No.129 第1回創作ブートキャンプ雑感

0. Abstract

 先日, 東京出張との都合がうまくかみ合ったので, たまたま知った note のイベント(?)「(第1回?)創作ブートキャンプ」

に参加してきたので, その雑感を述べる. まず, Section 1 では当日の実際の様子を, 私の体験に基づいてザッと述べる. 次いで Section 2 で実際のイベントの中身に軽く触れながら, それらに纏わる雑感を述べ, Section 3 で当日聞かなかった質問について記す. 最後に Section 4 でまとめとして, イベントの背景と展望についての考察, 私見を述べる. 

1. イベントの様相

 開かれたのは8月26日(土)の夕方. 会場は四ツ谷の``Sophia''の真正面のビルの7階. 眺めが良い性か「飛行機が嫌に近くに見えるなぁ」って感じ. 部屋は横長で一列15人の椅子が6列並べられていて, 4列までは満席で埋まって, 5列目もちらほら座っていた. だから大体参加者は70人くらい. 第2部(?)の質疑のやりとりを観察していた感じだと, このうち, 1割くらいは作家(と言っていいのかなぁ?)というよりは編集関係の人(中にはイベントの取材に来ていた記者もいた). 仮に私のような物書きでも何でもない(まぁ, 私も広義には``物書き''なのだろうが)TDN野次馬, 冷やかしみたいなのが同程度の1割くらいいたとしても, 50人くらいは creator を自認する人が集まったことになる. 男女比は(これも意外だったのだが)多分大体半々(てっきり男の方が多いと思ったのだが, そうではなかった). 年代は恐らく大半が私よりも若かったのではないか(これに関しては明確な根拠はなく, 会を通した全体の雰囲気からの推察). 

 これは今回のイベントが無料だったことを差し引いても, 驚くべきことではないだろうか(というより, 私は純粋に驚いた). と同時に,

『この界隈(どの界隈?)が「酷い玉石混合」の様相を呈するワケだ』

と変な納得をしてしまった. 尤も, これに関してはウチも他所をとやかく言える義理は全くないのがかなしいところだが(寧ろ global でない分, 何だかんだこの界隈の方がまだマシとさえ思える). 

 会の構成は, note のディレクターが司会をして, 現役作家3人(私は, 日向夏を除いて, 名前と存在以上はあまりよく知らなかった)を交えた``パネルディスカッション''っぽいことをする第一部と, 参加者の交流(?)をするという名目の第二部で延べ2時間(16時-18時). 第一部は事前に募集した質問を base に考えたいくつかのテーマについての discussion が main で, 最後に会場にいる参加者からの直接の質疑のやりとりをする感じ. 当初は1時間の予定だったが, 議論が``白熱''して結局 20 分 over. ここの対応は運営も登壇した作家たちも割と柔軟に対応してくれたのは, 良心的だったと思う.

 で, 第二部だったが, ``交流''と言いながらも, 私同様,「陰の気」の者(それに加えて私はTDN野次馬)が多そうな雰囲気だったので, 目立った交流が起こるわけもなく(局地的には何かしらはあったのかもしれないが), 結局, 編集経験のある note ディレクターとの 1 対 1 の質疑や挨拶を, 40 分かけて順繰りやっていって time up って感じ. まぁ, それで「正解」だったんだろうな(というより, 最初からそれを見越した構成にしておいたのだと思う). 私はボケッと座りながら(ここに来る前に実は割と方々歩き回って大分疲れていた), その質疑のやりとりを耳に挟んでいただけで, 取材に来ていた記者に話しかけられた以外は誰とも話さず, 時間が来て引き上げた. 

2. イベントの雑感

 イベントの細かいやりとりに関しては, どこまで詳述してよいのかわからないので, ラフに雑感を述べていくことにする. 全般として, 中々有意義であったと思う. 記者の取材で答えた感想でも言ったが, たとえば経済系とか, 意識高い系(情報商材系)のこのテの集まりだと, 高い銭をぼったくっておきながら, 偉い(ということになっている?)人が昔の不毛な自慢話を延々とすることが多いと思うのだが, 少なくともこの会は(無料にもかかわらず!!)そうではなかった. これは多分登壇者としてちゃんと現役を張っている「使える本物」(「使えない偽物」ではない)を連れてきたからだろう.

