【短編小説】波乗りカメラ
「そんじゃ、始めるぞ!」
哲也が二人に合図の声を掛ける。
「えいで。オッケーで」
洋平が調子者らしく笑顔を見せる。
「うん」
気弱そうにうなずいて修造が応じる。
「ほな、やろか」
哲也を先頭に、洋平、修造の順で浜辺に足を踏み入れる。三人が今歩いている砂浜は風景と砂質両方の美しさで県内一、二位を争う場所だ。三人の歩幅に合わせて、さらり、さらりと砂が鳴る。浜は同時に、国内有数のサーフスポットとして人気が高い。
三人とも木刀を持っている。通っている小学校の体育倉庫から持ち出してきたものだ。
四月下旬の土曜日の午前。
引き潮で海が凪(な)いでいるせいもあって、サーファーは少ない。それでも浜の中心部の波打ち際近くには、男女三人のグループがいた。砂にボードを置き、波待ちがてらストレッチのように体をゆっくり動かしている。
日差しは明るいがまだ柔らかい。潮風も微風。今日は一日中晴れだろう。
サーファーのうち男二人は潮焼けなのか脱色しているのか長めの茶髪で、二人とも顎髭を生やしている。顔はともに深く日焼けしていて、二の腕は太い。一人はウェットスーツを着用していて、もう一人はウェットスーツは着ていないが、袖無しのラッシュガードを着ていた。肩口からは緑と黒二色で描かれたトカゲのタトゥーがのぞいている。
一緒の女性も小麦色に日焼けしている。ベースボールキャップをかぶり、黒髪にところどころ金髪が混ざったロングヘアを後ろの首もとで一本にまとめている。ウェットスーツのジッパーは胸あたりまで下げていた。
三人とも二十代半ばくらいだろう。それでも、この春小学五年生になった哲也、洋平、修造からすればひどく大人に見える。男二人はじゅうぶんに恐怖を感じさせる風貌だ。声を掛けるのは勇気がいったが、今から実行する計画のためには、彼らにこの場所を明け渡してもらわなければならない。
「にいちゃんらぁ、ゴメンやけどちょっとどいてくれん?」
緊張の裏返しで、怒ったような顔で哲也が三人に声を掛ける。三人の視線が哲也に注がれ、続いて修造、洋平と移る。木刀に戸惑ったような表情を一瞬見せた。
「なんや、お前ら」
タトゥー男がいぶかしげに問う。修造がひっ、としゃっくりのような声を小さく上げた。
「どうしたん?。きみ、『ふくなみ』の哲くんとちゃうん?」
女性が哲也を見ながら言う。哲也の家は民宿をやっている。言われてみれば、哲也もその女性がちょいちょい宿泊している顔だと気づいた。名字は覚えていないが、確か名前は「由美」さんだった。
哲也、洋平、修造はこの高知県で最も東部にあたる町で暮らしている。三人は生まれた頃からの同級生で、哲也の家は民宿で、修造の家は漁師、洋平の父親は町役場に勤めている。
町は地域起こしの一環でサーファーの呼び込みに力を入れている。しかし、主に関西方面から来るサーファー達は大型のワンボックスカーに機材一式を積み込んできて、車中で寝起きをする。ともすると食料も隣の徳島県側のスーパーやコンビニで大量に買い込んでくる。このため、あまり町民の現金収入には結びついていない。民宿に泊まっているサーファーは町にとって上客ともいえた。
町に落とす現金は少ないとはいえ、それでも初夏から晩秋まで国道沿いや浜辺を色鮮やかな水着を着(き)、ボードを担いで闊歩するサーファーのおかげで、過疎高齢化に悩む日本の一(いち)地方とは思われない、一種外国めいた雰囲気を町は醸し出していた。
「輝之も隆太も見てくれが怖いから、この子らびびってるやん」
もっと優しげに接したりや―。そう言いながら由美が哲也たち三人と同じ目線になるようかがみ込んだ。
胸までジッパーが下ろされたウェットスーツ姿で哲也たちの目線までかがむと、ジッパーの間から、三人の目の前にそこだけは白い肌のままの水着の胸もとが迫った。青い血管が透けている。気恥ずかしさで、哲也は思わず目線を上げ由美の顔をじっと見返した。修造は照れ、由美から目をそらす。洋平は胸元をちらちらと盗み見している。
「どいてほしいわけやけどな…」
哲也が由美に事情を説明する。
「そういうことやったら協力したるわ。ほかの人らが砂浜に入らんように、ちょっとの間だけやったら引き留めたる」
