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【短編小説】Orbiters

 オービットワンのハッチを開くと、ミチカゼは宇宙空間に身を投げ出した。一足先に出たアトロポスを追って船外活動服の推進機を噴射させる。眼前にコードネーム「大王デワン」と呼称されている宇宙ステーションの船体が迫る。ヘルメットのレシーバーに通信が入った。先に「大王」に取り付いたアトロポスからだ。
 「ハッチのロックが破壊されています。船内の酸素はゼロ、内部温度も地球の陰のこの宙域では摂氏マイナス六十度以下でしょう」
 アトロポスがハッチの扉を片手で開けた。軽々と開けたように見えるが、人間なら大の男が二人がかりで開けるほどの厳重な扉だ。彼女は宇宙開発を目的に製造されたロボット「三姉妹」シリーズの末妹だ。シリーズには長女クロト、次女ラケシス、三女アトロポスとギリシャ神話の運命の三女神の名前が与えられている。彼女たちは普段は高性能AI搭載の大型コンピューターだが、宇宙飛行士がステーション内で作業する時や船外活動する場合はアシスト役としてヒト型ボディに換装される。実験棟や居住モジュールが人間向けに設計されている以上、ステーション内での活動はヒト型のほうが合理的で人間活動のサポートにも都合が良いからだ。
 今はアトロポスがヒト型ボディに換装して活動中で、ラケシスはオービット1の機能制御のため船体内でサーバー筐体に収まっている。クロトはツクバの管制指揮所でスーパーコンピューターとなって日本の全宇宙活動をコントロールしているはずだった。
 コンピューターとしての性能は三機とも同じだが、ヒト型ボディに換装して人間と会話音声でコミュニケーションを取る場合は最後に製造されたアトロポスだけ異なった性格を与えられている。クロトとラケシスは生真面目で人間に対して従順だが、アトロポスだけはさらなる対話型AIの機能開発データ蓄積のため明るく冗談好きというふうに違いが持たされていた。アトロポスの性格を別にすると、ヒト型ボディ時は三機とも人間と区別がつかない容姿だが、片手で簡単にステーションのハッチを開けたように腕力など出力は人間の五倍に設定されている。より大出力にもできたが、そうすると人工筋肉の容量的にやたらとマッチョなボディになってしまう。それでは美しくないという設計者の意向で標準的な人間のプロポーションに収まるよう制限されていた。
 ミチカゼとアトロポスは「大王」に入った。宇宙ステーション内は各国の領土と規定されているので、領土侵犯と見なされる行動だ。「大王」のクルーがいれば、逮捕されても文句は言えない。
 船内に入るとアトロポスはヘルメットを脱いだ。まるで人間と区別がつかない豊かな髪がこぼれ、美しい顔立ちが現れる。外界からのデータは人間同様に聴覚や視覚、嗅覚の各機能センサーから得られるので、より状況を把握するにはヘルメットが邪魔なのだ。肌も髪も人間と区別がつかない質感の人工皮膚・人工頭髪で作られているが、身一つの状態で宇宙空間に放出されても四十八時間はダメージを受けない素材となっている。
 「すごいな。触った感じまったく人間と違わないのによくそんな強度持ってるよな」
 ミチカゼがふざけて一度アトロポスの頬をつまむと、「肌の質感、体温、胸、お尻といった身体的造形もすべて本物の女性と同じです。でも変な気を起こすと人間のあなたごとき簡単に叩きのめすことができますからね」と微笑みながら凄まれた。
 「アトロポスのことは一応、ロボットと認識している自覚はあるよ」
 ミチカゼが答えるとアトロポスは上目遣いに、「単なるロボット、ですか……」と淋しそうな表情をした。一瞬本物の女性を悲しませたように錯覚して反応に戸惑っていると、
 「ミチカゼ一等宙佐は人間の女性にも泣かされるタイプですね」
 とからかわれた。こういったところがアトロポスが時に小悪魔的ともいわれる所以だ。
 「大王」内部の居住ゾーンや船体制御室を確認する。一つたりとも計器類のあかりが点いていない。ステーション内は漆黒の闇だった。
 「食料、飲料水がまるでありません」
 闇の中でもアトロポスの視覚センサーは的確に状況を把握しているようだった。ミチカゼもライトを点灯させた。食料庫と思われるスペースの保管棚は空で、実験棟ほかステーション内に人間の気配が全くしなかった。
 「あれを見てください」
 アトロポスが内壁を指差した。直径2センチほどの穴があいていて、船体外部から微弱な光が差し込んでいた。
