したくないから、したいを選ぶ生き方に変わってきた
note192日目。
今日は、したくないからしたいを選ぶ生き方に変わってきたことについて。
日中の暑さはまだあるものの、秋の始まりを感じるニュージーランド。
今朝はひんやりとした空気とカラッとした青空が、とても気持ちよく、季節の移り変わりを肌で感じた。
私はこの瞬間がすごく好きだ。
気持ちいいー!となんとも言えない幸福感を感じるとともに、毎回こうやって季節の移り変わりを感じられる生活(人生)を送りたいと思う。
今日も同じように思った。
と、同時に最近、考え方が変わってきたなと感じている。
それは、以前は〇〇したくない、〇〇するのが嫌だという理由で行動することが多かったのに、最近は〇〇したいという理由で行動することが増えていることだ。
自分で言うのもなんだが、私は嫌い、嫌なものへの解像度がかなり高い。なんとなく、嫌はあまりなく、嫌な理由を細かくあげることが出来る。
鳥の足なんて、その代表例だ。
でも、好きの理由はそれほど解像度高く語ることは出来なかった。
ただ美しいから、なんとなく好きだから、という理由が多かった。好きを細かく言語化すると、楽しみが減るとさえ思っていた。
例えば、サダハルアオキのシュークリームが何故好きかを説明するときに、バニラビーンズが入っていることで〇〇で、シューの周りの硬さと中の柔らかさが…と言葉にしていたら、食べるときにそこにばかり意識がいってしまう。
言語化することは、成分や特徴を説明する気がしていて、言葉にするのを避けてきたところがある。
私にとって、好きは体験そのものだ。
でも、今朝ふと、秋の風を感じながら、〇〇したいという理由で生きる、行動することが増えてきたなと感じた。
昔はシワが出来るのが嫌だから、シミになるのが嫌だから、という理由でスキンケアをしていたのが、今は美しい肌を保ちたいという理由に変わった。同じスキンケアをするにしても、ポジティブな理由の方が精神面にもよい。
これが加齢によるものと思いたくないが、そうだとしても人として成熟してきたからだと思えばよい。
そんなことを考えた。
例え、どんなに忙しかったとしても、病気になっとしても生きている間は、風から季節の移り変わりを感じる人生を送りたいと心から思った朝だった。
昨年8月から毎日投稿してきたnote。
今は毎日投稿ではないので、もはや、〇日目ではなくなっているが、このまま続けていこうと思う。