No.199 「LIVE A LIVE」HD-2Dクリア記念雑感 6 西部編 --西部劇の黄昏--

0. はじめに

 原始編で後回しにした「舞台(装置)」としての西部編と, 本編の内容の解釈というよりはむしろその歴史的, 文化的位置付けについて述べる. 

1. 最も舞台的な西部編

 原始編

において, 「LIVE A LIVE」の「舞台(装置)」としての概略は既に述べている. そこでは『「舞台」とは何か』を論じたわけではなく, 単純に「映画的」という形容詞に比する形で「舞台的」という言葉を用いている. 西部編でも方針としては同様である. ただ, 西部編は「シェーン」や「荒野の用心棒(もしくはガンマンの方)」といった元ネタと思しき映画が大量にあり, 特に映画的と論じられることが多いので,

『あえてそれと対比して「舞台的」であることを強調したい』

という意図もある. 

 で本来であれば, 『「舞台」とは何か』をきちんと論じるべきなのだろうが, 残念ながらそれを語るだけの力量を私は持たない(それこそそれを論じるのであれば, 色々な意味で時田貴司の方が遥かに適任であろう). なので, 私が「舞台的」と言った時に想起しているいくつかの特徴, 要点を列挙するに留める:

1) 「映画」は写実的, 「舞台」は象徴的
2) 「映画」はカット, 編集が入る. 「舞台」は(舞台, 場面が変わるまでは)カットが入らない. カメラでいえば, 「映画」は基本カメラが動く, 「舞台」は基本カメラが動かない

 この 1) と 2) は互いに関連がある. 実際, カメラ基本動いていれば必然写実的になり, 基本止まっていると(諸々の補間をする都合で)象徴的な描写, 演出が必要になってくる. この2点を意識して, HD-2D リメイクの西部編を眺めれば, それが「映画的」ではなく, 「舞台的」であることは明らかであろう. そして, それがSFC時代の特徴的な描写であり, 30年経って映画的, 写実的描写が圧倒的優位になった現代において, むしろ「古くて新しい技法」であり, もっと再評価, 研究されるべきことは前回の note でも述べた. 

 特に西部編はその完成度として一つの極致にあると思われるので, 短編ではあるが, 今後の諸々の創作のためにも色々と研究してみると今でも得るところがあるであろうことは強調しておきたい.

2. 「西部劇の黄昏」としての西部編

 西部編において, 「舞台的」という要素意外に強く印象に残ったのが,

「西部劇の黄昏としての西部編」

である. そもそも主人公がサンダウンキッドなのだ. それは彼自身の人生が黄昏ていることの暗示でもあるが, よりメタ的に西部劇そのものの落陽をそこに感じる. 恐らく, 平成初期に「LIVE A LIVE」を作っていた面々が子供だった頃が, まだクソポリコレが今ほど(それこそ「オリンピックを汚染するほど」に)幅を利かせていなかった頃とはいえ, 西部劇に生で触れられた最後の時代だったのではないか. 個人的には西部編はそれを時代の中に留めた最後の作品として位置付けている. 言うなれば西部劇を純粋に娯楽として享受できた最後の時代?であり, それ以後はクソポリコレのおありもあり, 昔ながらの(マカロニ)ウェスタンは殆ど作られなくなってしまったのではないか. 実際, それ以後の西部劇を(無論存在はするのだろうが)私は知らない(そして恐らく今後も西部劇が作られない状況は続くであろう). だから今回のリメイクでも

「果たして西部編がそのままの形で出せるか」

は少し気になっていたが, 問題なくリメイクできたようで良かった. 勿論そもそも物語の構図自体が

サンダウン $${\times}$$ マッドドッグ VS 第七騎兵(連)隊の亡霊

であり, インディアナ戦争(白人のアメリカ大陸征服戦争)とは直接は関係ないのだから気にする方がおかしい. しかし, 昨今の世の中は完全におかしくなっていることを鑑みるに必ずしも杞憂だったとは言えまい. 

 ちなみに時代的に考えても, いわゆるインディアン戦争における(スー, シャイアン連合軍による)第七騎兵連隊の全滅は南北戦争後の1876年(リトルビッグホーンの戦い)のことなので, 幕末編よりも後の19世紀末の正に西部劇(開拓)時代そのものの末期でもあるのは偶然だろうか.

 もう一つ, 歴史というか, 文化史的な繋がりとして取り上げたいのは下村陽子とエンニオ・モリコーネである. それは素朴には

『「Wanderer」を聞くとモリコーネを連想する』

といったことなのだが, もう少し語ると以下のとおりである. 

 これは下村陽子が時折話すネタだが, 「LIVE A LIVE」発売当時, 彼女の父親が西部劇が好きで唯一プレイしたのが西部編だったらしい. で, 音楽の感想を聞いたら

「よく研究しているな」

と褒められたという. これはオトナになって, レオーネ, あるいはモリコーネ(も4年前に亡くなった) 関連の作品を知って, その言わんとした意味がわかるようになった.

 そうするとたとえば西部編のメインテーマである「Wanderer」も

「エンニオ・モリコーネの継承者の一人としての下村陽子」

という, ちょっと文化史, 音楽史的側面を垣間見える(聴こえる? 感じる?) ノスタルジックな名曲になるのである.

 ちなみにモリコーネに関しては, 彼のドキュメンタリ映画の感想

を昔かなり気合を入れて書いた. ここでは逆にモリコーネを主軸にして, 下村陽子や「LIVE A LIVE」について語っている部分がある. 参考までに以下にその該当部分(5. Maestro e Giappone)を抜粋しておく. 


 既に下村陽子を例にモリコーネとゲーム音楽というか, 日本との接点, 関係を指摘したが, 恐らくモリコーネ的サウンドは日本と相性がよいというか, 関係が深い. そもそもレオーネ-モリコーネの出発点は黒沢の「用心棒」だったし, 伴奏ということで行けば, それこそ「用心棒」や「ゴジラ」の佐藤勝, 最近俄に復権(?)した古関裕而をはじめ, 宮川泰, 富田勲, 小林亜星等々こちらも負けてはいないと思う. もっと遡るならば, 歌舞伎の長唄や鳴物なんて, 60年代, 70年代のモリコーネ的発想そのものではないか. だからこそ, 「マエストロ」のその辺の見解も気になる所なのだが(あれほどの「音の探求者」だった彼が, それらの存在を知らぬはずはなかっただろう), 「モリコーネ」ではその辺は(記録が無いのか, マニアックすぎるのか)触れられてはいない(というより日本との関りで触れられたのは「用心棒」だけである).

 「マエストロ」の見解ということで行けば, 先述したように, 90年代から2000年代にかけての日本のゲーム音楽とかに関して, 彼がどう思っていたのかも知りたい. 尤も, 「モリコーネ」でもあれほど映画音楽の確立に尽力したはずの「マエストロ」でも,

「アニメの曲を作るのは嫌った」

というエピソードがあったから, そもそも(あれほどの探求者だったにもかかわらず!!)興味を持っていなかったという可能性も十分ある. だとすると, これは, かの「マエストロ」の一つの「限界」を示すエピソードであって, それはそれで興味深い. ただ,

『それこそ「LIVE A LIVE」の曲でも聴かせたら, 彼は何と言っただろうか』

という「妄想」もやはり捨てがたい(気に入ったなら, 手塚治虫ばりに「俺ならこう作る」ぐらいのものを吐き出してくれたかもしれない).

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