 ま, 私は「薬屋」の日向夏しかよく知らなかったのだが(実は女性だったことに少し驚いた. でも言われてみればまぁ, そうだよね). まして「薬屋」はホラ, この秋にウチの(?)「ラグナクリムゾン」とガチ合う``商売敵''だから, それなりによく知っている(そうでなくても「コナン」の単行本の表紙の名探偵図鑑に出てくるくらいだから知ってたんだけど). コッチの方(来週1時間枠を取ってきた1話の試写会)が気がかりで, アッチの check は全くしていないが, 一体どんな taste で来るんだろうか. たとえば「ロード・エルメロイ II 世」taste とかで攻められると, コッチの出来と相性と運次第で, 普通に打ち負けそうな相手でコワイ(負けてどうする!! 勝てよ!! 銀気闘法で!!). 

 話をパネルディスカッションでのやりとりに戻すと, これは参加登録の際に募集した質問をうまくまとめて選んで, トークのお題にしていった感じ. たとえば, 私が事前に出した質問は


題「キャラが先か, 設定が先か」
物語を創作する過程において, キャラと(世界 or 舞台)設定, どちらを先に考えますか?
キャラを考えてから, そのキャラを動かすための舞台(設定)を作るのか?
それとも舞台を考えてから, そこにハマるようにキャラを作っていくのか?

このスタイルの違いによる(どちらかが優れているといった)ハッキリした優位性はあるのでしょうか?
case by case でしょうか?
あるいは作家ごとにスタイルが異なるのでしょうか?

また両方のスタイルがあるとしたら, それらのスタイルの違いが創作された物語の違いとして反映されることはありますか?
反映されるとしたらそれはどのような点に反映されますか?

というものだったのだが, これは一番最初のテーマだった

『キャラクター, ストーリー, 設定どれから作るか?』

にそのまま取り込まれた. というか, 私はキャラと設定の 2 対(二項対立)でしか考えていなかったのだが, 他の質問者か, あるいは運営側がそこにストーリーを加えた 3 (幅)対という形に問題を変えてきたのが面白かった.

 ここで既にスタンスと言うか, 思想の差異が見えている感じ. 少なくとも私の場合は, キャラと舞台設定は動機, もしくはある程度明確な実在性により fix されてしまって,

『それを前提として dynamics (story) をどう構成するか』

が主題となるので, この 3 つをセットで考えることがあまりない. 作家にしたって, 「大喜利」ではないが, 仮にキャラと舞台設定を全く同じにしても, その上に全く違う物語を構成することも十分可能だから, この 3 つをセットで考えるのは意外に感じた(ただ同時に, 言われてみれば, 「そういうのもアリか」って感じ). 

 ある意味, 一番の驚きはココで(これだけで私は十分であったが), あとは大体「まぁ, そうだよね」って頷く感じ. たとえば「好き嫌い(イベントでは性癖とも言い換えられていたが)」あるいは「嫌いなものの修正, 自分なりにアレンジ」云々については, それこそ少し前に全く同じテーマでウチの師匠が書いたものを読まされたから(曰く「感情というのは価値判断という機能の発現であって, 価値中立的な論理を補う重要なものである」だっけ?), 「その通り」以外の感想はなかった. 

 あと度々出てきた「ストロングスタイル」というのも, 私は昭和の人間なので「作家ってそうじゃないの?(当たり前じゃないの?)」と逆に不思議だった. それこそ(好きじゃないけど)司馬遼太郎なんかは何か書くときはそのテーマの本を馴染みの古本屋に集めさせて, トラック詰めで送ってもらって, 

「今, 〇〇の本は売れる!」

という情報を流してから, 集まってきた大量の本を更にトラック詰めで送らせて, そんなのを何回かやって, 情報を集めて, 調べてから書いたという話がある. ネットの無い時代ならではの贅沢なやり方とは言え,

「作家というのはそういうものだ」

と私なんかは思っていた.

