No.73 「その声のあなたへ」雑感

 内海賢二のドキュメンタリー映画 (?)「その声のあなたへ」

https://sonokoe.com/

を観にいった. 久々に非常に素晴らしいモノを観ることができたと非常に満足しているのだが, 9月30日から公開にも関わらず, 各地の劇場で上映がわずか2週間で打ち切られてしまっているようで, 誠に残念でならない (作中で語られていたように, 声優が志望者も含め30万人もいるのならば, 少なくとも30万人は観ていなければならないはずなのに!!). そこでこの名作の布教も兼ねた備忘録を, 徒然なるままに記したい. 

1. 声優達の意地と誇り

 これは表向きは「故内海賢二のドキュメンタリー」という看板を掲げているが, 単なるドキュメンタリーとは一線を画す (今回は``映画論''としては語らないが, 純粋に「映画」としてみても非常に完成度は高いことは注意しておこう). その内容を一言で言えば, 

「声優達の意地と誇り」

である. その詳細はおいおい述べていくが, 何はともあれ映画を通じて, 彼ら彼女らが, 半世紀以上にもわたり, 積み上げてきたものが「世に誇れるものである」という強烈な自負心と矜持を否応なく感じることは間違いない. そして, その誇れるものの価値を自覚し, 「歴史」としてそれを残そうとする知見と気概もあるのだ (この映画は正にそうした試みなのだ), と.

 重要なのは, 「声優業界」という business like な試みではなく, あくまで内海賢二を中心とした「声優達」の movement としてこのような試みがなされていることである. やはり, 彼らは根っからの職人気質なのだろう. 業界を当てにすることなく, 自分たちでやれること, やると思ったことは自分たちでやってしまおうという culture は元々あって, その土壌からこの映画も生まれたわけである. 

 高々100年にも満たない声優連中に

「どんなもんだい!」

とこれ見よがしにこんなもの (こうやって「歌舞いてナンボ, 魅せてナンボ」ってあたりは, 後述の羽佐間道夫ではないが, やはり芸人だなと思う) を見せられることに, カチンとこないこともないが, 彼らのそういうところは好きだし, また実際に我々も含めて多くの人々が大いに見習うべきなのだろう. 特に声優達の比ではないほどに, 諸々の resource (歴史, 人, 労力, 金) を消費し尽くしてきた我々などは. 

2. 羽佐間道夫と柴田秀勝の演技論と声優の在り方

 本作は内海賢二ないしは賢プロ関連の声優達が色々出てきて, それをinterviewer (この人もオーディションで選んだ声優らしい?) がインタビューしていくという流れだったのだが, 話題としてはトーゼン(?)内海賢二に留まらず, 各々の思想が垣間見えるわけで, そこが見所でもある. 中でも一番面白いのはやはり legend 声優達, わけても最長老にあたる羽佐間道夫と柴田秀勝の論はやはり別格といえる. 1度しか聴いていないので色々とうろ覚えだが, 思い出せる限りで適当に list して感想を述べると以下のようになる. 

羽佐間「声優というのは (声を使った) 総合芸術なんです. そこには``映画''も, ``舞台''も, ``落語''も, 何でもある.」

後半部分はもしかすると私の``捏造'' (脳内補間) かも? ただ, それでも名言であることに変わりはない. これと併せて

羽佐間「声優というのは芸人, ``芸術家''というのとはまた違う, なんです. やっぱり``芸''で勝負しないと.」

という一見先の発言とは相反するようでいて, 実はしていない (?) 発言も好き. 恐らく芸術と芸との違いは, 

客 (大衆) からの評価への重さの違い

だと思うのだが, 大衆からの評価とは独立に, 固有価値の確立を是とする芸術と異なり, 芸というのは (仮に如何な``名人芸''であったとしても) 究極的には客のウケを無視できない. 声優というのは何でもアリの声の「総合芸術」であると同時に最後は芸でなきゃいけない. 多分, その辺の事情を骨身にしみてわかっている世代の言葉なだけに, 重みがやはり違うと思う. 

