No.193 「LIVE A LIVE」HD-2Dクリア記念雑感 2 現代編 --右向きの主人公から読み解く--
0. はじめに
祝ライブアライブHD-2Dリメイク2周年ということで, 延び延びになっていた2年前(!?)の note を書き上げる. しかしもう2年とは, 本当にはやいものである. 前回の note
https://note.com/shibushibuyanyan/n/n066801a09442
が発売1周年記念でちょうど1年前の今日だった(1年に1編のペースじゃ, ドリフターズやワールドトリガーにクレームをつけられん)... 今年は「LIVE A LIVE」30周年だし, 流石に今年中には片付けたいからサクサクいく. とりあえず今回は現代編を短めに(次回は本当はセットにしようと思っていた近未来かな?).
1. 向きの文法
まず前提となる確認から. いわゆる映画, アニメの文脈で左右の意味の違いというものが存在する. 端的に言えば
「画面の左向き(への動き)は未来, positive 思考
画面の右向き(への動き)は過去, negative 思考」
というものである. この法則は割と普遍的で, 特に重要な場面で右向きに動いている場合は(統計的には左向きに動く場合の方が多いので)何かしらの意味合いがあることが多いと感じる. 「LIVE A LIVE」にもこの法則は当然当てはまり, そして特に右向きが当てはまるのが, 現代編の高原日勝なのである.
2. オディ・オブライト戦とED
まずわかりやすいのはボス戦. あまりこういう指摘をみたことがないのだが, オルステッド(中世編)まで含めて, 各編のボス戦は基本的に
「ボスが左側に登場し, 左向きで戦う」
という形式が標準的で, 例外はSF編のマザー com と現代編のオディ・オブライトの2つのみである. しかしマザー com はマップ中央に登場し, 中心にいるキューブの向きも実は左向きなのであり, 実質現代編が唯一の例外になっている.
実際, 現代編はEDも, 高原日勝の終わりなき修羅道を予感させる不気味な終わり方になっており, ある意味で中世編に次ぐ BAD END とも言えるのでその意味でもしっくりくる.
もう一つは「LIVE FOR LIVE」がかかるEDの場面で, 最後各編の主人公のシーンがワンカットずつ入るが, ここで右を向いているのがサンダウンと高原日勝の二人だけである(残りは全員左向き. 原始編のポゴに至っては左(未来)に向かってズンズン進んでいく). ここのサンダウンは
「右を向いて, 朝日に黄昏れる(サンダウン!)」
という実に絵になる構図(色々な意味で整合性が取れている)であるのに対し, 高原日勝は夜空でまだ星が瞬いており, 実は朝日から最も遠く(これはHD-2D リメイクでより鮮明になった), しかも最後は
「右に向かってジャンプする(大激怒岩盤割り?)」
という描写になっている.
30年前は気付かなかったが, 今回のリメイクでこの描写に気が付いた. これらは明らかに意図的な描写であり(確率的にはほぼあり得ないと思われる), 上述の文法, 法則に則って読み解くと, 実は高原日勝の未来があまり明るいものではないことを暗示させる. あるいは「LIVE A LIVE」の続編を将来的に作るための伏線(次のオルステッドポジ?)もあったのかもしれない. もっとメタ読みをすれば, 「失われた30年」(一体何年失われ続けるんだ日本は)への予言めいたものを感じなくもないか?
ともかく現代編というのは非常にアッサリしているが, 何か暗いモノを感じさせ, そのウラにはこういうカラクリがあったこともその一因だったのではないかと考えさせられた.
3. その他 -- 30年前の現代 --
それ以外では開発時期がまだバブルが弾けた直後だった性もあってか, 高原日勝が物凄くいい暮らしをしていることが気になった. これも30年前の「現代」という時代の反映のように思える. そもそも
「最強を目指す」
という思想がまだ優勢だった(通用した), あるいはそういったある種のロマンティシズムが残っていた時代(「バキ」もまだ連載初期)だったようにも思う.
令和の今では, 私が歳を取ったということもあるのだろうが, このスローガンは随分と寒々しく感じる. たとえば最強は最初から最強(「大丈夫 僕 最強だから」とか異世界転生して最初から最強属性が付与されるとか)で目指すとか, なるという類のものではなく, キャラの属性の一種として扱われることが多くなったのではないか. それはある意味では寂しいが, ある意味では非常に正しい発想で, 言い換えるならば
「最強ということにどれほどの意味, 価値があるか?(最強だからといってもそれだけではできることはたかが知れている)」
という思想の変遷なのかもしれない. まぁ, 「ゴミなろう」をみているとそんな高尚な思想があるようにはとても思えない. あるいは単に
「30年前よりニヒリズムがより蔓延している(「最強」が「ニヒリズム」に勝てなくなった)」
というより最悪の(近未来編的)ディストピアになった可能性もある. ただ高原日勝が目指した最強の行きつく先が果て無き修羅道であり, それに対する無常感も全く無いわけではないように感じる(それゆえのニヒリズム?).
ゆえにこう思う
「30年経った今でも, 果たして高原日勝は「最強」を目指しているのだろうか」
と. そも彼は生きているのか(人間でいられているのか)? 生きていたとして未だに「最強」に価値を見出し続けられているのか? この葛藤こそ正に「LIVE A LIVE」のテーマにふさわしいと思うのだが…
この30年のどこかで夢破れた高原日勝が, もう一度「最強」をもとめ, 真の「最強」を知る, 正に現代の「現代編」. その物語に興味があるのは私だけではあるまい.