哲也の説明を聞き終えて、由美が微笑みながら、手伝ってくれることを承諾した。
「でもな、波が来始めたらサーファーも増えてくるから、早めにやってしまわなあかんで」
そういうと由美たち三人はサーフボードを抱えなおして砂浜を明け渡した。
「じゃあ始めよ」
哲也のその言葉を合図に、三人は持ってきた木刀で力一杯砂を引っ掻き始めた。
哲也、洋平、修造の三人にはこの三月までもう一人同級生がいた。
三人の通う小学校は全校生徒は十五人にも満たない、小さな学校だ。
もう一人の同級生は同学年紅一点のあかねだった。四人は保育園から小学校までいつも一緒だったが、小学四年が終わったこの春、あかねは大阪へ転校していった。
理由は父親の事故死だ。
過疎高齢化に悩むこの町には一人暮らしの老人も多い。そんな独居老人のうち一人が、周囲の人間も、本人自身も気がつかないままに認知症が進行していた。
初冬のある日、その老人が町で一軒しかないスーパー兼雑貨店に買い物に行った。
軽トラで駐車場に乗り付け、停めようとした時、老人の頭に靄がかかった。一瞬、判断がつきにくくなった。次の瞬間、ブレーキとアクセルを力一杯踏み間違えていた。ぶおん、と、急加速した軽トラの前方を運悪くあかねの父親が歩いていた……。
父を亡くしたあかねをどう慰めていいか分からないうちに冬休み、春休みと過ぎた。夫を亡くしたあかねの母は、彼女を連れて引っ越していき、哲也ら三人はあかねのいない五年生を迎えた。
なにかしてあげられなかったか――。そんな気持ちが空回りのまま迎えた新しい学年。
新学期が始まって数日たったある日、運動場にいた三人は、校内のピアノが鳴るような音を同時に聞いた。
あかねは校内で唯一の、ピアノを弾く生徒だった。父親が亡くなるまでは、放課後の校庭にピアノの音が響けば、あかねが音楽室にいる合図みたいなものだった。
久しく鳴っていなかったピアノが鳴った。
三人揃って空耳だったのか、聞き間違えたのかは分からない。あかねがいると思って駆けつけた音楽室には誰もおらず、弾く人間のいなくなったピアノには埃が積もっていた。
「ピアノって誰も弾かんなったら音が狂うがやってな」
積もった埃を払いながら修造がつぶやく。埃が払われた黒い塗装面に、三人の沈んだ表情が映り込んだ。
「なぁ、あかねにメッセージを送ってみんか?」
洋平が唐突に提案する。
「どうやるがな?」
哲也が聞いた。
「『波乗りカメラ』を使うんや」
町役場は数年前、リアルタイムで波情報を発信しようと、砂浜を見下ろす場所にカメラを設置し、浜と波の様子をインターネット上でライブ中継している。洋平はそのカメラに写る砂浜にメッセージを書いて、あかねに見せようというのだった。
今日がその決行の日だ。
あかねにはあらかじめ、「今日この時間、『波乗りカメラ』のサイトを見ろ」とメールしている。
木刀で砂を彫るように、「ガンバレ」と哲也が大きく書いた。洋平もでかでかと「俺らのこと忘れるな」と綴っている。最後に、少し小さいが文字数は多めに、「約束どおり夏には帰ってこい」と修造が書いた。
書き終わると修造が携帯電話であかねの番号にかけた。あかねが出ると同時に携帯を哲也に渡す。「見よったか」と聞く哲也の問いに、涙声で「うん」とだけ、あかねが返事をした。哲也、洋平と短い言葉を交わすと、携帯は修造の手に戻った。携帯を受け取ると二人からやや距離を取って、修造が話し始めた。
哲也と洋平はちょっとした達成感に浸っていた。大人を押しのけ、計画を実行し、あかねに思いを伝えたのだ。
満ち潮に変わったらしく、寄せる波が大きくなり、三人が書いた文字の端を洗い始めている。砂浜を歩くサーファーも増え、残りの文字も踏まれて読みにくくなってきた。
修造はまだあかねと話し続けている。
哲也はふっと気になった。
「なぁ、洋平。あかねの携帯の番号聞いちゅうか?」
「ううん、哲ちゃんは?」
「いや、俺もメールアドレスしか知らん。なんで修造だけ番号知っちゅうがな?。しかも夏に帰ってくる約束って、いつしたがな?」
沖には入道雲にはまだほど遠い小さな白雲が浮いていた。間もなく三人が書いた文字も完全に消えていった。
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