当たり前にやっていることを意識する難しさ
note171日目。
今日は、当たり前にやっていることを意識する難しさについて。
ここ数日、体調不良で寝込んだり、休んだりしていた。
普段なら家事、炊事洗濯、子育てもほぼ一人でやっている状況なのだが、
寝込んだことで、その多くをやらない時間が出来たことで気づいたことがある。
当たり前にやっていることをやらないと、私の時間はなんと沢山あるのだろう!!ということ。
頭ではそれが得策ではないとわかっていながらも、いつも時間がもっとあったらなあ、とか時間をいかに効率よく過ごすかを考えていたのだが、やっぱり今やっていることを止めると時間は出来るのだということを強く実感した。
やっていることを止めれば時間ができる。
当たり前すぎることに気づいたわけだが、おそらくこれを体感している人はそれほど多くないだろう。
なぜなら、当たり前にやっていることに対して、「当たり前」と思いながらやっている人はいないからだ。
私たちは「当たり前」をかなり無意識に近いところで、実行している。
だからなかなか気づくことができない。
人に指摘されたとしても、「そんなことないよー」と思ったり言ってしまうのが、おそらく止めると変化のある当たり前。
止めることに心理的抵抗があるとかではなく、止めることによって変化すると思えていないために止めないというのが、ほとんどだと思う。
しかしこれを言葉で伝えて理解してもらうのはとても難しい。
そんなことを、当たり前を止めた時間でぐるぐると考えた一日だった。