 「同様の穴が『大王』壁面に全部で九つ確認できます。壁面の一部には硝煙反応と血液反応が検出できる箇所もあります」
 「内部で発砲した人間と撃たれた人間がいるということかい?」
 「そう考えて妥当です。ハッチのロックは外側から壊されていました。『大王』クルー以外の外部から侵入した人間がいたようです」
 二十一世紀半ばに差し掛かると、各国は競って宇宙へ進出し始めた。世紀初頭の各国が協力しあうある意味牧歌的だった国際宇宙ステーションISSは過去のものとなり、領土、領海、領空の次は宇宙空間とばかりに大国が最新技術を注いで宇宙ステーションを建設し、その周辺を自国の宙域とした。日本もこの競争に参加、自国のステーションはオービット1、他国のものを「王朝ダイナスティー」「イーグル」「別荘ダーチャ」「獅子シンハ」「大王」などとコードネームで呼称していた。地上四〇〇キロを飛び交う各国のステーション乗組員達はいつしか「軌道周回者オービターズ」と呼ばれるようになった。
 四カ月前、これらすべてのステーションが地上との交信ができなくなった。ラケシスもツクバのクロトと一切通信ができないと報告した。宇宙空間から望むと煌々と灯っていた地上の都市のあかりが激減し、残った光もどこか機械的な、人の営みを感じさせない光ばかりだった。通信途絶の原因はラケシスの観測でも判明せず、大規模な電波障害やサイバーテロによる通信インフラの崩壊、四半世紀前に武漢から世界中に広がったパンデミックのように新たな感染症が人間活動を停滞させているのかもということだった。
 「太陽フレアの発生、もしくは地上で核が使われた可能性は?」
 ミチカゼも思い当たることをラケシスに質問してみた。
 「通信に影響するほどの太陽フレアなら確実に私に観測できます。それにチェレンコフ光や異常な放射線、大規模な爆発の検出はありませんでした」
 筐体に収まったラケシスの回答は、ヒト型ボディ時よりもいっそう生真面目に聞こえた。
 そんな状況下、三週間前に突如「イーグル」が高度を下げ、三日後に大気圏に落下して消滅した。その後、軌道が交差する「大王」と通信を試みたが返答がなく、「『大王』にもなにか起きています」というラケシスの報告でミチカゼとアトロポスが状況確認に来たのだった。
 「大王」には男女一人ずつ二人のクルーがいた筈だった。しかし、ここまで内部を捜索しても二人とも発見できない。
 「何が起きたと思う?」
 ミチカゼがアトロポスに問う。
 「『大王』の水や食料、バッテリーを狙って外部から侵入した人間がいます。クルーは殺害され、死体は船外に放出されたのではないでしょうか」
 遺体がデブリとして宇宙空間を彷徨さまよっていると思うとミチカゼの胸は痛んだ。
 さらに船体の奥をライトで照らす。照らされた光の隅に異様なものが浮かんでいるのが目に入った。茶色い奇妙な物体だった。
 「枯れ木? なんでステーション内に?」
 その時、ラケシスから通信が入った。
 「軌道計算しましたが、『大王』は一週間前に『別荘』と軌道が交差しています。また『王朝』が三週間前に『イーグル』に最接近しています」
 ミチカゼはアトロポスと顔を見合わせた。さらにラケシスが続けた。
 「『王朝』は二日前にブースターを噴射して軌道を変更しました。私の計算ではオービット1と十九時間後に最接近します」
 「急いで戻りましょう」
 アトロポスがヘルメットをかぶりなおしながらミチカゼを促した。入ってきたハッチへとミチカゼの手を引いた。
 「大王」から離脱しながらミチカゼはアトロポスに確認した。
 「あの枯れ木みたいなの、女性クルーの遺体だったよな」
 「そうですね。低温と真空状態で凍結、変色して人間の姿を留めてはいませんでしたが」
 「服を着ていなかったよな」
 「侵入者によるそういった行為の被害に遭ったと思われます」
 彼女の口調はいつになく真剣なものになっている。怒気を含んでいるとも感じられた。
 「違う観点ですが、ミチカゼ一等宙佐も今後はより慎重にならなければなりません」
 「どういうことだい?」
 「生きた人間が輸血パック、最悪の場合は蛋白源として狙われる可能性もありえます」
 薄ら寒い思いを感じながら、ミチカゼは遠ざかる「大王」に向かって手を合わせた。
 「祈りですか? 私にはその行為の意味は分かりませんが……」
 アトロポスもミチカゼを真似て同じ姿勢をとりながらさらに言葉を続けた。
 「これより私とラケシスはミチカゼ一等宙佐の無事を最優先とする局面に入ります」

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