 周りでも, ウチの師匠達だって紆余曲折, 艱難辛苦を乗り換え(『まるでカフカの「城」のようだ…』とか言ってたな)四半世紀かけてようやく出した本があったり, ボスの奥様は8年かけて絵本を書いたり, もっと酷いのになると5, 60年かけて書いたのに遂に著者本人が90を超え天寿を全うして世に出なかったとか(アレの原稿は結局その後どうなってしまったんだろう.「編集部は持っている」という話を聞いたことはあるが, その担当していたという編集もとうの昔にリタイアしてしまったし), そんなのばっかり聞いてるから, 私の感覚が今の常識的感覚からズレているのだとは思う.

 ともかく今は皆そういう余裕は無いのだろうな. 現実問題として単純な情報収集という面から行けば, smart なやり方は今はいくらでもあるし, そこに関しては苦行をすることもなく, 手を抜けるならいくらでも抜いていいとは思う. でも, やはり「修行」としてはそういう経験をする時期も多少はあった方がよいのではないか. 

 どこかの質問にあった『書くのに詰まる』というのも, パネラーの誰かが言っていたように, 自分でした設定に自縄自縛になっている case が殆どだろう. どうせ「完全なもの」など書けるわけがない(存在しない)のだ. というより, 寧ろ『「不完全なもの」のツジツマ合わせ』こそが『作家の力量』だろうにそこのところがわからず, ありもしない「完全なもの」を目指そうとする潔癖症の若者が多い気がする. とはいえ, 私もそのケが今でもないわけではないからわからんでもない. この辺は, 昔とある``神男''も言っていたが『完全を目指して仕事をしないよりも, 不完全でも仕事をすること』が大事で(赤木しげるも``ひろ''に似たようなことを言っていた気がする), 結局その積み重ねから自分で学んでいく(納得していく)しかないのだろう.

3. 聞かなかった質問

 私は野次馬だったので, 基本は極力何もしないことを心掛けていたのだが, 一つ聞きたかったこととして, 

「引き算」

の話がある. 今回の主題だったキャラに関して, 「引き算」ということをどこまで意識して設計するか.「引き算」の哲学というのは, キャラよりも, ストーリーや設定に対して語られることが多いと思うが, キャラに関してはそれをどこまで意識するのか.

 これも誰かが語っていた

『「やりすぎた」という感覚(を自覚できること)』

と関連する事柄だとは思う. ただし, 個人的に言うと, リソースを非常に喰う漫画やアニメと違って, 小説における「引き算」の感覚は「創造(足し算)」に比して, 何段も落ちている感じがする. つまり, 漫画やアニメの場合, 『作るために最初から削っておかねばならない』という事情が非常に大きいので, 否応なく「引き算」を意識しなければならないが, 小説はその辺は大した障害ではなく(無論, 盛りすぎるとそれこそ後で書くのに詰まってしまうだろうが), あまり意識していないように感じた. 実際, 『「引き算」に関して誰の質問しなかった』という事情自体が, その一つ答え合わせのようなものであろう. 

4. イベントの背景と展望の考察

 イベントの大まかな概要, 雑感は以上だが, 最後に今回のイベントの背景や展望についての考察, 私見を述べる. とりあえず, 「第 1 回」と銘打った以上, 第 2 回, 第 3 回とやる予定ではいるらしい(次は「世界観」がテーマ?). ただ, 気になったのは

『第1 回の参加者のアンケートは取らないのかな?』

ということ. 何度かやるんだったら, 一応, 参加者(リピーター候補者)の需要, 要望は(実際に反映させるかは別にしても)早めに把握しておいた方がいいと思う. 

 あと「無料」という点が気になった. これは初回だけなのか, 次回以降もそうするのか. 正直, 今回もある程度金(2~3000円くらいが相場?)は取っても良い気はしたが, どうも運営側は敢えて取らなかったような気がする. 実際, 仮に 2000 円取ったとしても, 参加者が 80 人では

2,000 円 × 80 = 160,000 円

で, 箱代はかからないとはいえ, 登壇者を呼んだり, スタッフを集めたり等のイベント運営経費で殆ど消えてしまって, 小遣い稼ぎにもならない. 仮にこの試みが成功して, そこから売れっ子作家が出るとしても, その可能性はそう高くない(世の中そんなに甘くない)上に, しばらくは先の話になる. つまり, 運営側は最初から儲けるためのイベントとしては考えていないのではないか. だとしたら, その意図はどこにあるのか. 

