No.34 サワヤン兄弟を思う
何日か前, ウクライナ出身の人気ユーチューバーであるサワヤン兄弟がウクライナ義勇兵に志願する(志願を希望する?)という旨のニュースがあった. 正直, 彼らのことはこのニュースが出るまで存在自体知らなかったし, この手のことは基本「見」に徹するのが私の主義なのだが, それでも自分より若い人がこういうことをするということには, 流石に思わないことがないではない.
私の感想は一言で言えば「偉い」とか「凄い」とかよりも(無論それも無いではないが),
「羨ましい」
であった. この私の気持ちに共感してくれる人がどれほどいるのかはわからないが, ともかく正直にそう思った. つまり
「生まれ故郷を離れ, 日本で自由気ままに生きられる若人が, 命を懸けてまで守りたいと思える(実際に懸けるに値するか否かとは別に, 彼らがそう思うに値する)祖国を, 彼らが持っている」
ということが, 守るべき祖国を先の大戦で無くしたjapには羨望を禁じ得ないわけである.
考えてもみろ, これがウクライナではなく今の日本ならば, プーチンがたとえば
「北方領土か, 北海道か, どこかは知らんが, ともかくそこに居る同胞を救出するために特殊軍事作戦を行う」
と言って, 東京や大阪に何発か軽くミサイルを撃ち込めば(自衛隊が優秀で強かろうとも), それだけでjap共は何もできず, 右往左往して無様に泣き叫びながら
「プーチン様, あなたの奴隷でも何にでもなりますから, お願いします. どうか殺さないでください」
と懇願して無条件降伏しただろう. 仮にサワヤン兄弟のような篤志の人がいて, 「国守りをしたい」と思っても, その前に国は亡びるのだ. 要するに我が国は, とうの昔に, そんな篤志の人が命を懸けて守るに値するものでは無くなってしまっている.
無論, かつてはそうではなかった. 実際, 今回のサワヤン兄弟の話を聞いて思い出したのは, もう随分前に亡くなった私の祖父のことだった. いつだったか
『大東亜戦争の真珠湾攻撃の折, 祖父は小6で, 12月8日の早朝にそのニュースを聞いてから,
「自分も何かしなければならぬ」
と思い, 居ても経っても居られず学校に登校したら, 生徒は皆誰に言われるまでもなくそう思ったらしく, みんなが集まっていた』
という旨の話を聞いたことがあった(実際に祖父が戦争に関われたのは終戦間近の半年程だったらしいが).
今回のサワヤン兄弟の話を聞いて, 祖父のこの話を思い出したのも, サワヤン兄弟が, 現代のjapの我々よりも, 祖父たちの方に「近い」からだろう. それは
「悔しくもあり, 情けなくもあり, 哀しくもあり, そして羨ましくもあった」
というのが, 私の感想であった.
彼らが今後実際にウクライナに行くかはわからない. 行ったとしても, 行先は文字通りの「戦場」であり, 被災地のボランティアとは訳が違う. 特に専門訓練を受けていない彼らが何を成せるのかも未知数だろう. 下手をすれば貴重な物資をムダに食いつぶすだけの足手まとい(文字通りのゴク潰し)になる可能性も高いかもしれない.
ただそれでも, 自分たちで祖国に何かを成したいというのであれば, 悔いの無いように何某かを成すがいい. 君たちはまだその命を懸けるに足ると思える祖国があるのだから, それに生き, それに殉じるのも悪くはない. もちろん, 実際に行くというのであれば「覚悟完了」しているだろうし, こんなことは「釈迦に説法」だろう(あちらではなんというproverbになるのだろうか?). それでもこれが
その「命を懸けるに値する祖国」を失い, そんな生き方が永遠に叶わぬ, 哀れなjapの言説
であれば, 幾分かの説得力はあるだろう.