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「せっかくだから」で失うもの

note196日目。
先月は一本もnoteを書かなかったらしい…。
また不定期だけど再開したい。

今日は「せっかくだから」で失うものについて。

人は「せっかくだから」という言葉をよく使う。
せっかく買ったんだから、
せっかく来たんだから、
せっかく貰ったんだから。

特に日常的に行く場所ではないところに行くと「せっかき来たんだから」といろいろ予定を詰め込んだり、大して行きたいと思っていないところにも行ったりする。

私自身は旅行に行っても、基本的に気に入ったらまた来ればいいと思って、あれこれしないタイプなのだがこの前の旅行は違った。

先月子どもを連れて初めてフィジーに行った。
ニュージーランドからは3時間で行けるリゾート地。
日本からだとわざわざ行かなそうな場所だけど、住んでいるニュージーランドからなら時差もないし近いという理由で選んだ。

たまたま少し前に、知り合いがフィジーに行き、サイコーだったと投稿していたのをみたこともあり、下調べをほとんどせずフィジー行きを決めた。

プールもビーチもキッズルームもあるホテルなら、そこから出なければ、特に不便もないだろうと考えた。

予想していた通り、全く不便はなかったのだが、2日目あたりからプールもウォーターアクティビティもゴルフも充実している場所にきて、部屋でほとんどの時間を過ごすのは、もったいないのでは?と思い始めた。

プールや海で過ごす時間がいつもより長くなればいいと思っていたはずなのに、

せっかくだからもっとプールで遊んだら?
せっかくだから海行こうよ

と、子どもたちに何度も言ってしまった。

私の声かけに対して、行かないと部屋で本を読む子どもたちをみて、苛立ちのようなモヤモヤした気持ちが生まれた。

普段とは違う場所(リゾートホテル)で、普段と同じように本を読むなんて、本当は優雅で素敵だ。

なのに、「せっかくだから」が邪魔をした…。

普段の生活を旅先でもする。
そこに少しいつもと違う経験を入れる。

それが私の望むことだったはずなのに、いつの間にか、目一杯楽しまなきゃ、になっていた。

言い訳がましいが、この感覚はいつも起きるわけではない。
どんな時に起こるのか、はっきりとはわかっていない。
でも、私が完全に満足していない時に起こる気がしている。それはつまり、また来ようと思わないということだ。

今回のフィジー旅行で私は何度か嫌な思いをした。
注文を忘れられる、何度も同じことを聞かれる、食事中にフィードバックを求められる。
一つひとつは小さな事なのだが、積み重なって、ここにはもう来ないだろうなという気持ちになった。

だから、それが「せっかくだから」を強くしたのではないかと思っている。
嫌な思いをしたんだから、せめて景色やプールくらいは楽しまなきゃ、と思ってしまった気がする。

使ったエネルギー(支払った額、費やした時間と労力)が大きいと感じたときに「せっかくだから」は生まれ、それが期待していた価値と釣り合わないとこういうことが起きるんだろうな。

また一つ、観察が進んだ。かな…



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