 これと関連するであろう柴田秀勝の発言が

柴田「やっぱり演技 (の基礎) がキッチリできてなきゃいけない. それと同時に諸々の (時代の) 要請, 求められているものに応えられなきゃいけない.」

であり, これに続けて御年85歳, 芸歴60年以上の大御所が interviewer に

柴田「だから俺は, 今何が求められているかを (若い人から) 知りたいんだよ.」

と言われちゃあ, 敵いませんな. 恐らく声優の枠を超え, 広く役者の category で考えても, ここまでの人間が日本に, そして世界にどれほどいることだろう. つまり我々は内海賢二達はそういう人達だったし, 今もそうであり続けているという, ``恐ろしさ''を垣間見るのである. 

 演技論に関して印象的だったのは

柴田「これは賢坊ともよく言ったんだけど, 我々は

『歌は語れ, セリフは謳え』

と言っていた.」

である. 

この手の ambivalent な格言というのは, どこの業界にも存在するのだな

と思うと同時に, 

柴田「実際, 歌手出身で良い役者っていう人も (その逆も) いっぱいいるでしょう」

と言われてしまうと, 否応なく納得せざるを得ない. 

 確かにその通り, そもそも良き歌は詩 (ウタ) であって, それは祝詞や呪文の詠唱のように歌うのが正しい. 良きセリフというのもまた詩 (シ) であって, 本来それはそのリズムやテンポに match するように朗吟すべきものなのである (逆に書き手は朗吟できるようなセリフを書くべきなのである). 

 他方, 柴田秀勝は人によっては``誤解''するであろう

柴田「声優と言うのは, これは「道楽」だね. 「道楽」であるから楽しい. これでメシを食っていこうと思ったら, それは大変なことなんだよ (だから俺はこうして``本業'' (バー) は別で持ってる)」

という発言をしている. これも全くの``真理'' (恐らくは声優だけでなく我々にも当てはまる) であり, 彼の非常に長い carrier の秘訣であることに間違いはない. しかし, 

それでメシを食っていかねばならぬ

というのが今の若い人達が背負う宿命である. 考えてみれば, 彼らの積年の苦労も

食い扶持や pie を如何に広げていくか

ということに集約されるのであり (中尾隆聖の本「声優という生き方」にもそのテの葛藤についての記述があったと思う), 問題の根っこは同じなのだが, 黎明期, 勃興期と異なり, ある種の円熟期に入っていくと中々そういう新たな食い扶持を開拓するのも困難になっていく. そうなると同根の問題とはいえ, 昔とは異なる様相を呈せざるを得ないのであって (つまり必ずしも柴田秀勝の発言が正しいという状況でもなくて), 後述の (この「道楽」発言と相反するかのような) 浪川大輔の発言と併せて, 非常に重い問題提起をしていると思う.

3. 浪川大輔が語った声優業界の課題

 作中で interviewer が浪川大輔に

「声優業界の課題は何ですか?」

と尋ねる場面がある. ちょっとここは唐突な印象 (実際, 当の浪川本人も困惑している感じがしたので, 事前打ち合わせにないやりとりだったのか?) を受けたが, 

こういう作品の中でタブーなくそういうことを聞いていく

というのも中々に斬新で面白いと思った. 

 これに対しての浪川大輔の答えは概ね2つあった. 1つ目は

「(良い) 作品がもっと欲しい」

ということ, 2つ目は

「声優はやっぱり声優として勝負しなければならない」

ということである. 

 この2つは密接に関係しているが, まずは各々の注釈をすると, ここで言う「良い作品」とは「声優冥利に尽きる」的な意味合いも然りながら, 

「良いIPコンテンツになる質の高い作品」

ということだと思う. ゴミアニメを粗製濫造されるよりは, 5年, 10年 span でみんなでメシが食えるようなIPが欲しいのは, 作り手側も消費者側もそう思っているはずなのだが, まぁ, 実際にはそんな作品は全体の数パーセントにも満たないだろう. これはなんというか単純な hit の確率以上に, 業界の構造上の欠陥が絡んでいるから一朝一夕では (というか永遠に?) どうにもならないような気がするが, それでも幾ばくかは改善されることが望ましい. 特に声優に関しては, 良くも悪くも「画竜点睛」なので, 作品が無ければ何もできない (大塚明夫は「声優は基本受け身」と言っていたか) から, ある意味でこの問題に関しては一番切実な position とも言えよう. 

