予定調和な相づち
たまにやってしまう。
言っても言わなくてもいいような、存在感のない予定調和な相づち。
大して興味もないのに、沈黙を避けたいがために繰り出される、
「え?それってどういうことですか??」
「○○良いですよねー」
みたいな相手を不快にさせない、なおかつ相手が話を広げてくれそうな相づちをつい打ってしまう。
繰り返すようだけど僕は、会話の内容には大して興味がない。
目の前の相手と一定の関係性を築くために会話をしているにすぎず(僕が意識的に会話をする関係性というのは大抵バイト先の先輩とかゼミの知り合いとか仲良くなっといて損ではない人たち)、本当にどうでもいい話だなこれ。とか思いながら話を聞いてるケースが多々ある。
他にも僕以外の第三者と相手が会話をしていた際に話していた内容を、知らないふりしてあえて聞いてしまう時の相づちとか。
僕は、もともと物静かで人間観察をよくするような子どもだったので他人の会話の盗み聞きは今でもやってしまう。
余談だが、喫茶店なんかにいくと「え?そんなことこんな公共の場で話していいの??」みたいなことを会話しているお客さんに遭遇したりして楽しいので盗み聞きしがいがある。
本題に戻るが、本当は知っているのに知らないふりをして打つ相づちとはどんなものか。
例を挙げるとすると、こんなところか。
「あー、○○に住んでんだ!結構遠いねー」
「え、そんな怒られ方したの??確かにあの人はちょっと嫌な所あるよね、、」
相づちを打つまでもない。
本当は全部知ってんだ。
君が思ったより遠い場所に住んでいることも、
あなたが厄介な上司に怒られたことも。
だってそれ、何ヵ月も前に、あるいはさっき話してたじゃん。
確かにその場に僕はいなかったけど、この距離感だと耳に入るよね。
そう思いながらも、わざわざ今初めて知ったかのようなリアクションをするのは、その方が都合がいいからに決まっている。
僕に話したはずがないことなのに僕がそのことを知っていたとしたら、気味が悪いだろうし、「前、会話してるとこ聞いてたから知ってるよ」と馬鹿正直に言ったらなおさら気持ち悪い。
だからこそ僕は、相手にとって無害な予定調和な相づちを打ってしまう。
このことに僕は凄い意識的で、会話の最中に脳内で「あ、いま予定調和的な相づちしちゃったな…」とか、「いまの相づち、予定調和すぎて話の内容にうわの空なことバレないかな」とか考えてしまう。
でも、だからといってそのことが相手に指摘されることはない。
「いまさ、予定調和な相づちしたよね」
とかもし仮に言われてしまったらゾッとしてしまうに違いない。
そして、そんな観察眼の優れた人、僕は人として好きになってしまうだろう。
だが、実際には前述したようにこんな鋭い指摘をしてくる人はおらず、当たり前のように会話が続いていく。
深い仲になりたいわけではないのなら、このぐらいの空白を埋めるためだけに存在するような会話で十分で丁度いいとすら思ってしまう。
仮に相手が相づちの予定調和ぶりに気づいたとしても、相手もまた予定調和的な返答で応答しているのかもしれないなと思うと面白いものだ。
それこそこの会話は何のために存在しているのか。
本当に隙間を埋めるためでしかなく、双方がそのことに自覚的だとしたらいよいよ会話しなくていいだろとなってそう。
何も考えていないようでいて頭の中ではあれこれ考えてしまう。
こんなことがもし相手に知られていたらまともに人と話すこともできなければ、人間関係を円滑にすることもできないだろうな。
「たまに脳内見てるけど、あなたってさ人に興味ないでしょ?分かりやすすぎるよ」
だとかなんとか言われて失望されるんだろうな。
ただ、おかげさまでそうした超能力者に幸か不幸か遭遇したことがない。
なので、僕が繰り広げる会話は多くの場合相手との関係性を損なわない程度に盛り上がる一方で深みに欠ける表面的なものだ。