バス停を最初に撮影した場所を訪問してみた(最初の撮影は98年11月)今回の撮影はこの8月
「上の写真がその際に撮影した作品」
久しぶりに雑誌の取材で最初にバス停を撮影したことを聞かれたので、往時を振り返ると何か出てくるかもしれないと考えて、川越市の市街地を歩いてみることにした。
実を言うと、写真集を出版してから10年も経過したのにも、かかわらず足踏みを続けていてなかなか、活動が進捗していない。次の出版もできていないからだ。壁にぶつかっているというか?カミングアウトすると、経済的な理由や家族のことも含めて、以前のように写真にエネルギーを集中できない事情もあるからだ。このことに関して今回は触れないが、とにかく原点回帰してみようと試みた。
さて振り返ってみると98年11月に写真学校の撮影会があったので、必死になってたぶん半日だったのかな?の実習を終えたと記憶している。
これが現在の同じ場所
22年前の気持ちになって、同じ場所を撮影して散歩して、ご飯食べてみた。感じたことがあった。以下の写真は道路を渡っての撮影。佐久間旅館の塀はそのままのように見えた。
特に最初は感が戻らなかったが、徐々に思い出した。そうそうこの街かどを撮影したこの家のまえでご婦人を撮影さらにこの塀を撮影したなど、いろんなことを思い出した。不思議なもので最初思い出せなかったが、いもづる式に出てくるから不思議だ。今回電車ででかけたのも正解だった。当時も歩いて歩き回って足を棒にしたからだ。
ふと思い出した。たった一日だけの撮影で、土地勘を覚えているはずがないなあと。
そして結論だ。僕はこの実習に来て川越がフォトジェニックでしかも当時住んでいた大宮市(当時の地名で今はさいたま市大宮区)からも交通アクセスがいいから、撮影地と決めたわけだ。多分もう今となっては回数分からないけど、何回も通ったんだな。不思議な体験だった。下記の写真は、最初の写真と逆方向。つまり下りのバスを入れて撮影
そういえば、2回程度川越の街の写真でグループ展に出展したこともあった。その組写真のタイトルも突然思い出した。「川越遊歩」だった。自分としては個展する気満々だったのね。そして何かの理由で川越をあきらめて、バス停をもモチーフにすることを決めたと思う。自分でもすっかり忘れていた。というか長い年月が記憶の書き換えをしていたわけだ。
じゃあ何をきっかえにバス停に方向転換したんだろうか?作品群を繰り返し繰り返し見ていたら、バス停の作品がよいことに気づいてこれをメインに方向転換したんだってことをだ。やっぱり歩いてみるもんだなあ。(笑)
さてここで新たに可能性を考えた。もともと個展をするために川越の撮影をしていたわけだから、写真は残っている。(ネガ見つけるの大変かも?)20年の変化を撮影することも、新たに大きな主題を見つけることも可能性でもあると思ってみた。
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