 次いで「声優として勝負」については, 浪川大輔自身がもう少し語っていて, それは

「たとえば何かのイベントとかも, 凄くカロリーがあるし, 楽しいし, いいんだけど, やっぱりそれは声優というものがあってこそだと思う (そこを疎かにしてはいけない).」

というような類のことだったと記憶している. 先の柴田秀勝の「道楽」と「本業」に絡めて言えば, 定期開催の何某かのイベントを「本業」にして食い扶持を確保して, 声優を「道楽」にするのは古くからの真理だし, 王道なのであろう. しかし, それが特に若い世代で通じるかは色々危険な感じが確かにする. 

 ひと昔前であれば, 浪川発言は

先輩風を吹かした説教臭い小言

でしかなかったのかもしれない. しかし個人的には, ここ数年で状況はかなり劇的に変わってきて, これは単なるお小言ではなく, 事実としてそうしなければならない状況になってきていると思う. それはVTuberの台頭である. 彼ら, 彼女らは単に「個人の「本業」として食い扶持を稼ぐ」に留まらない影響や力を持ってしまっている. ハッキリ言えば, 彼ら (VTuberというよりは influencer というべきだろうか) がイベントをすれば, ヘタな声優のイベントなんぞよりも遥かに人を集められてしまうのだ. 

 その彼らが「道楽」で声優をやり出したらどうなる? 実際, VTuberの中には声優志望や声優崩れが文字通り``五万''といるだろう. それがアニメやイベントとパッケージにすれば, それだけでビジネスとして成立してしまう未来が, そう遠くないうちにやってきてしまうに違いない (あるいはもう既にやってきている?). そうなった時に, ジブリが声優を使わなかった事情と全く同じ事情で, アニメから本来の声優がハブられる, そこまでは行かずとも pie が削られるという状況は大いにありうることなのだ. 

 その時の差別化をするのは, やはり声優としての確固たる地力, 実績とそれを活かせるような質の高い作品 (ぶっちゃけゴミなろうアニメならば, 今でさえ人気VTuberに声優をやらせる方が儲かる状況だと思う) であり, もし声優業界にそれがなければ, これまで築き上げてきた声優の status そのものが揺るがしかねない. 

 これはあくまで一消費者の意見だが, 今回の作中での浪川大輔の語った声優業界の課題について考えてみると, 

「その辺の危機感というものを, 我々素人だけでなく, 浪川大輔年配の現役の人達は結構深刻に感じているのではないか」

ということを感じた. 

 そして, この事情は決して他人事 (対岸の火事) ではないこともゆめ忘れてはなるまい (世知辛すぎる世の中). 

4. 五本の指

 作中で野村道子が

「内海賢二をこの業界で「五本の指」に入れるというつもりでやってきた (し, 実際にそうだったと思う)」

と語る場面が出てくる. これは正しいと思う. 

 実際, 他の人は何と言うかは知らないが, 少なくとも私は飯塚昭三, 柴田秀勝, 羽佐間道夫といった存命の声優を除いて, 

「故人かつあの年代の声優で五本の指を挙げろ」

と言われたら

加藤精三, 納谷悟朗, 大塚周夫, 青野武, 内海賢二

の五人を挙げる. 

 まぁ, 本当なら先日亡くなった小林清志や清川元夢も挙げたいがそうするとキリが無くなっちゃうし, 多少はね? 何なら

ベスト10まで

といってもう5人挙げていいなら (これでも結構悩むけど適当に思いついた順ならば), それこそ

滝口順平, 山田康雄, 小林清志, 家弓家正, 清川元夢

を挙げるだろう. 正直に言えば八奈見乗児やら, 富田耕生やら, 富山敬やら``無限''に挙がっちゃうけど, どうカウントしてもやっぱり内海賢二は確かに外せないと思う. 

5. 内海賢二の``集大成''は何か?

 神谷明も, 作中で芸歴50周年記念インタビューという形で登場する. そこで面堂終太郎 (「うる星やつら」), キン肉マン (「キン肉マン」), ケンシロウ (「北斗の拳」)を経て, ``完成''した冴羽獠 (「シティーハンター」)を自身の``集大成''と語る一幕がある. このエピソード自体は割と以前から聞いたことがあったのだが, ふと疑問に思ったのは

「内海賢二にとってのそれは何だったのだろうか?」

ということである. 

