうであるがゆえに, 今この時の刹那の「火花」でさえ「灯火」となり輝く. だからこの歌は「灯火」ではなく「融雪」でなければならない.
要するに
『「冬」は全てが失われ何も無くなってしまった寂しく悲しい「季節」のように思えるが, 実はそれは過去と未来の結節点であり, そこには双方の可能性が秘められているからその「生の輝き」には意味がある』
という正に「冬の思想」の歌で, そこが「Hibana」にはなかった魅力(超える要素)なのだと思う.
そして同時にそれは正に「ゴールデンカムイ」のテーマでもあり, こと3期の数々の名シーン(いご草, 人斬り陽一郎, 長谷川さん, etc.)と相まって, それが「融雪」の味わい, 深みとなって聴こえてくる. ゆえに不朽の名作「ゴールデンカムイ」と共にいつまでも語り継がれる名曲となるであろう.