 一応, 第二部での note ディレクターとの 1 対 1 の質疑で

「昔は作家の交流イベント(パーティー系なのかな?)みたいなものはあって, そこで先輩から色々アドバイスしてもらえたけど, (コロナだけでなく)作家の門戸が広がり過ぎた性でそういうことが少なくなって, 簡単なことや当たり前なことでも聞く機会が無くなっているので, そこを補いたい」

的なことは言ってはいた. ぶっちゃけた話, 今回のイベントもそれなりに面白かったし, 有意義ではあったと思うけど, 内容をマジメに分析してみると, 7, 8割方は「当たり前のこと(恐らくは業界の常識)」しか言っていない (ただし, ただ「常識」を羅列するのではなく, 場面ごとにうまく fitting させているのがポイント). ただ, 「常識」って folklore みたいなものだから, 適当な コミュニティにいないと全くの「非常識」になることも多い(逆に業界の「常識」が世間の「非常識」)ので, 確かに適切な機会が無いと身に付くのが難しいのだろう. 

 で, 私の結論としては

「もしかしたらこの状況を, 我々の想像以上に, 編集側は深刻に捉えているのではないか(それこそ身銭を切ってまで, こういう機会を作らなければならない程に)」

ということである. まぁ, ゴミどころか, 有害な産業廃棄物の如き, 凄まじいシロモノが飽きもせずに次から次へと湧いてくる絶望的惨状を, 素人の私でさえ日々目の当たりにするのだ. もはや「出版」(あるいは「アニメ化」)ということが何のステータスでも無くなってしまった今日とはいえ, 一応「出版」というフィルターを経てなお, この地獄なのである. 「それ以前」の状況など, 想像もしたくない無間(無限)地獄の様相を呈していることは想像に難くない. 

 外野からしたら

『そんなの全部焼き払えばいいんじゃない(「汚物は消毒だぁ!!」「どうだ(世の中が)明るくなったろう」)』

としか思わんのだが,

『「メシの種」をその無間(無限)地獄から見つけてこなけりゃならないのが, 編集の辛えところよ』

ってところなんだろう(私は絶対にやりたくない). 確かに消費者としても, 「書く」とか「書かない」以前にその遥か手前の「お作法」で蹴躓かれても困るから, 何か出来ることがあるならやった方がいいとは思う. 

 ただこの辺もそのうち, それなりの``なんちゃってノウハウ''が確立されて, それなりの需要が満たされるようになってしまうと, 某声優, 某 You Tuber, 某 e-sports, etc. 業界の如く, 「教育」と言う名の「搾取ビジネス」化していってしまうんだろうな. そういう意味では, これがいつまで続くのかは不明だが, 無間(無限)地獄でありながらも, 今はまだ牧歌的な(幸せな)時代なのかもしれない(つまり編集も, 我々消費者も, 今後状況が更に悪くなっていく覚悟はしておかねばならない). 

 今のはある悪い側面からの分析だが, 一応もう一つ別の悪い側面の分析もしておく. それは御多分に漏れず ChatGPT 君絡みのことである. 昨今色々な編集も ChatGPT 君に相談することを推奨しているようだが, 他方で当然のことながら,

「ChatGPT 君に編集の仕事が奪われてしまう」

という可能性も考慮しなければならない. そういうことを考えると, 確かに 1 対 1 の対話 (chat) はともかく, こうした複数での(パネル)ディスカッション形式の手法や機会というものの価値は, これまで以上に高まっていくかもしれない. だから, 今回のイベントはそうした事情を踏まえた上での

「ちょっとした実験的試みでもあったのかな」

とも思った. むしろ, 将来的な展望を考えると, こちらの意義が大きいかもしれない. 

 そんなこんなだが, いずれにせよ第1回創作ブートキャンプが有意義であったことは間違いない. 私自身はTDN野次馬なので, 第2回以降はよほどの奇跡が無い限り, 参加はしない(ハイブリッド配信は流石に期待しすぎ?)だろうが, 今後も有意義な催しになることを祈念したい.  

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