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澁澤塾とわたし #3

社会学部3年:ちーにゃ



《澁澤塾に入る前のこと》
   澁澤塾に入る前、私は随分と幅のない人間だったと思う。中高「自称」進学校で育った私は、成績トップ、評定オール5が当たり前だった。高校でやるべきとされていることはそんなに多くなくて、学校のお勉強と部活動を頑張っていれば、それなりに褒められる世界だった。定期試験や模擬試験では必ず点数と順位がついて、自分の位置を簡単に上下で把握することができた。部活動ではダンスをやっていたが、オーディションや踊る位置によって順位がつけられて、自分の実力を把握していた。ただただ、ゲームのような感覚で上を目指して毎日を過ごしていた。大学に入ってからも、とりあえずそこそこ良いGPAと新たに入ったダンス部での実力向上のことばかり考えていて、高校の延長線上にあった。上下のものさしでばかり測られてきたから、左右の測り方なんて考えもしていなかった。くそつまんない人間だったなと振り返って思うが、当時は自分の幅のなさに全く気付いていなかった。



《澁澤塾に入るのをきめたとき》
   大学でもダンス部に入った後、兼サーができる文科系のサークルを探していた。部活で体を鍛えられるから、別の場所で頭を鍛えたいという筋肉マンのようなことを考えていたと思う。説明会を聞きに行って、何やらこの団体は他のサークルよりもやることが決まっていない、色んなことができる可能性を持っているなと思って澁澤塾を選んだ。(あとは、澁澤塾のインスタのトンマナが結構好きだったのもある。理由なんてこんなものだ。)



《澁澤塾に入ってからのこと》
   澁澤塾に入って、一番最初に興味を持ったのは国立市で地域活動を行なっているクニプロというチームだ。ちょっと時をさかのぼると、大学に合格してからポケモンにドハマりしていた私は、ポケモンローカルActsという活動を知った。ポケモンローカルActsとは、地域それぞれの「推しポケモン」が各地のポケモンを国内外に発信する活動だ。私は国立市で地域活動を行い、推しポケモンを付けて、ポケモンまみれの街にしてやろうという画策をしながらクニプロに加入したのだった。しかし、入ってからすぐにそんなことはできないので、既存のスタチアという外国人の子供に日本語を教えるプロジェクトに加入した。社会学部での興味分野である移民研究と重なっていたのも参加を後押しした。ここでの学びは、今でも学部での勉強に活用できている。



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あとがき 連載「澁澤塾とわたし」について

今までのnote記事にも書かれてあるように、澁澤塾は何をやっているのかよく分からない、いわゆる「意識の高い人」が集まるコミュニティだとされてきました。

しかし、わたしたちだって、大学に行って授業を受けて、澁澤塾以外にも活動場所を持ち、サークルやバイト・就職活動など、多くの大学生が経験することを毎日楽しみながらやっています。

でも、そんな日常に変化がないと、つまらないな、と感じることがあるのではないでしょうか。その「ツマラナサ」をどうすれば「楽しさ」とか「わくわく感」に変えることができるのか、を澁澤塾は考えています。

例えば「降り注ぐ課題、サークルでの雑用、窮屈な人間関係、迫りくる就活。私たちを苦しめるモノ・コト・ヒトは生活の各方面にある」と感じたときに、少しわたしたちの活動を覗きに来てください。

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