 内海賢二自身が, それこそ神谷明のように, これに関して自身で何かを語っているのかは知らない. だから人によって見解は分かれるだろうが, 私は

鴨川源二 (「はじめの一歩」)

だと答える. 誤解を恐れずに言えば, あの内海賢二は

愛のあるラオウ

であり, あの昔気質の, 非常に不器用な優しさというのも, 内海賢二自身と色々通じていたように思う. 

 事実, 私にとって鴨川源二と内海賢二は不可分の存在であり, 内海賢二が 2013年6月13日に亡くなったとき, 1917年1月15日生まれの鴨川源二も一緒に亡くなってしまったような気がした (96歳の大往生!!). 

6. 内海賢二, 今在らば...

 作中で水樹奈々が,

「自身の (武道館での?) コンサートに内海賢二を招待したら, 軍団を引き連れてやってきて, すごい応援をしてくれた」

と語る一幕がある. これは内海賢二の人柄, 人徳に依る所が大きいとは思うが, それだけでなく, 野村道子が語った

「やれることはなんでもやる」

とか

「新しいことに挑む」

といった仕事上の気質, 営業努力の面もあったように思う. 

 だから, もし内海賢二が未だに健在であったならば, やはり時代に沿った形の新たな試みに色々と挑んでいたような気がする. それこそVTuberをやってみるとか, そこまで行かなくてもVTuber関連, ソシャゲ関連, オンライン関連の現代的なイベントに積極的に参加するとか, そういうことをきっとやっていて, 彼独自の感覚で時代の要請を読み取ろうとしたに違いない. 

 考えてみれば, 

ヘタにお高くとまっている有名声優達に, ``後進'' (!?) 指導の一環として (もちろん本人が好きだからというのもあったのだろうが), 貪欲で勤勉なそういう姿をみせる大御所

というのは, 後にも先にも内海賢二以外にはそうそういない気がする (そんな彼の``薫陶''を受けた中田譲治などは例外的なのかもしれない). であるからこそ, 

内海賢二, 今在らば...

という夢想をどうしても禁じ得ないのである. 

7. 欲を言えば...

 このように語れば尽きることのない本作だが, あえて不満点を挙げれば

「もっと観たかった」

ということか. 

 たとえば, 飯塚昭三が出ていたら内海賢二について, あるいは内海賢二を通して何を語っただろうか. 内海賢二の``付き人''をしていた中田譲治ならばどうか等々, 正に無限に妄想は広がる. このように, 正直言って, 生殺しにされてしまった感じもするのだが, これはある意味贅沢な悩み. それだけ「その声のあなたへ」が素晴らしかったことの証左に他ならない. 

 なのでもし収録したが映画では使わないデータがあったならば, いずれDVDか, Blu-ray になるときには, その辺を余すところなく放出してほしいと思った次第である. 何ならこの映画をみた声優達の感想, 座談会的なモノを (賢プロの身内だけでもいいから) 新録して特典としてつけても面白いかもしれない. 

8. その声のあなたへ

 最後にタイトルである「その声のあなたへ」について. これは何を意味しているのか? 勿論, 第一義的には「その声のあなた」とはトーゼン内海賢二を指しているわけだが, それだけであるならば, 内海賢二のドキュメンタリーにつけるタイトルとしては弱いと思う. つまり, あえてこのタイトルをつけたということは別の意味, 意図があるのである. それは言わずもがな, 

「これからの声優達へ」

ということなのだろう. 多くの歴史的名作と同様, この作品も届くべき「その声の人達」の元には必ず届いていることだろう. 

 幸か不幸か, 私に「その声」はない (また仮にあったところでどうもしなかった) のだが, 

「総合芸術」の「芸人」

としての「声優」については多分今後も興味を持ち続けていくのだろう. 実際, これまでも繰り返し述べてきたように, 私は「芸人」, 「道楽」, 「業界事情」等でどうも色々な意味で「声優」に不思議と親近感を抱く (多分, この親近感は「芸術家」とか, 「技術者」とかよりも「声優」に近い感じがする). なので, 我々も本作を励み, 糧として, 彼らに負けないようにいい仕事をしていきたいものである. 

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